僕にとって、エルネスト兄様は憧れの人だった。
 その感情はクレオに対するものとは違う。けれども、想いの強さは変わらない。
 いや、同軸で語れるようなものではない。
 守りたいのはクレオだった。あの人の想いに応えることは出来なかった。
 けれども。それでも。
「リュージ」
 君がここに呼ばれてきた理由が、ようやく分かった気がするんだ。

 きっとね、僕の決断は――



 僕はテラスに手をかけ、庭一面に広がる緑を見下ろしていた。
 この前、植えられた種はまだ芽吹かない。
「……今日は、風が強いね」
 こんな日は、いつも思い出す。
 彼と出会った風の谷と、あの日交わした彼の言葉を。
 その彼は今、僕の後ろに立ち、同じ庭を瞳に映している。
「クレオ」
「はい」
 横顔をこっそりと盗み見、僕は小さく息を吐いた。
「これで、全て終わったと思うか」
 僕の問いに、彼はほんの少し眉を寄せた。
「一つ、解せないことがあるのです」
「……何が?」
「呪いは七つ。そう聞いていました」
 ぎくり、と胸が大きくはね上がる。
 さりげなく庭の方へと視線を降ろし、出来るだけ自然に響くよう、声音を作る。
「そう、だね」
 背中に感じるクレオの視線が痛い。
 そんな厳しさは、出会った頃のままだ。年を重ね、少しずつ騙すことを覚えた彼だが、やはり根本に正直さがある。
 クレオは、ぬるい誤魔化しなど許さない。
「今まで、彼等が払ってきた呪いは六つ。なのに……」
 そこでクレオは、わずかにためらった。
 彼の言葉をさえぎるように、僕は答えを割り込ませる。
 残酷な、けれどもクレオが欲するその結末を。
「七番目の呪いは、希望を失うこと」
 その瞬間、クレオの目に過ぎったものを、僕はただ見つめる事しか出来なかった。
 クレオの目に、僕の中に残る記憶が揺れる。
 僕は知らない。けれども、この身体は憶えている。
 痛みを伴う、この感情を。そしてその名を。
 けれども僕の内には、共鳴する心はないのだ。
「フリージオ様」
「……なに?」
「貴方がいなくなって、皆は変わった。前を、見なくなった。七つ目の呪いはこの地に」
「そうだね、七つ目の呪いはこの地にあった」
「では、その呪いは今どうなっているのです。何故、彼は」
「呪いは魔女の力によって、この地に甦らされた死者からもたらされる。その死者を消すことで、呪いは払われる」
 完全に言葉を失った騎士に、僕はそっと囁いた。
「それが答えだよ、クレオ」



 昔話をしよう。
 そう言った僕に、クレオは沈黙したままだった。
 だが僕は構わずに話し続ける。
「グローリアは、この世界を醜くて、救いようのないものだと思った。その想いが、白の魔女を召喚してしまった。僕は、白の魔女がもたらす審判を止める為、黒の魔女を召喚した。だが、それら二つの力は同じバランスでしか存在出来ない」
 二つの魔女を拮抗させることでしか、破滅の運命は止められない。
 だがそれは同時に、世界の停止を意味する。
「七つ目の呪いだけは、死者の願いとは無縁だ。全ての根源たる二人の魔女が象徴する、厳しさも優しさも拒絶する。それはつまり、絶望の中で生きるということだから」
「……リュージ」
 唇からこぼれた名が、僕の耳を流れていく。

 再び世界を動かす力が必要だったのだ。
 白の魔女でもなく、黒の魔女でもなく、人の意思によってこの地に甦らされた死者の力が。

「何故、リュージだったのですか。何故、彼だったのですか」
「分からない?」
 我ながら、意地悪な問いだった。
 クレオはしばらく考え、そしてぼんやりとした目を僕へと向ける。
「エルネストに……似ていた、から、ですか」
 僕は頷いた。
「唯一なんて選べない人なんだよ。だからこそ、自分を犠牲にしちゃうんだよ。それで周りが傷つくことなんて分かりもしない……グローシアが愛した人はそういう人で、それこそが悲劇の始まりだった」
 おそらくクレオは初めて会った時から、気づいていたのだろう。
(――王子?)
 あの呼びかけは、僕へのものじゃない。
 僕の身体にいた魂が、彼の記憶のその人に良く似ていたから。
 彼の魂は、エルネスト兄様に似ていた。
「だから、彼だった」
 彼にとってどうでもいいことなのだ、としか言えない。
 破滅的な想い。
 愛する誰かの幸福を願って、願い続けて、けれどもそれが叶わぬことを知る。自分の存在が、自分の想いこそが、相手を不幸にすることを知る。
 その絶望が、白の魔女を呼んだ。
 身勝手な想い。
 愛する誰かの幸福など知らない。けれどもただ、側にいて欲しいと願う。想いが叶わぬのなら、せめて生きていてと願う。
 その祈りが、黒の魔女を呼んだ。
 そんな二つの暗い想いは、この世界を止めてしまった。
 だが、そんな世界を動かす、強い想いはここではない世界から吹き込んできた。

「リュージは、この世界を動かす風だった」

 テラスに手をかけ、僕はそっとクレオの方を振り返る。
「約束して」
 この思い出の場所で、僕は再び彼に残酷な運命を与える。
 認めよう。これは僕のエゴだ。
 目の前にいる、大好きなこの人を限りなく苦しませることになるかもしれない。二度と、笑うことが出来なくなるかもしれない。
 だが、それでも僕は最善を選ぶと決めた。
「君の目に映すこの世界で、運命がそうと定める時まで、ずっと生き続けると」
 約束して――リュージ。
「フリージオ様!」

 たとえこの先、僕が君と同じ風景を見ることなどないとしても。

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