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 血縁上の父の最期。
 その場に、キルシュは立ち会った。
「……キル、……シュ」
 その呼びかけに、眉ひとつ動かすことなく。
「お前は、我が名を継ぐな……」
 その願いに、応えるでもなく反発するでもなく、彼はただ男を見下ろすだけだった。
「……お前、だけは……、お前、だけには」
 周囲の方が耐えきれなくなる中、キルシュだけが無情にそれを眺めていた。
 そのキルシュの肩を、もういい、と叩いたアリュードを見返して、キルシュは分かった、と退出した。

 別に、傷ついてはいない。だが、そう伝えても、アリュードは納得しないだろう。
 アリュードは、見た目ほど甘い訳ではない。けれど、やはり友に対してはどうしても見方が甘い。
 どう言っても、アリュードの中で、キルシュは優しい人間という誤った認識を拭い去ることは出来ないらしい。
(そうじゃないんだ、アリュード)
 優しいアリュード。その傍で、常に彼を守り続けるキルシュ。
 周囲は、そんな風に認識していたけれど、実はそうではない。
 キルシュはもっとずるくて、彼を守る為になど動いていない。だからこそ、自分の為に、アリュードにさえ嘘をつくことがある。
 そして、アリュード自身もある程度はそれを認識した上で、キルシュと友人を続けている。
 文句を言いながらでも、キルシュを理解する数少ない人間の一人として。
 けれど時折、アリュードはその優しさ故に、キルシュを理解しない。
 そしてそんなアリュードに、真っ直ぐ過ぎる故に、キルシュは本当のことを言えなくなる。
 ただキルシュは、最後にあの男と交わした会話を思い出していただけだ、と。



 彼は、あの牢で、こんな言葉を残した。
「人は永遠ではない。心も、身体もな。そのことを、私は前の王妃で学んだ」
 王妃、という時だけ、彼の目は遠くなった。
「けれども、名君ほど、そのことを忘れさせる。絶対と信じさせる力がある。その魔法は王に力を集める地盤となり、あの時代が出来た」
 キルシュも、ようやくそのことだけは理解していた。
 今となっては自己保身しか残っていない彼に、ごく僅かでも何かがあった時代があったのだ、と。
 そして時代の終わりと共に、彼は全てを失ったのだ、と。
「魔法を引き継いだのが彼だ」
 ヨーゼフ陛下、と呟くが、彼は肯定することはなかった。認めたくはなかったのだろう。
 だから、こう続けた。
「だが彼は王妃のような、完全な存在ではない。その限り、あれはいつか脆く崩れ去るだろう」
 人に、夢だけを見させて。
「なら、得られない方が良い。どうせ完全な世界が与えられないのならば、少しでも自分に都合のいい世界を」
 だから、王を廃そうと決意した。
 その言葉に、キルシュはしばらく考え、ため息をついた。
「それは、私も同感です」
 言ってから、自嘲の笑みを浮かべる。
 結局、自分は同じなのか。この男と。
(なぁ、アリュード)
 お前なら、どうするのだろう。
 多分、アリュードは、そんな身勝手な世界に、憤りを隠せないのではないか。
 アリュードはおそらく、底なしの善人なのだ。
 人間が善良でないことを知っているくせに、善良でいられない人間を許すくせに、それを良しとはしない。
 そんな友が好きだった。そんな友だからこそ、キルシュは側にいた。
 キルシュは知っているからだ。
 この身勝手な世界で、自分はいいのだ、と望んで落ちていく人間がいることを。
 それでも、キルシュはアリュードとは違う。善良な人間ではない。
 だから、決めた。
「だから私は、自分に都合のいい世界を作る為、王を擁護する」
 その言葉を聞き、ジェラードは少し考えていたようだった。
 けれど、彼から反発の言葉はなく、ただそうか、と呟いただけだった。

「さようなら、ジェラード公」
 それが、彼ら親子の間に交わされた、最後の言葉となった。
  

素材配布元:「神楽工房」様