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かつかつ、と硬い石の床を叩く足音が響く。 深い闇の中に、ぼうっと浮き上がる松明の灯りを頼りに、彼はひたすら歩き続けた。 王宮に隠された、薄暗い牢獄の奥。 司法院の人間であっても滅多に立ち入れぬ領域。その扉の前に、二人の最高裁判官が立っているのを見つけ、キルシュは早足で近付いた。 「……キルシュ」 顔をあげたアリュードの顔はひどく暗い。そして、横に立つセリカもまた、硬いながらもやりきれぬ顔をしていた。 キルシュの方が、苦笑いを浮かべてしまう。 「何だ、二人とも。解決したとは思えない顔をして」 「だって、キルシュ」 「良かったじゃないか。反逆者が捕まったんだ。どうしてそんな顔をする」 「でもキルシュ! 彼は……」 「仮にも貴族に名前を連ねる人間、だろう。だが、それがどうした」 キルシュがあっさりと言い切れば、彼らは一層、居心地が悪そうに目をそらす。 だから嫌だったんだ、と内心で毒づきながら、キルシュもうんざりと視線を落とす。 「王を殺害した上、一部の人間を買収し、民を扇動し、王位継承者であったヨーゼフ殿下まで亡きものにしようとした。弁解の余地があるとでも?」 「それは……」 アリュードがちらり、とセリカを見た。彼の目くばせに、セリカが渋々といった様子で、口を開く。 「少しだけ、納得のいかない点は、ある」 「へぇ?」 「やったことは間違いない。だが、拘束される時に、はめられた、と彼ははっきり言ったんだ」 「……苦し紛れの出まかせじゃなくてか」 「キルシュ」 アリュードにたしなめられ、キルシュは端正な顔をやや歪める。 「ああ、悪い。だけど、それで僕が呼ばれた理由が分からないんだが」 「それは……」 「君になら、話しても構わない、と言う」 言いにくそうに目を伏せたセリカの後を引き取り、アリュード。キルシュは目を瞬かせ、質の良くない笑みを浮かべる。 「はっ、それで僕を? 彼の言いなりになってか」 「言いなりになったつもりはないよ。僕らは僕らの最善を尽くしているだけ」 いつもの、人の良さそうな顔のまま、しれっと言ってのける。 「君だって分かっているだろう、キルシュ。彼と、彼の一族は全て処刑される。たった二人を除いて」 「それが不満か?」 「いや、それは法で定められたことだ。この効力が及ぶのは、書類上、一族として定められた者のみであり、厳密な血の繋がりを問うものではない、と」 「それなら、何故そのことを今更、持ち出してくるんだ」 「僕が言いたいのはね、キルシュ」 はらはらと見守るセリカ。無表情のままのキルシュ。そして、変わらぬ口調で話し続けるアリュード。 「たとえ罪を犯した人間でも、それが去り際の望みなら、可能な限り、叶えるべきだと思ったんだ」 二人の視線が、ぶつかった。キルシュは目をそらさぬまま、アリュードに問う。 「……真相を知りたい、というのではなく、か」 「知れたらいいけどね。それは君次第」 「僕に任せていいのか」 「任せる? それは違うよ、キルシュ・ビバルディ」 そうして、彼はゆっくりと首を横に振る。 「君はたった一人だけ残された、彼の息子。僕はただ、そう捉えているよ……そう」 自身の胸に付けた、最高裁判官のバッチをかざし、彼はきっぱりと宣言した。 「この、最高裁判官の証にかけて」 かつん、と靴が音をたてた。牢獄の主が、顔をあげるのが見える。 「……キルシュ」 「何を話す気になったのですか、ジェラード公」 冷淡にしか響かない声音に、キルシュは内心で吐き気を覚える。 ああ、確かに自分は、この男の息子なのかもしれない。 そんなキルシュの感情にどこまで気づいているのか、彼はぎらぎらと光る目をこちらに向けている。 「まさか、本当に来るとはな」 「呼ばれれば、来ない訳にはいかないでしょう。私は、司法の庭の番人ですから」 「お前が裁くのではないのか」 「私が担当することなど、出来ませんよ。たとえ今は他人であっても、法廷は、公平であるべき……」 「公平であるべきならば、お前が裁判官である限り、いかなる時も法廷に立つのが、真の公平と言えぬだろうか」 キルシュは不快そうに眉をひそめる。 「何を言いたいのか分かりません」 「血族であるからいかん、というのは、情が入り込む余地があるから、ということであろう」 「だからこそ、公平であるように、そうするのです」 「だが本来、法は、絶対だ。人のように、揺らぐことなどない。誰が行使しても同じはず。なのに、法を動かす、人を考えずにはいられない。その限り、法は完全たり得るのか」 キルシュはしばし、沈黙していた。探るように向けた目を見返す瞳は、決して綺麗なものではなかった。だが、けっして怯むことなく、じっとキルシュを見据えている。 「……貴方の仰るように」 小声で肯定の意を示したキルシュは、強い口調で続けた。 「人は揺らぐ。そして世界もまた、常に平等ではない。だから法もまた、公平である為には、平等であってはならない」 「つまり、絶対になり得ないのだろう、法は」 「何を言いたいのですか、貴方は」 彼は一つため息をついた。ひどく長いため息に、キルシュが焦れ始めた頃、彼はおもむろに口を開いた。 「キルシュ」 「……何ですか」 「キャスリンは、私の娘ではない」 「は?」 だからお前を呼んだんだ。 そう言ったジェラードのまなざしは恐ろしいほど真剣で、キルシュはそっと息をのむ。 「キャスリンだけではない。あの家にいた息子、娘と呼ばれる一族は全て、私の子ではない。私の子は、お前だけだ」 「何を今更、言いだすのですか。そもそも、私は貴方に……っ」 「信じるも信じないも、お前の勝手だ。だが、真実だからこそ、一族を巻き込んでも構わない、この賭けに出た」 そして、と告げられた言葉に、キルシュは拳を固めた。 「成功させる気などなかった。私は、復讐したかっただけだったから」 「……王に、ですか」 彼はその問いには答えず、淡々と語る。 「まだあの御方……王妃が存命中だった頃、私はあの御方より、一つの命を頂いた」 何を、とうるさげに見下ろしたキルシュの耳に、信じがたい言葉が飛び込んできた。 「王に寵姫をあてがうこと、そしてその女の面倒を」 「な……っ」 そんな馬鹿な、と口走った息子に、彼は相変わらず掴みがたい、暗い笑みを浮かべる。 「王は寂しい方だった。あの御方が政務につけばつくほど、王は孤独になり、狂ったように誰かを求めた」 憐みとも軽蔑ともつかぬため息を一つつき、彼は話し続けた。 「けれど、誰も側には置かない。だから寵姫が身籠った時、私はあの御方の耳に届くことを恐れ、私の妻とした。そしてそのまま、何度も何度も同じことを」 「……じゃあ、母さんは」 「王の寵姫に仕えていた、平民の下働きの娘だった。彼女は私の境遇を知っていたから、同情、してくれたのだろう。そこから関係が始まって、そして」 キルシュが生まれた。 その後、と一呼吸置き、彼は低い声で告げる。 「王の目に留まった」 「じゃあ、キャスリンは」 言葉にしかけ、キルシュは強く首を横に振る。 認めない。 そんなキルシュの意思が伝わったのだろう、ジェラードははっきりと明言することなく、ただ低く呻く。 「王を、憎んでいたのかと言われれば、そうではないのだろう。それくらいには、私もまた、酷い生き方をしてきた。抗うこともせず、諫めることもしなかった理由は、ただ自己保身という訳でもない」 「それなら何故、謀反など……」 「そう、だな」 彼はしばらくためらった後、重たい口を開いた。 「王のことは、所詮ついでだ。私には、たった一人だけ、存在すら許しがたいほど、憎んだ人間がいる」 「ついで、とは……」 眉をひそめたキルシュは、そのまま表情を凍らせる。 まさか、この人が憎んだ相手は。 「皮肉なものだ。王のことは、敬愛こそなかったが、同情で思えた。王妃は生涯でたった一度、私が忠誠を誓った御方。それでも、その間に生ま……」 「言うなっ!」 激しい口調で遮った理由を、胸の内で反芻する。 聞きたくない、とかぶりをふる心を封じ込め、キルシュは静かに問う。 「……どうしてですか」 「私には、あの息子の生き方そのものが、王妃への冒とくに思えたからな」 「あの、奔放さが、ですか」 「いや、王から引き継いだ弱さを持ちながら、必死に王妃に似せようとするところが、だ」 「それだけでっ? それだけで、命まで取ろうと思うのですか、貴方は……っ!」 「それだけだ」 頑なにそう言うジェラードの姿に、キルシュはそれ以上の問いかけは止めた。 聞きたくなどなかった。 胸をかすめた、その答えが返ってきたところで、どの道、キルシュは受け入れられないのだろう。 それならば、とキルシュは思考を留め、ここへやってきた本題を思い出す。 「では、はめられた、とはどういうことですか」 「それは……」 ジェラードの口から告げられた事実に、キルシュはひどく気だるげな表情を浮かべた。 |
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素材配布元:「神楽工房」様