![]() |
|
![]() |
![]() |
酷く、疲れた。 寝台に向かう気力もなく、ソファに倒れ込むとヨーゼフはすぐさま目を閉じる。 それでも、眠りが彼に訪れることはない。 目を閉じて、身体を横にして、何とか休息を取る、その繰り返し。 意識が眠りに落ちることはない。 だから、廊下の物音や声にも、すぐに反応することが出来た。 「ふざけるな、お前……っ!」 バロンの、怒鳴り声で瞼を開く。 身体を起こしたところで、やや不躾な物音を立てながら、二人がなだれ込んできた。 バロンはたたらを踏みながら、そしてもう一人は悠然と。 「陛下」 のろのろと顔を上げると、そこにはあの時の少年がいた。 「いや、違うな」 「え?」 「……いや、気にするな、ビバルディ司法官」 あの時の少年は、もういない。 目の前にいるのは、司法の庭に住む魔物。 戸惑うように開かれた目が、一瞬だけ過ぎる表情が、あの頃と重なるのはきっと錯覚。 ヨーゼフは自分にそう言い聞かせながら、言葉を紡ぐ。 「そろそろ来る頃だと思っていたよ」 ソファに腰かけたまま、平然と席を勧める主君に、バロンはあわてていた。 「だけどヨーゼフ、お前……」 「大事ない」 「けどよ……っ!」 「大事ない、バロン。これは私の務めだ」 そう言って、微笑んでみせるヨーゼフに対し、キルシュの鉄面皮は動じない。だからこそ、ヨーゼフもまた、不敵な笑みを張りつけたまま、彼の前に座す。 「王として、潔白を証明せねばなるまいよ」 「……けっぱく、って」 「司法の庭の番人は、私が前王を殺したのではないか、とお疑いだ。これを晴らさぬことには、私が王の座に着くことは出来まい」 「……んな……っ!」 「お話が早くて、助かります」 しれっと言ってのけると、キルシュはちらりと横のバロンへと視線をやった。 「そう警戒なさらなくても、すぐに済みます」 「……」 やつれた顔で睨みつけるバロンに、ほとほと参ったという顔をして、キルシュは両手をあげた。 「我々とて、本当に疑っている訳ではありませんよ」 「お前達を信じろと?」 「信じて下さらなくても、構いませんよ。我々だって、陛下を信じたわけではない」 ならば、と言い募ろうとするバロンを遮り、彼はそっと肩をすくめた。 「ただ、わざわざ殺さなくとも、殿下が陛下を廃する理由など、幾らでもございましょう。それに」 言葉を切り、キルシュは視線をそらした。そして、一息にいう。 「失礼ながら、遺恨が残るほどの激しい感情はないように思われますがね、陛下には」 「そう、だな」 「ヨーゼフ……」 「そうだな。愚かしい、とは思った。嫌ったこともあったかもしれん。だが、憎んだことはなかったように思う」 バロンの、気遣う視線が痛くて、ヨーゼフは自嘲の笑みをこぼした。 「あれほどの男ならば、もっと疎んでも嫌っても良かったのだが」 「我々から見える王の姿と、貴方から見える王の姿は、また別でしょう」 思わず、目を見開いたヨーゼフに、キルシュは不機嫌そうに目を細めた。 「ですから……いえ、無駄話はやめましょう。陛下は大分お疲れだ」 一方的に話を打ち切ると、キルシュは強引に本来の用件を切り出した。 おそらく、普通ならば聴取となるのだろう、このやり取りも、殺された人間が、そして容疑者となるであろう自分が、王であるだけで大分様相を変える。 一通りの話を終え、部屋に沈黙が満ちた。 「陛下?」 キルシュが怪訝そうに眉をひそめる。ヨーゼフはふぅ、と一息つき、じっと正面から彼を見つめた。 「――ねぇ、キルシュ」 「はい」 「君達の庭は、きっとひどく汚れているね」 わずかに眉をあげたものの、彼は特に不快そうにすることもなく、平然と見返してくる。 「汚れております、陛下」 「それを、変えたいとは思わないの?」 「思いません」 「何故?」 「必要だから、あの庭は出来たのです。それを、一個人の心で変えることは出来ません」 きっぱりと言い切ると、キルシュは淡々と続ける。 「変化は、破壊を伴います。変えるということは、壊すことと同意」 「それなりの覚悟は必要だということか」 「払う犠牲を想うなら」 その返事をかみしめて、ヨーゼフはそっと笑う。 「そうだな。変革には、覚悟が必要だ。違いない」 はい、と答えたキルシュの横顔は固く、けっして崩れぬ何かで出来ている。 だから、ヨーゼフは思う。そして、一つの覚悟を決める。 彼と同じ道を歩むことは出来ない。 ずっと分かっていたその答えをかみしめて、ヨーゼフは話を打ち切った。 ――ジョルジュ十七世、崩御。 その知らせに、国中が沸いた。 ひっきりなしに飛び交う酒樽や色とりどりの花は、中枢機関の喪服をもひっぺがしそうな勢いで、新国王を祝福している。 「新王万歳!」 「ヨーゼフ十世、万歳!」 窓辺からその騒ぎを見下ろし、アリュードはそっとこめかみを押さえた。 「頭が痛いね」 「仕方ないな。これが王の成果だ」 「でもね、仮にも国王が暗殺されたっていうのに、この騒ぎはないよ」 「そんなこと、遠い話さ。彼らにはね」 「そうかもしれないけど」 でもねぇ、と眉をひそめるアリュードは、じっと天井をにらんでいる。 「僕からすれば、天敵だからね。別に、彼の死そのものを惜しむ訳じゃないけどさ」 「死に方だな、問題は」 「……うん」 「だがそれは、僕らにしか関係のない話だよ、アリュード」 「それなんだが……その、だな、キルシュ」 「なに?」 「ヨーゼフ殿、いや、陛下は、どうしてるんだろうな」 「ずっと喪に付されたまま、執務以外、表に出てこないそうだ」 暗い顔で肩を落としていた、彼の側近を思い出しながら、キルシュは静かに口元を歪めた。 「それもまた、わざとらしい気がするがな」 「キルシュ!」 「考えない訳にはいかないだろう。陛下が亡くなって得するもの、あるいは」 「僕はそんなことが言いたいんじゃない!」 アリュードは強い口調で言い放つと、辛そうに目を伏せた。 「ただ……仮にも陛下にとっては」 「とっては?」 「……父親、だろう」 ぴたりとキルシュは動きを止めた。そんな友の顔を、アリュードはぶすりとした表情で見やる。 「何だよ、その顔」 「いや……なんというか、アリュード」 「なんだよ」 「お前、実は馬鹿だろう」 ばん、と勢いよく机に手をついて、アリュードが立ち上がる。 「あのな! 仕事の話じゃないんだ!」 「当り前だ。仕事の上での話なら、怒るぞ」 「分かってるさ! 確かに……司法官としての僕なら、親子でも、というのだけど」 「司法官として、か」 一つ呟き、挑戦的に振り返る美貌の司法官は、問う。 「なら、アリュード。そう思う君は、何者だ。司法官でもなく、ヒルズ家の当主でもない君が、陛下にどんな感傷が?」 「僕は」 「君は、何?」 「僕は、君の友だ」 「なに?」 「だから思うんだ。君がそうやって、司法官であろうとすればするほど、僕には無理をしているように思える。君は、彼を」 「ああ、そうだね。でも、僕は司法官だ。だから無理」 あっさりと言ってのけたキルシュに、思わず掴みかかりそうになったアリュードは、ふと手を止めた。 「司法官である僕もまた、僕なんだよ。アリュード」 そう言ったキルシュは、いつも通りの、優しい表情をした友だった。そして友は、そのままの笑みで続ける。 「だから、あの人を心配する資格なんて、僕にはないんだ」 「え?」 「あの人に必要なのは、ずっとあの人のことだけを考えてくれる誰かなんだろう。別の顔なんていらない。敵なんかであっちゃいけない」 「……キルシュ、君は、あの方のことを」 「普通の意味では、好きだよ。でもそれだけだ。だから、無理なんだ」 「でも君はっ!」 「その程度の感情で背負うには、重すぎるんだよ!」 泣きそうな懇願が、アリュードの唇からこぼれて。鋭い叱責が、キルシュから発せられた。 「考えろ、アリュード。一時期の感傷とか、個人的な感情で決めるには、あの方が背負うものはあまりにも重い」 「……だけど」 「それに、俺だって」 もう背負ってしまっている、と声にならない言葉が告げる。 痛いほどそれが分かるだけに、アリュードも頭を抱えるしかない。 たとえ望んで得たものであっても、アリュードもキルシュもまた、司法の庭を背負う者なのだ。その重みから逃れてもいい、とアリュードが告げることは、一時の優しさでさえない。 アリュードがその背を押すということは、キルシュの今までを否定することに他ならないのだ。 「捨てられやしないんだ、結局は」 そう呟いた彼に、迷いはなかった。 |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() | ![]() | ![]() |
---|
素材配布元:「神楽工房」様