話しながらも、リオンは時折、不快そうに眉をしかめていた。
 その表情からは、口で言うほどリオンが未だ迷っていること、自分の行為に嫌悪感を捨てきれずにいることが伝わってくる。
「確かあれは、お前がファーミリオンに偵察にいくと決まった時かな。いや、その前だったか……とにかく、その辺りの時期だな」
 歩きながら、一つ一つの部屋を確認していく。
 最悪、俺とリオンが回って、異常を確認できなかった時には、リュージを起こすしかない。だが、出来れば最低限にしたいのだと言ったのは。
「リュージが残る確率を上げるには、彼の肉体と魂を引き離せば良いんじゃないかって、そう言ってきたんだ」
「残る確率?」
「リュージを助ける手立て、さ」
 その投げやりな言い方に、違和感を持った。それを確かめる為に、聞き返す。
「この……ファーミリオンでのこと、だろう?」
「違う」
 きっぱりと否定し、リオンは早口で続ける。
「肉体から流れ込むものが、魂を侵食する。それならば、ずっと同じ肉体でなければ、その進行は遅くなるんじゃないか。それがお前の立てた、仮説だった」
 説明になっていないことに、リオンが気づいていないはずもない。それでも改めないのは、自分でも口にしたくないことなのだ。
 肉体と魂が分離している存在は、たった一人しかいない。そして、リオンに苦悩させるということは、それが二択だということ。
 リオンは額を押さえ、泣き笑いに似た表情を浮かべる。
「……ロクなこと、考えないな、お前は」
「それで、お前の答えは」
「二つの身体を行き来することで、魂に耐性がついて、リュージという個が確立する可能性は上がる。もしかしたら、フリージオ様とリュージ、二つの人格を内包した魂が出来るかもしれない。だけど」
 ためらい、そして俺から目をそらし、ぽつりと呟いた。
「器となった身体の方に、リュージの魂が定着してしまう可能性もつくんだ」
 一瞬だけ考え込んだものの、すんなりと理解出来た。
 すまないとは思った。だが、言葉にはせず、俺はただ一言だけで留める。
「そうか」
「責めないのか? どうして説明しなかった、と」
「俺の提案ではないのか」
「そう言ったのは、僕だ。嘘かもしれないだろう」
 思わず、笑ってしまった。リオンがむっとした顔をしたので、あっさりと返しておく。
「お前にそんな嘘をつけるなら、もう少し楽な生き方が見出せたんじゃないか」
 リオンはそんなことをしない、とは言わない。隠しごとをしないとも思わない。だが、どうしても犠牲が必要な時は、俺に真実を話すだろうという確信はある。
 それに――
 これはあえて話さない。
 以前に、自分から打ち明けたかもしれないし、そうでなくとも、俺の態度で薄々は察しているのだろう。だが、お互いに、口にはしない。
 ふと訪れた沈黙に、俺はふと水竜と別れた時のことを思い出していた。



 行こう、と先を促すリオンの声に頷いて行こうとすると、竜が高い声で鳴く。
(……どうした?)
 その目が、何かを訴えている。
(ん……?)
 呼びかけようとした瞬間、俺はあることに気づいた。
(名前、が)
 この竜の名を、思い出せない。
 そもそも、竜を名で呼ぶ習慣はない。
 竜の真名は、人間には発声出来ないものだ。必要上、人間が竜を呼ぶ時の名は、竜と対になっている竜騎士のものを共有するのが慣例になっている。
 だが、俗習として、愛称をつけることは普通だったし、人間から名をつけられることを喜ぶ竜もいる。
 アルカディアにいる、俺のパートナーには名がついていない。彼は愛称など嫌がったし、ティオという俺の名で呼ばれる方がまだマシらしい。
 しかし、この水竜にはパートナーがいない。名がなくとも、竜としては困らないだろうが、多分彼は名を欲しがったはずだ。
 そこで、俺は――
(どうやって、名をつけた?)
 良く思い出せない。
 昔のことだからか、と頭を押さえた瞬間、竜が小さくかぶりを振った。
(その記憶も……ここで無くしてしまったのか)
 そうだと彼はいう。
 その瞳が妙に悲しげだ。こんな表情をする子だったか、と昔を思い返す。
 幼い水竜の子。人間に捕まってしまっただけのことはあって、人懐っこくて、イタズラ好き。だが、魂の声を読むのが下手で、意思の疎通にはかなりの時間がかかった。
 だから自分は、まず人々の声を教えるところから始めなくてはならなかったのだが、これがまた手を焼いた。
 大抵の竜は、人間の声を読むことは出来ないし、それをどう伝えるのかを知らない。人との仲立ちが出来る存在として、パートナーとなる竜騎士達がいる。あの谷の人間は、人の言葉を覚えるのと同じ感覚で、竜との意思疎通を覚えるものなのだから。
 だが、この竜にはある程度、それが出来るようにならなくてはならない。
 この子は、パートナーなしで人と共存する生き方を選んだのだから。
 ふと、声が思い出された。

 ――ほら、こいつは俺の味方だ。

 この子と意思疎通が出来た人間は誰だった?
 最初から、全部の人間と話せるわけじゃない。ましてや素質を持っていない人間と意思を通わせる為には、互いに歩み寄りがなければ。
 この子が、慕ってた相手。この場所が苦手だったくせに、やせ我慢をして通っていたあの人は。

 ――名付け親だからな、俺は。

 思い出せそうなんだ。あと、もう少し、何かがあれば。
 だが、手繰る糸を失った俺は、これ以上の模索は諦め、とりあえず先へ進むことにした。
 振り仰いだ時、彼がひどく寂しげだったのを気に留めながら。



 考えても仕方のない事かもしれない。だが、どうしても、気にかかってしまう。
 リュージという少年の記憶。ここで過ごした少年時代の記憶。この二つに共通する、奇妙な空白がどうもその辺りにあるような気がしてならない。
 思案していると、ふとリオンが不自然に明るい声を出した。
「なぁ、クレオ」
 何だと注意を向ければ、リオンが余談だけど、と強調しながら、口を開く。
「実は、気が進まなかったんだ。リュージにクレオをつけるのは」
 なら何故、と聞くまでもなく、リオンが冗談めかした口調で語ってくれる。
「本当は、そうした方がいいと分かっていた。でも、懸念が二つあったからな」
「当たったのか、外れたのか」
「そうだな。一つは当たって、一つは外れた」
 まずは、とリオンは指を折る。
「外れた方は、リュージの気持ちだね。異世界に放り出されて、お前みたいな男が側にいれば、自然と、その、恋愛感情が出てくるんじゃないかって」
「恋愛感情」
「そうなったら、どちらに転んでも悲劇だよ。望まなくとも、俺達は彼のそういう気持ちを利用する形になる。それは……最悪な状況だろ」
 残酷じゃないか、とリオンは言う。その言葉は、婉曲に俺の態度を当てこすっているのだろう。
 心当たりがない、とは言わない。自覚はあるのだ。
 俺の行動は、大半が偽善と分類されるものだ。そして、その偽善というのは、時に優しさと錯覚される。情という錯覚を与えて、誠がない。それが俺の態度だと。
 普段ならば、不本意だというところだが、ここでは言い返せなかった。
 だが、今回は何故か、彼の目に非難の色が薄い。こういう流れの時には、珍しいことだ。むしろ、わずかだが、笑いまで入っているような気がする。
 つまりは。
「それは、外れたんだな?」
「もう、清々しいまでにな」
 愉快そうなその面を見ている内に、後ろから蹴りたくなったのは腐れ縁ゆえの感情か。
 憮然としていると、奴は楽しそうに要らんことを付け加えてくれる。
「リュージはそもそも異性愛者で、同性にはそんな感情を抱かないらしい。だから、お前に対しても信頼はあると思う。思うが、かなりどーでもよさげで、とても恋愛対象にはならなそうだ」
「分かった。分かったから、もう一つの、当たった方の懸念を言え」
 苛立ちながら、俺はさっさとその話題を切り上げようと、先を促した。
 するとリオンは、打って変わって真面目な顔になる。
「情が、移るんじゃないかと思った」
 そしてわずかに眉をひそめると、ぽつりと呟いた。
「ある意味、当たった。けれど、想定していたよりずっと」
 後は言葉にならなかった。
 俺も、それ以上は聞かずとも、推し測れた。
 知るまでもなく、本能的に分かるのだとしか言えない。
(――フリージオ様)
 痛烈に、その人を思った。
 変わらない、その方への忠誠を確かめた。



 出会いは、故郷でのことだった。
 ようやくあの学園生活から解放され、パートナーと騎士団の仕事に戻った頃のこと。
 谷から落ちそうな勢いで、身を乗り出している子供の姿にあわてて駆け寄ったのが始まり。
「ごめんなさい。つい、見惚れてしまって」
 冷や汗をかかされたものの、素直にぺこりと頭を下げた子供には好感を持った。
 金髪の、育ちの良さそうな男の子。
 ほんの少しだけ、誰かに似ているような気がして、ますます目を細めてしまう。
「フリージオ様! クレオ!」
 後ろから、聞き慣れた声がして、あわてて振り返ると、何故か息を切らせて仁王立ちをするリオンの姿。
「リオン」
 何故、仕事で来たはずの彼が、自分を呼んでいるのだろうか。
 何かあったのか、と緊張した次の瞬間。
「クレオ、その方をどなたと……痛っ!」
 目の前の子供が、リオンの腹に肘鉄を入れた。
(どなたと言われてもなぁ)
 首を傾げてしまう。
 リオンの様子から見て、普通の子供ではないとは思う。だが、それしか見当がつかない。
 仕方がないので、素直に聞くことにした。
「誰なんだ?」
「いや、善良な少年その一だよ」
 リオンの代わりに、少年が答えてくれた。
 どう見てもそうは思えないが、当人がそう言うのなら、それでいいのだろう。そうか、と頷くに留めておく。
 それから少しだけ、少年と話をした。
 そうしている内に、ふと後ろの竜達が、奇妙な感情を浮かべていることに気づいた。
 悪感情ではない。むしろ、逆だ。
 不思議だ、こんな状況は初めて見る。
 竜使いでもない者に、竜達が揃って興味を示し、ある程度の敬意を払っている。
 一体、この少年は何者なのだろうか。
「じゃあ普通に乗ることは出来るんだな?」
 そう問われ、はっと我に返る。下を見れば、少年がキラキラとした眼差しをこちらに向けてきていた。
「じゃあ、僕を乗せてくれ」
「それは構わないが……」
 君は一体、何者なんだ。
 その問いは、彼の瞳を見た瞬間、消えてしまう。
 なんだか、どうでもいい事のような気がしたのだ。
 少年が誰であろうとも、竜に愛され、信頼されるだけの器を持った人物であるということ。それだけは確かだ。
 竜を偽ることは出来ない。
 そのことを思い返す時、何故か胸が痛むような気がした。
 何故、こんなにも似ていると思うのだろう。
 少年の笑み。竜に愛される心。一体、俺は誰に重ねている。
 熱を伴う記憶が、塞がりかかった傷をこじ開けようとしていた。だが俺は、その記憶が何なのか、全く思い出せない。
「い、いけません、殿下が知ったら腰を抜かします」
 リオンの慌てたような言葉を聞き、俺は――
「殿下?」

 俺は――なんて答えた?

「弟君にあらせられます」
 満足げに頷いたリオン。渋い顔で空を見上げる少年。そして自分は。
 どうしていただろうか。

 あの出会いは、確かに鮮烈だった。
 だが、それだけではフリージオ様に仕える理由にはなるまい。
 確かに好感は持っていた。持っていたが、まだ幼い竜騎士が、第三王子にお仕えするなど――
 なに?
「第三……」
 待て、おかしい。
 仮にも自分は、王子の護衛騎士をしていたのだ。王宮の騎士団も束ねている身だ。王族を知らぬということはない。
 第一王子、現陛下。
 第三王子、フリージオ殿下。
 ならば。

「第二王子は、誰なんだ?」

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