-17-

「おや、ビバルディ裁判官」
 振り返った黒服の裁判官は、冷徹な印象を与える無表情のまま、一礼する。
「珍しいですな。このようなところでお会いするのは」
「こちらほどではないですが、王が変われば、司法院も色々と提出しなければならないものが増えるので」
「まぁ、そうですな。体制が変わるというのは、面映ゆいものだ」
「貴方も立ち話どころではないのでは? サーシャル大臣」
 皮肉を込めたキルシュの言葉を、彼は平然と聞き流し、息抜きも必要でしょう、と手を広げてみせる。
「ここで会ったのも何かの縁。どうです、キルシュ殿。お時間を頂けませんかな」
「……何故、私が貴方と」
「貴方もたまには、私と話したいことがあるのでは?」
 意味ありげなサーシャルの言葉に、キルシュは眉をひそめた後、短く頷いた。
「どこで、です」
「私の執務室はいかがでしょうか。あそこならお茶も出せるし、逢瀬の邪魔も入らない」
「茶はともかく、人が来ないのはいいですな。ここ数日、慣れないことばかりで、さすがに疲れました」
「はは、アリュード殿の懐刀は人嫌い、との噂はどうやら真実の様ですな」
「左様」
 からかうような言葉をも、彼は平然と受け流す。
 その横顔を一瞥し、サーシャルは執務室へと彼を招き入れた。



 貴族らしい、優美な形のテーブルに、華奢なティーセットが並べられる。
 キルシュは特に感慨もなく、それを眺めてはいた。しかし、ティーカップを持つ手を見れば、けっして慣れていないことが伝わってくる。
「貴方には、馴染まないでしょうな」
「ええ。育ちの限界ですね」
「こういうのはお嫌いですかな」
「いいえ、そうではありませんが、私には似つかわしくないと思うだけです」
 固い口調に反するような、緩い言い回しに、サーシャルは少し目を瞬かせ、そうですか、と笑む。
「どうして、何の手も打たれないのですかね」
 ぽつりと問われたことに、キルシュは何の動揺も見せずに、紅茶を口に運ぶ。
「何のことでしょう」
「貴方、お父上から聞いたのではないですか」
「……はて、何のことやら」
「ああ、とぼけなくとも結構。どの道、我々に罪など問えないでしょうから」
 本音で話しましょう。
 そう持ちかけられ、ようやくキルシュは眉をひそめた。かちゃり、とカップを置き、真っ直ぐにサーシャルを見返す。
「そうお思いならば、私に確かめるまでもありますまい」
「だが、解せないのですよ」
「何が解せないと?」
「だからといって、黙っていられぬのがヒルズ裁判官で、それを補佐するのが貴方だ。黙っていられるはずがない」
 キルシュは、しばらく無言だった。サーシャルも一切視線を外すことなく、二人のにらみ合いが続く。
 その末に、キルシュはようやく一言、洩らした。
「私とて意志がない訳じゃない」
 どういうことだ、と問われ、キルシュは逡巡した後、重たい口を開いた。
「アリュードに告げれば揉め事は避けられない。それは私の本意ではない。ただそれだけのこと」
「それは本心ですかな」
「……ええ、心からの」
「陛下の為ではないのですか」
 サーシャルの問いかけに、キルシュは一瞬だけ、目を瞬かせた。
 それを隙と見取り、サーシャルは更に畳みかける。
「もし我々が動いたことが公となった場合、立場が危うくなるのも陛下だ。だから貴方は黙っている。違いますかな?」
「……馬鹿馬鹿しい」
「そうですか?」
「ええ、実に」
 キルシュの手がカップを取り上げた。そして、茶飲み話のような口調で、さらりと言う。
「もし私が彼を想うなら、いっそ表ざたにしているでしょう。それをしないのは、私が安定を望むから」
 つまりそれは。
 サーシャルの無言の問いかけに、キルシュはきっぱりと明言する。
「ヨーゼフ様を人柱にして、自分を守ることを選んだ、ということだ」
 かちゃり、とカップを置き、キルシュは優しい目で、サーシャルを見つめる。
「貴方が何の為に、その問いかけをするのかは分かりませんがね。少なくとも、私は貴方の望む答えは差し上げられませんよ」
 絶句するサーシャルに、キルシュは、ここにきて初めて満面の笑みを浮かべた。
  

素材配布元:「神楽工房」様