炎系の術は、攻撃的な気がする。
 だが、この世界の炎は、実はそこまで攻撃的ではなくて、ちょっとした生活の手助けとして使われたり、浄化の為に使用することも多い。
 足元を照らす魔法の炎は、一番初歩的な召喚術だけあって、そこまで負担がかからないのは幸いだが。
 その代わり、持っているとちょっと間抜けだ。
 炎を手にもって格好つけるポーズって、アニメだったかゲームだったか。どちらでもいいが、あれは現実にやると、かなり間の抜けたものだと思う。
「どうした、リュージ」
「あ、いや……ほら、出られるのかな、と思ってさ」
 すると、クレオは、あっさりと何とかなる、という。
「出口はあるさ。水路なんだからな」
「なんでそこに落ちるんだよ、俺達が」
「それは分からんが、場所は間違いないと思うぞ。ここは地下水路へと続く道だ」
 何故、自信たっぷりに、地下通路を指摘出来るのか。
 色々と疑問の残るところだったが、若き日のクレオの素行を考えると、聞くまでもないような気がする。
 いや、ほら、水竜と仲良しだったから、とか色々まっとうな理由もつけられるし、多分それが正解だと思うけど。
 なんか良からぬことに使ってそうな気がする。
(ん……?)
 何故だろうか。
 クレオの学生時代を考えると、なんだか胸がすっきりしない気分になる。
 おぼろげに思い出せるのだ。クレオの記憶とつながったことや、町を見ていた少年のこと。そんな光景が浮かんでくるのに、何故か上手くつながらない。
「ああ、やはり変わっていないな」
 懐かしげに周囲を見ているクレオ。そんな彼の慣れた足取りについて歩く。こんなクレオを見ていると、あんまり軍人っぽくないと思うけれど、それでもこの人は。
(騎士、なんだろうなぁ)
 何となく、そう理解してしまった。
 合わせて変えられるものと、そうではないもの。
 多分、僕の知らないクレオの人生には、その二者択一を迫られる場面が沢山あったのだろう。その決断に対して、クレオは一切の苦悩を見せはしない。
 だが、目の前で苦しんでいないから、それは悲しくないのかといったら、それは違うんじゃないだろうか。
 彼は騎士であることを選んだ、そういう枷があるからこそ、素直に悲しむことを自分に許さない。
 ――なんだろう。
 今、何かが。
「クレオ! リュージ!」
 誰かの声が聞こえ、僕はクレオと顔を見合わせた。
「リオデラートだ」
「ああ、そうか。リオンもこの辺りの出入り口は、把握していたか」
「楽しそうだな、お前等の学生生活って」
「そうだろうか」
「うん、騒がしくて」
 笑って答えたその時。
(あ――)
 また、だ。
「リュージ!」
 クレオの声に、大丈夫だと笑ったところで意識が溶ける。

 今、ふいに全てのピースが填まったような、そんな気がしたのに。



 入り込んでくる記憶の欠片。
 それは今までの記憶よりも淡く、そして痛みと共に認識される記憶。

 暗い風景が早く流れる。一瞬、戸惑ったがすぐに水路と知れた。視界の主が走りながら、水路の階段を上がっていき、そして突然世界が開ける。
 上がりきったそこには、緑の庭園が広がっていた。

 あがった息を抑えもせずに、視界の主は周囲を見回す。そして、人気のない噴水の近くに、水竜と共にいる人影を発見した。
「エルネスト!」
 呼びかけにも、少年は背を向けたままだ。焦れた声の主が、大股で近づいて彼の肩に手をかける。
「おい、答えろ!」
 その手が、ぴしりと撥ねつけられた。一瞬、動きを止めた手の主を睨むように見上げる、その顔は。
「いい加減、恋愛ごっこは卒業してもいい頃だろう」
「ごっこ、だと?」
「ああ、ごっこ遊びだ!」
 間近で見たのは、これが初めてだったかもしれない。
 少し首を傾ければ唇に触れるような位置で、この顔をはっきりと見たことで、僕はあることに気づいた。
 この顔は――
 彼は薄く唇を曲げると、大きく振り払うように片腕を回した。その勢いに圧されて、視界の主が少し距離を置く。
「騎士だといったな。お前は、自分を騎士だと」
 一切の言い訳を許さぬような、厳しさに満ちた目は、あまり似ていない。造りは似ているが、細部が違うことは良く見れば分かる。
 だが、一瞬だけ見たら、この人は。
「なら、男にうつつを抜かして、この国を捨てるような者が騎士といえるのか! 自分の行動が分からぬ男に! この国を守る騎士たる資格があると思うのか!」
「……それは」
「選べるのか。反逆者となり、家族も騎士の名も誇りも捨てる道を」
 反論の余地すら与えず、突きつけられた言葉は全て、彼が向き合わねばならぬ現実。
 一瞬のためらい。それすらも、相手は許さず、一笑に伏す。
「ほら、見ろ。捨てられんだろう、お前には」
 反論はなかった。項垂れたかつての恋人に、彼は棘のある言葉を投げかける。
「結局、お前は優等生なんだ。自分のすることが、どんな意味を持つのか。いつでも、冷静に見据えてる。だから、取り返しのつかなくなるようなバカはやらない。引き際は心得ている」
 そんなお前に恋などしない。そう言った声は、僕の感覚では酷く、悲痛に響く。
「初めからお前が、気に入らなかったから、誘ってみただけだ。だから、どこまで踏み外すのか見届けてやろうと思った、それだけだ」
 お前など好きになったことは一度もない、と呟いた声に、視界の主が強引に背を向ける。
(クレオ!)
 届くはずもない声を、僕は張り上げる。
(違うだろう、あれは違う!)
 僕にも一目で分かるほど、あの嘘は拙く、そして稚いものだった。
 けれども、この記憶を塗りつぶす悲しみは、たとえようもなく深い。怒りもまた、救いようもないほど強い。
 嘘だと分かっていても、どう答えて良いのか分からないのか。それとも、嘘だということが分からないのか。
 クレオの気持ちが、良く分からない。



 顔を上げると、そこにはクレオとリオデラートの心配そうな顔があった。
「……あれ?」
「大丈夫ですか、リュージ」
 ふらついたのは、一瞬だったようだ。リオデラートは確かに不安そうだったが、いつもほどの悲壮感はない。
 そこで、ふと気づいた。
「ここは?」
「ああ」
 広がる光景には、見覚えがあった。
 緑の庭園。張り巡らされた水路から伸びる水竜の首。
 だが、どこで見たのか、それが思い出せない。
「ここは、エルネスト様が安置された場所です」
 リオデラートの言葉に、手が震えるのが分かった。それを握ることで誤魔化し、平然と尋ねる。
「どうして、ここなんだ?」
「生前、エルネスト様が良く言っていらしたのです。自分が眠るのなら、ここだと」
 リオデラートの目が、静かに閉じられた。
「王国の第一王位継承者として、王子として、陛下の盾となり支えとなり、生きてこられた方です。そんな人生の中で唯一、わがままに生きた時間がここでの学生時代だったのでしょう」
「唯一」
 その一言に、僕を見下ろす水竜の瞳に、今まで流れ込んできた記憶が合わさった。

 エルネスト王子。

 僕はそっと石碑へと手を触れた。
 どこか、など聞かずとも分かる。竜の瞳が、そこへと導いてくれる。
「……フリージオ」
 声が聞こえる。振り返った僕は、そこに茶髪の青年が立っているのを見た。
「やはり、ここに来たのはお前だったか」
 違う、と言うべきだったのかもしれない。
 けれど、僕の口から滑り出した言葉に、愕然とする。
「エルネスト兄様」
 湧き上がる感情は、僕のものなのか。言いたくないのに、止められない言葉は、一体誰のものなのか。
「エルネスト兄様は、クレオのことを」
「憎んでいたよ」
 ためらうことなく、言い切った。けれども、僕は首を横に振る。
「違うでしょう」
 その声は揺るぎ無い。そのくせ、ひどく優しく響く。
「そうじゃ……なかったでしょう」
「お前……」
 首を振るエルネストの瞳も、限りなく優しい。その視線の緩さに、僕の中で全てのピースがかちりと填まる。
「お前には、分からんよ」
 だから下がっていなさい。
 そう呟いた声を、その響きを、僕は知っている。
(今はまだ俺に任せて下さい……フリージオ王子)
 身体の感覚が戻ってきた。僕はそっと、彼に笑いかける。
「そうですね、エルネスト王子。フリージオ王子には、見せる訳にはいかないでしょう」
 僕がそういうと、彼もまた薄く微笑んだ。
「君は、理解しているようだな」
「貴方ほど出来ちゃいないが……僕も、兄の端くれですからね」
 やや遅れて駆け寄ってきたリオデラートが、小さく息を呑んだのが分かった。記憶のないクレオは無言だったが、本能的に何かを感じているのだろう。緊張感は伝わってくる。
「貴方が選んだのは、この国と家族だった。そういうことだ。憎んではいなくても、王子が思われるような感傷はない」
 だからクレオは、フリージオ王子の下に就いた。
 もちろん、それは最初のきっかけにしか過ぎない。クレオは真実、フリージオ王子を敬愛するようになった、その忠誠に嘘はない。だが、エルネストの存在もまた、大きかったことは否定出来ないだろう。
 彼にとって、フリージオ王子とはもう一つの意味を持つ存在。
(――ありがとう)
 そう微笑んだエルネストに、邪心はなかった。だから、あの選択は間違いではない。
 だが、後悔をしなかったわけではなかったのだ。

 クレオが、ずっと言葉にしなかった記憶。
 その問いを重ねながらも、フリージオ王子を見守ることで、エルネストの想いに応えた。
 決着をつけた想いだった。二度と、恋人同士となることは出来ないと、クレオ自身がそう決めていた。
 わだかまりを残したままだった。それでも信頼し続けた。痛みを、恨みを消した訳ではなかった。それでも同志であり続けた。
 かつてと同じ想いはなかったかもしれない。それでも、クレオはエルネスト王子への想いを忘れることはなかった。だからこそ、彼は寂しいとも悲しいとも言わなかった。
 けれど、フリージオ王子も逝ってしまった。

 クレオはどんな思いで、ここまで生きてきたのだろう。



 いつか、僕は言ったことがあった。
(もっとも、クレオが王子様とデキてたって聞いても、それは驚かないけど)
 クレオは否定しなかった。そして、きまり悪そうに。
 ――割り切れているつもりだったんだがな。
 それを僕は、フリージオ王子という意味で取った。だが、クレオはおそらく違う意味で取った。
(名前を出す時とか、話す時の感じで)
 クレオは何度かエルネスト王子の名を出していた。
 それに今から思い返せば、あの会話の流れでは、そういう勘違いが起こっても不思議ではなかったのだ。

 あれは、死が失われた村で出会った青年のことを聞いた時のことだった。僕は、かつての自分と似ている、ということで頭が一杯になっていて、半ばすがるような気持ちでクレオに尋ねた。
 あの時、僕は否定していたけれど、クレオの反応に救われたいと、どこかで思っていたのかもしれない。
 けれども、クレオは僕の満足するような答えをくれなかった。
(どう思った)
 ――何故、そんなことを。
 迷った瞳は。
 あの時、リュージなのかと聞いたのは。
 ――その……記憶が、大分フリージオ様のものが引き継がれているようだから。
 僕は言い訳だと思った。だが、あの問いは、エルネストを知らぬはずの僕が、青年への執着を見せたからで、フリージオ王子を重ねたからではない。
 クレオにとって、あれは山崎隆二に似ている青年ではなかった。
 彼が切ったのは、エルネスト王子に似た人だった。

 かつての恋人に、良く似た人だった――

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