こぽこぽ、と茶を注ぐ音が聞こえる。
 やりましょうか、と言ったが、即座に断られた。
 どうやら相手には、茶に対するかなりのこだわりがあるらしい。他人の淹れ方は見ていられないんだ、というのが本人の弁。
「しかし、あれも分かりにくい男だからな。お前も大変だろう」
「まぁ、分かりにくい……といえば、分かりにくいですが」
 一度呑みこんでしまえば、さほどでも。
 その答えに、彼は大きく眉を寄せた。
 一見すると不機嫌そうなこの表情は、しかしながら、あまり素直でないこの男の上機嫌なのだと察するには少々時間を要した。
 僕から見れば、クレオよりも余程分かりにくい。
「最初、あれがお前を連れてここに来た時に、言ったものだ。他の人間には、お前の好意は分かりにくいんだ。何も言わずに、悟ってもらうことなど不可能だ、と」
「ははぁ」
 頷いた僕は、ふとあることに気づいた。
「最初に来た時?」
 相手は当然のように頷いた。
「そうだ。最初、この谷に来た時から、俺にはすぐに分かったぞ」
「ええと……あの、呪いの件で来た時、ですよね」
「そうだな」
 あっさりと言ってくれる。
「大体、あいつは誰にでも優しいように見えるからな。かえって、好意を寄せている相手には分かりにくいもんなんだ、これが」
 それは何となく分かるような気がした。



「大丈夫だから」
 僕の背に回ったその人の腕を、振りほどくことも出来ず、僕はそっとその腕を引いた。
「……クレオ」
「すまない」
 詫びの言葉とは裏腹に、僕を抱きとめる力は増す。
 耳もとに、そっとクレオの声がおちてきた。
「分かっていた。ここに留めることが、貴方の幸せに繋がらないということは」
 熱っぽい響きに、心音が大きくなる。
「エルネストと重ねただけなのかもしれない、とも思った。ならば、何も言わずにいる方が良いと、そう思っていた時もあった」
 けれども。
 そこで言葉が止まり、僕はそっと彼を見上げる。
「それでも、もう一度貴方に」
 額に、唇に、もどかしげに降ってくる熱は、僕の中に多くの衝動をもたらす。
 会いたい。触れたい。聞きたい。
 一つ叶えられれば、すぐに別のもう一つが生まれてくる。
 この感情の名前は。
「リュージ」
「……僕も」
 すぐに認めるのは、怖かった。だから素直に、この感情をぶつけてみる。
「どちらの思いなのか、分からなかった。この感情がフリージオ王子のものなのか、それとも僕のものなのか」
 それが僕の迷いだった。
 けれども、もういいのだ。
 たとえクレオが見ているのが誰であっても、僕が持つ想いが誰かのものであっても。
「想いが、ここにあるのなら、どちらでもいい」
 僕が彼に与えられる熱がここにあって、こうして彼に触れることが出来て、そして彼も同じように想ってくれるのならば。

 生きていたいと思う。

 再び与えられたこの身体で、もう一度だけ――



「大体だな、あれは難しく考えるようなタイプじゃないんだ」
 彼の声に、ふと僕の意識は回想から現実へと引き戻された。
 目の前で悠然と腕を組む男は、ちらりと窓へと視線を投げる。
「好きになった。それが全てなんだ、あれは。それ以上のことを考えるから、色々込み入ってくる」
 単純なくせにバカな弟を持った俺は不幸だ。
 本気かどうか分からぬ顔で、クレオの兄、エルリックはそういうと、穏やかな笑みを僕へと投げかけてくる。
「俺にはすぐに分かったぞ。お前を見るアレの目は、それはそれは幸せそうで、後ろから小突き倒してやりたくなるほど、素でのろけていたからな」
 にやりと笑うその人からわざとらしく視線をそらし、僕はふと窓の外へと注意を向ける。
「あ」
「ほう。こんな遠くからでも分かるとは、愛の力は偉大だな」
「そうからかわんで下さい――義兄さん」
 開いた窓から、谷を流れる風が吹き込む。
 ばさばさと揺れる前髪を手で押さえ、僕は空を仰いだ。

 ――おかえり。

 そう小さく呟いて。

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