眠り王子様と眠れぬ騎士
 昔々ある国に、一人の王子様が生まれました。
 この国の王様は、とてもたくさんの人々に愛されておりましたので、多くの人々がこの祝いの場にかけつけました。
 その中に一人、悪い魔法使いがまぎれ込んでいたのです。魔法使いは、王様が気に入らなかったので、王子が悪い人間であることを、願っていました。
 しかし、魔法使いの目には、すぐに分かりました。
 この王子が心正しく育ち、幸せな一生をおくることが。
 それが面白くなかった魔法使いは、王子にとんでもない呪いをかけてしまったのです。
「この王子は恋を知らずに死ぬだろう。なぜなら、恋を知る時、この王子は愛した女のために死ぬさだめ」
 ですが、悪い魔法使いのたくらみは、半分だけ失敗しました。そこに居合わせた、一人の良い魔法使いが、とっさに呪いを弱める魔法をかけたのです。
「そして初めて恋をした相手を腕に抱く時、その呪いから解き放たれるでしょう」
 そして、王には内緒で、もう一つの魔法をかけたのです。
 それは、せいいっぱいの魔法でした。良い魔法使いには、かけられた呪いを消し去ることはできなかったのです。
 まだそれが、どんな残酷なことかを、知らずに――



「ずいぶん、色んな御伽噺を知っているものだな」
 王子はつまらなそうに顔を背け、大きくせき込んだ。慌てて騎士が腰を浮かせ、彼の背をさする。
 騎士の手が自分を支える瞬間、少しだけ痛みがひいた気がした。
 王子にとって、この側仕えの青年騎士が、ひそかな自慢でもあった。
 剣術は国一番、そして心優しく、見目麗しいこの騎士が、自分の一番最初の臣下だということが、何よりも誇らしい。
 一つ、不満を除けば。
「いえ、私の幼なじみが、そうした噺を集めるのが好きなのです。それで色々」
 そう、また出た。王子はこっそりと嘆息した。そう言って笑う時の騎士は、どこか王子とは違う世界に生きている。
 彼の幼なじみという青年を、王子は良く知らない。
 王宮にも出入りしている、かなり力のある魔道師らしいが、そんなことは知らない。
 いいや、あえて見たいとも思わない。
 王子にとって大切なのは、この目の前にいる騎士だけだったから。
 自分が落ち着いたのを見、またやや離れた位置に陣取るこの騎士を、王子はじっと見つめていた。
「お前」
「はい、何でしょう?」
 熱のせいだろうか。頭がぼうっとする。身を起こした王子を、彼はまたやんわりと宥める。その大きな手が、自分との距離を感じさせた。
「お前は今年でいくつになる?」
「十六になるでしょうか」
「十六――」
「それが、何か?」
 きょとん、と王子を見る瞳は、まるで屈託ない。全く、恐れを知らない。この物怖じしない瞳が好きだったが、同時に厭わしくもあった。
(余はまだ、十二だ)
 だから、こんな風に笑うのだろうか、彼は。
「何でも、ない」
 少しは危機感を持つとか。自分を見る王子の目が帯びる熱に気づくとか――
(熱、か)
 だが確かに、こんな病にかかっているようでは、子供扱いしかしてもらえまい。
「王子?」
「あまり近づくな」
 瞬間、彼は傷ついたような顔をした。王子は慌てて、言い添える。
「伝染る病だと聞く。お前に伝染ってはいけないから」
「ああ、そのようなお気遣いは無用です」
 彼は、にっこりと笑みをこぼす。そして
「私も昔、罹ったことがあるのです。ですから、もう罹りません」
 そうか、とようやく納得した。だから、この部屋にはいつもの侍女ではなく、この男が控えているのだ。そう思うと、何だか妙に寂しくなった。



「王子」
 遠くから、呼び声がした。虚ろな身体が勝手に食事を取り、差し出された水薬を口に運ぶ。何もかも、考えるのが億劫だ。
 これも、病のせいだろうか。
 まるでみどり児をあやす様に、彼は王子を寝かし、その身体に布団をかけようとする。瞬間、王子はその手を払っていた。
「眠くない」
「お気持ちは分かりますが……」
 彼にはわからない、わかるものか。分かっていたら、こんな風に自分の近くに――
「王子――?」
 瞬間、王子の身体を支配していたのは、確かに病の熱だったのかもしれない。伸ばされた手はただ、騎士を求めた。彼の首に抱きつくようにして、王子は。
「余は……」
 声が遠のいていく。心とは裏腹に、意識はどんどん眠りへと落ちていく。
「……どこにも、行くな」
 最後に、そういうのがやっとだった。



 目覚めた時、気分は爽快だった。ただ、すっきりとし過ぎて、どうも頭がはっきりしない。
「王子。もう、大丈夫なのですか?」
 お気に入りの騎士の嬉しそうな声に、王子もまた、笑顔で彼を見る。
「ああ、心配ない……ん?」
 何だか、騎士の方がやつれている様に見えた。顔色も悪い。
「何だ、ずいぶん酷い顔をしているな」
「いえ――」
 そこに、ようやく入ってきた医師が、渋い顔で言った。
「この男も無茶をします。昼夜一度も、貴方の側を離れなかったのですから。寝ずに三日も看病をしていれば、疲労困憊もするでしょう」
「い、いえ! それは……」
 思わぬ医師の告げ口に、恨めしげな顔をする。そんな騎士に、王子は苦い顔で言った。
「あまり無茶をするな。お前は医師ではなく、騎士だぞ。病に剣で敵うはずもない」
「その通りです、王子。上手い事を仰る」
 彼は、何か言いたげに王子を見たが、やがて苦笑に変え、素直に頷いた。
「……はい」
 そんな騎士の姿に、王子はふと病とは別の熱が生じるのを感じていた。
(何だろう、これは)
 いくら考えても、思い当たる節はない。

 ――ただ。

 ただ、何かが消えていくような気がした。
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