眠り王子様と反逆騎士
 昔々ある国に、一人の男の子が生まれました。その男の子は国一番の力持ちでした。
 まだ小さな身体で、大人が五人で運ぶような荷物でも、ひょいと持ち上げてしまうのです。
 みなは、たいそう驚き、そして口々に、こんな風に言いました。
「あれは、きっと妖精さまから力をさずかったに違いない」
 そして、そんな話が信じられるほど、彼は美しかったのです。

 やがて彼の噂は、王様の耳にも入り、彼はお城へあがりました。そして彼を気に入った王様は、少年を騎士に取りたて、自分の息子に仕えさせました。

 しかしそれが悲劇の始まりでした。
 魔法にかけられた王子様がこの騎士を求めたように、騎士もまた、深くこの主君を愛していたのです。

 ですが騎士は、忠義者でした。
 魔法のことを知ると、彼は迷わず友の元へと走ったのです。

 騎士の友人には、一人の魔法使いがおりました。
 魔法使いは、心から、友に降りかかった出来事に心を痛めました。
 ですが魔法使いはかしこい人でした。どんな魔法を使おうとも、騎士を幸福には出来ぬと分かっていたのです。
 彼の憂いが晴れるのは、王子の魔法が解けた時。
 そして彼の不幸もまた、その時に始まるものだったのです。



 あの夜から、幾日かが過ぎた。
 ただの従者として、主君に仕える日々。
 昔に戻っただけだ。そう言い聞かせてきたある日、騎士は一人、主君に呼びつけられた。
 そこで告げられた言葉は。
「最近、どうした」
 いつもとはうって変わって、そっけない言葉だった。王子らしからぬ物言いに、不安を覚えながらも、騎士は平静を装う。
「どうした、と仰いますと?」
「お前のことだ。ここのところ、上手くはぐらかされるばかりだからな。それだけじゃない。私が側にいても、どうも気がそぞろになっている」
 不機嫌さを露わにした主君に、騎士は戸惑いながら、言葉を探した。
 どうやら、不興を買ったようだが、その理由が分からない。
「そのようなつもりはございませんでしたが、王子がそうした印象をお持ちになったとしたならば、私の不徳と致すところです。申し訳ありません」
「そんなに、あの幼なじみの魔法使いが気になるか?」
「は?」
 突然、飛び出した名前に、騎士はぽかんと主君を見返した。棘のある言いようも奇妙ならば、その苦虫を噛み潰したような顔も不可解だ。
「何をおっしゃっているのか、私には分かりかねます」
「そうか、それがお前の答えか……なら、良い。馬鹿なことを言った。忘れてくれ」
 謝罪の言葉とは裏腹に、主君は不快感を露わに、騎士に背を向けた。残された騎士は、ただただ困惑するばかりだ。

 まるで、分からなかった。

 何故、彼があんな風に言ったのか。何故、自分を責めるような目をするのか。
「あいつと僕が、何だって?」
 騎士はしばらく悩んでいたが、ふと恐ろしい結論に行き当たった。
 ――まさか、私に謀殺未遂の疑いをかけられておられるのか?
 思い当たった途端、騎士は蒼白になった。震え始めた膝を押さえつけ、何度も深呼吸する。
 冷静に考えてみれば、疑われても仕方がないことだ。こっそりと薬を取り引きし、殿下の部屋の水差しに入れた。結果的に、殿下の身体には何の異変もないとしても、その行為だけを見れば、暗殺のそれと大差ない。
 身の潔白を証明することは、そう難しいことではないだろう。だが一歩間違えば、人の良い幼なじみまで犠牲になってしまう。
 それに、あのことだけは隠しておきたかった。

 魔法が解けた殿下にとって、そんな行為もそしてそれに甘んじた自分も、おそらくは。

 続く結末を振り払うように、強くかぶりを振る。
 自分だけが憶えている。それで良かった。
 多くの恋が苦いまま終わっていく中で、たとえ一時でも甘やかな時間を持てた自分は幸福な部類だろう。
 たとえ、その記憶が痛みをもたらすものだとしても。
 だが、贅沢にも願ってしまう。
 せめて、この夢だけは私の元に残して下さい。どうか誰も知ることのない記憶として、封じ込めたまま、永遠に。
 そんなことを望んでしまう。
「貴方にだけは――」
 騎士はそっと胸に手をあてる。そして、静かな決意を固めた。

 その晩、騎士は一人、城を抜け出した。



 ――それから、半年。

 騎士は、傭兵として生計を立てていた。あまり大きな仕事は扱わず、小さな村の用心棒を兼ねる程度の毎日だ。それでも、物騒な場所では、それなりに生活の足しになった。
 本来、無断での脱隊は、死にも等しい行為だ。
 最初の内は、いつ追っ手がかかるかと覚悟していたが、今となってはあまり思い出すこともない。
 日々を生きるのに精一杯だ。

 そんなある日のこと。ふと立ち寄った酒場で、隣に座っていた二人組が話しているのを耳に挟んだ。
「そういえばよ。知っているか?」
「何を」
「隣りの国じゃ、今、凄い事件が起こってるんだと」
 その言葉に、一瞬、騎士の手が止まった。隣りの国といえば、故国だ。
「何が起こっている、と?」
「王子様が昏睡状態なんだとさ」
 それを聞いた瞬間、危うく、話をしている男につかみ掛かるところだった。それを押さえつけ、彼等の話に注意を集中させる。
「何故っ!」
「それが恐い話なのさ」
 思わせぶりに手を広げた男が語ったのは、恐い恐い魔女の物語だった。

 となりの国に、王子様が生まれた時のこと。 王様は、とてもたくさんの人々に愛されておりましたので、多くの人々がこの祝いの場にかけつけました。
 ところが、その中に一人、悪い魔法使いがまぎれ込んでいたのです。魔法使いは、王様が気に入らなかったので、王子が悪い人間であることを、願っていました。

 しかし、魔法使いの目には、すぐに分かりました。
 この王子が心正しく育ち、幸せな一生をおくることが。
 それが面白くなかった魔法使いは、王子にとんでもない呪いをかけてしまったのです。
「この王子が恋に破れる時、その絶望に胸を暗くさせて死ぬだろう」
 ですが、そこに居合わせた、一人の良い魔法使いは、とっさに呪いを弱める魔法をかけたのです。
「いいえ、いいえ。王子様はただ眠るだけ」

 芝居っけたっぷりに話している横を通り過ぎ、店を出ると、騎士はその足ですぐさま、故郷へと馬を走らせた。
 自分がどういう身の上なのか、捕まればどうなるかなど、騎士の頭にはなかった。
 ただ、一人の人を救いたい、その一心だった。



 夜の闇にまぎれるようにして、その戸を叩く。すると、すぐさま扉は開かれた。
「……やはり戻ってきたか」
 現われた友人は、咎めるように騎士を見た。
「今まで、どこにいたのだ」
 だが、その質問には答えず、騎士は彼を問い詰める。
「これはどういうことだ。どうすればこの魔法は解ける」
「誰にもこの魔法を解く事は出来ない」
 冷淡な返答に、騎士の顔色が変わった。気色ばみ、彼を追いつめるように前に出る。
「何故だ。私は薬を飲ませたのに、あの魔法は解けていなかったというのか」
「魔法はとっくに解けていた」
「では、何故――」
「とうに解けていた、と言ったろう」
 仕方ないな、と言いたげに、魔法使いはため息をついた。そして、騎士の肩に手をのせる。
「行くが良い。お前にしか解けない」
 その声を聞く内に、騎士の視界が歪んだ。友人の顔が、渦の向こうに歪んで、見えなくなる。どういうことだと叫ぶと、その声が耳元で囁いた。
「――お前にしか、解けないんだ」


 気づくと、そこは見なれた寝室だった。
「いつの間に……」
 何も変わっていない部屋を懐かしげに見回し、寝台の上に目をやった途端、心臓が止まるほどの衝撃を受けた。
「王子――」
 寝台の横にあるカーテンが、静かになびいていた。眠ったままのその人は、こちらの呼びかけに全く応じることもなく、まぶたを閉じている。
 かすかに上下する胸元が、彼の唯一の答えだ。騎士は足音を立てないようにして、彼の枕元に立った。
 どれだけそうしていたろう。かすかに身動きした王子の額に、前髪がまとわりついているのに気づき、そっと髪をさらう。
 懐かしい感触だった。もう二度と、触れる事が出来ないと思っていたのに。
「王子」
 まだ彼が幼い頃、こうして枕元についていたことがあった。流行り病にかかった時だ。眠ったまま、何日も目を覚まさない王子に、どれほど不安になったろうか。
「王子、目を開けて下さい」
 たまらずに、頬に手を触れる。その温度は、最後の時と何も変わらないのに、瞳だけは開かない。
 その目が自分を見なくても良い。たとえ蔑まれても、閉じたままでいられるよりはずっと良い。
「私の心は、貴方の元に」
 ゆっくりと口づけた言葉は、別れの時と同じもの。
「貴方の元だけに」



 身を起こした瞬間、下からぐいと両頬を捕らえられ、驚く。視線を合わせられた先には、困ったように笑う主君の瞳があった。
「……どこへ行っていた」
 ややしゃがれた声だったが、まぎれもなく彼の声だ。騎士は、その手を払うことさえ忘れ、呆然と問う。
「王子」
「ずいぶん、老けたな。生活疲れか」
 久々の憎まれ口に、騎士も笑って返す。
「所帯やつれかもしれませんね」
「所帯?」
「……ええ」
 その手に全てを預けそうになるが、何とか自制する。やんわりと外すと、側を離れようとした。その瞬間、ぐいと強い力で体ごと引き寄せられる。
「ちょっと待て」
 抱きとめるようにして、こちらを見下ろす王子は、険しい顔をしていた。無理もない、いくらかつての臣下とはいえ、今はただの反逆騎士だ。
 騎士は覚悟を決め、主君の一言を待った。
「所帯ということはナニか? お前、いつのまに家庭を」
「……はい?」
 真剣な顔で問われ、騎士は思わず目を点にする。そんな部下に、彼は吐き捨てるように言った。
「嘘つき」
「は?」
「永遠に私だけのものだと言ったくせに」
 耳元で囁かれた言葉に、思わず顔が赤くなった。この距離、この体勢が、じんわりと甘い時間を思い出させる。
「私を愛していると言ったではないか! そのくせ、あの夜からまるで、何もなかったように、誘いにものらなくなった」
 うっかり流されかけたものの、ようやく違和感に気づいた騎士は、慌てて腕をふりほどき、身体を離す。
「それは、だって、何のお話で?」
「な、何のって……」
 今度は王子が顔色を変えた。赤い騎士に、青ざめる王子。先に動いたのは、王子の方だった。
「おい、魔法使いっ!」
 不機嫌そうに、枕元のベルを鳴らす。すると、どろんとばかりに、魔法使いが姿を現した。
「何です」
「お前の覚え違いではないか。どうやら、私ではなく、この男の方が忘れ薬を飲んだようだぞ」
「は?」
 その単語に、騎士は恐る恐る魔法使いを見た。彼は淡々と王子に向かい、
「いいえ。間違いなく、残っていた方が忘れ薬でした」
「しかし!」
「どういう……ことだ」
 ようやく出した声は、かすれていた。
 驚きや戸惑いだけではない。今までずっと守り通してきた何かが、壊れていくような気さえした。
「お前、一体、殿下に何を教えた!」
「俺がお教えしたのは、呪いのことだけだ。それ以上のことは何も」
 目の前が暗くなった。騎士にはもう、主君を振りかえるだけの気力さえない。
「余計なことを――」
 呟きを聞きとがめた魔法使いは、深く何度も頷きながら言った。
「確かに余計なことだった。俺もお前も、そして大臣も」
「何だと?」
 自分はともかく、何故、大臣まで。
 怪訝そうに顔をしかめた騎士に、魔法使いはすっぱりと言い切った。
「呪いはとうに解けていたそうな」
 騎士は、一度首を傾いだ。そして、もう一度。
「……何で?」
「それが俺らにも分からない。だから、お前に聞いた方が良いと思ったんだが」
 そういうと、魔法使いは真顔をぐいと近づけた。
「お前、お小さかった頃の殿下に悪戯を働いたことはあるか?」
「殴るぞ」
「ああ、やっぱりなさそうだな」
 そんな二人のやり取りを面白くなさそうに見守っていた王子は、改めて騎士の目を自分に向けさせて問う。
「覚えていないか。十才くらいのことだ。流行り病にかかって、お前がずっと側に」
「ああ、あの時――」
「あれ以前の記憶が、所々ぽっかりと抜けている。それも、お前に関することばかりだ」
 こちらを見つめる王子の目に、その時の王子を思い出す。あの頃の王子はまだ、自分の胸くらいまでの背しかなかったのだ。
 そんな感慨に耽っていた騎士の耳元で、悪魔のような友人が囁く。
「お前……やっぱり、王子が熱で動けないのを良いことに」
「斬るぞ」
「すみません、もう言いません」
 憮然と腕を組んだ騎士は、ぽつりぽつりとその頃のことを話し始めた。
「あの時……は、確かに困りましたな」
「困ったって?」
「王子がなかなか離れて下さらなかったのです。私にはうつらないと分かった途端、離れるなの一点張りで、寝付くまでずっと」
「ずっと?」
 騎士は一度、言葉を止めた。軽く主君を見ると、彼は話せというように手を振る。
「……抱っこしろ、とせがまれて」
 困ったものです、と騎士。
「あの頃の殿下はまだ、子供でしたね」
 無邪気な笑みでそう言い切った騎士に、他の二人は声をそろえた。
「それだ!」
「は?」
 きょとんとした騎士を尻目に、二人は得心したように頷く。
「なるほど。それで、呪いが解けたのか。分かってみれば、単純だな」
「あ、あの、何が何やら、良く分からないのですが」
「ああ、良い。お前はそれで」
「はぁ?」
 王子の投げやりな言葉に、不満そうに眉をつりあげる。そんな友人の耳に、魔法使いはこっそりとある事実を告げた。
「実はな、あの薬」
「薬」
「流行り病の治療薬と、同成分だったらしい」
 騎士は必死に考えた。
 王子にかけられた魔法を解く為の薬は、流行り病の治療薬と同成分だった。つまり、あの薬を飲ませるよりも前に、王子はその薬を知らずに口にしていた。
 行きついた結論に、騎士は恐る恐る魔法使いに問う。
「つまり、そうなると」
「良き魔女がかけた呪いは、とうの昔に解けていたそうだ」
 その事実に、騎士は卒倒しそうになった。怒りのあまり、大声でまくしたてる。
「危険じゃないか! あの時の殿下はまだ子供だったんですよ。死の呪いが解けるより先に魔法が解けるなんて……一歩間違えれば、死んでます!」
 そんな騎士の剣幕に、魔法使いは茶化すように王子を見た。
「……だ、そうですよ」
「まぁ、そう思っていてくれ」
 しれっとした顔で言ってのける。そんな主君に、騎士は困ったように首を傾げた。
「そこまでは分かりましたが、それと今回の件がどう結びつくのか分からなかったんですが、つまりその、どういう事です」
「分からんか」
「はい、一向に」
 そう答えた騎士の顔を手で挟むと強引に口付ける。
「こういう事だ」
 固まっている騎士を覗き込み、王子は意地悪く笑う。
「今までの睦言を並べ立てないと理解できないか?」
「いえ、良く分かりました」
「宜しい」
 そう言って笑った王子には、気を利かせて去っていく、魔法使い達の声が聞こえていた。

「全く、失礼しちゃうわ。私の魔法を欠陥みたいに。呪いが解けない限り、その魔法が解けることはないっていうのに、全くもう! 私の不手際みたいに言われるなんて、心外だわ!」
「まぁまぁ。良きことは、我々だけが知っていれば良いのですから。わざわざ説明するなど、興ざめです」
「それはそうだけど……」
「それに、魔法が腐れていたことだけは、事実なんですから」
 思わず、くすりと笑うが、騎士は気づかない。ただ、されるがままになっている。そんな恋人を腕の中におさめ、王子は唄うように囁いた。
「――こうして、王子様と騎士は再び出会うことが出来たのです、めでたしめでたし」


 そんな眠り王子様のお話。

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