遊戯板を操る、細い指を思い出す。
「白と黒、か」
どうしてこうした遊びは、黒と白の二つに分かれているのだろう。
ぽつりとそう洩らした僕に、彼女は相変わらず面白味のない横顔を見せて言った。
「対極のものは、対極であることに意味があるのです、フリージオ王子」
愛嬌はない。愛想もない。だが、その返答はいつも簡潔で美しい。
僕の知る内でも、かなり美人の部類に入るけれど、あまり笑わないせいか、その美貌に気づかれにくいのが勿体無い。
グローリア女史。
貴族の名門に生まれ、召喚師として生を受けたこの人は、生まれたその日に、エルネスト兄上の婚約者と定められた。
けれど、この人とエルネスト兄上は、仲が良いとは言いがたい。
悪い人ではないんだけどね。
内心でそう呟いて、僕は彼女の解説に注意を向けた。
「善と呼ばれるものも、悪と呼ばれるものも、どちらも分かちがたい双子のように、ぴったりと寄り添っているといえます」
「白と黒の魔女のように?」
僕が尋ねると、彼女は躊躇することなく、そうだと頷いた。そんな反応に、僕はちょっと驚いたが、彼女はそれに気づかなかったらしい。平静な顔で続ける。
「魔女とは、この世を統べる存在。世界を体現するものなのですから」
「でも、それってちょっと変わった見解だね。召喚術師でも、そういう考え方をする人は少ないよ」
そう指摘すると、彼女は薄く、本当に薄く微笑んだ。
「白の魔女は、あまり心を開かないから」
儚げな微笑に、僕は唐突に悟った。
――ああ、この人もまた。
魔女に愛されてしまった人なのだろう、と。
目覚める度に、自分が誰で、どこにいるのか、と頭の中で確認する。
起き上がろうと腕に力を入れる瞬間、生じる違和感に、僕の中で起きている変化をまざまざと思い知らされる。
そんな朝に、最初は嘔吐感を覚えて。でも最近では何も感じなくなった。
慣れとは恐ろしいものだ。僕はいつものように身支度をしながら、頭の中で、夢から拾い出せたカードを整理する。
今日の夢に登場した、グローリアと呼ばれていた人。
以前見た夢で、エルネストの婚約者だったという知識は得ていた。そして、彼女が白の魔女を呼び覚ました元凶だということも。
だが、今日夢で見た人は、確かにちょっと怖い感じはあったが、ごくごく普通の女性という印象を受けた。
(――いや)
しかし僕は、何か引っかかるものを覚えた。
改めて記憶だけを手繰れば、夢の中の女性は美人だったが、どこか近寄りがたい空気を漂わせていたのも確かだ。
普通に思えたのは、フリージオ王子の目を通した感じ方だからだろう。
少しずつ飲み込めてきた彼の性格というやつは、僕と違って、素直の一言だ。そして豪胆。
あまり臆することのない人だ。彼ならば、彼だからこそ、そう物怖じすることなく、普通に接することが出来たのだろう。
次の瞬間、わずかに息苦しさを覚えた。軽く胸を押さえながら、深呼吸を繰り返す。だが、それは治まるどころか、徐々に強くなっていく。
おかしい。
そう気づいた時には、目の前が全く見えなくなっていた。
「……リュージ様!」
声すらも出ない痛みの中、誰かが呼んだ名だけが、耳に残った。
朦朧とする意識の中で、僕は誰かの声を聞いたような気がした。
「……覚悟を決めろ、ということか」
「なに?」
「この症状は、間違いない。もう、始まってるんだ」
「だから何のことだ」
「悪いが、今のお前には説明したくない」
億劫そうな声と、生真面目に応じる声。
リオデラートとクレオのものに似ているが、これはフリージオ王子の記憶なんだろうか。
「で? ちゃんと現状把握くらいは出来ているんだろうな」
「一応な。ファイルには、一通り目を通させてもらった。前回の報告書と合わせて考えるに、核にも知能差があり、それによって偽装能力が増すということだな」
「ああ。おそらく、核になっている思念の能力に依るものだろう」
「……釈然としないことだらけだな」
「とにかく、リュージのこれは病気じゃない。明日の予定は変わらない。分かったか?」
「承知した」
唐突に出てきた名前が、自分のものだと気づくまでに、少し時間がかかった。
ならばこれは、現実で交わされている会話なのか。それとも、本当にただの夢なのか。
「リオン」
「何だ」
「リュージと俺は、どういう関係だったんだ」
枕元で、そう呟くクレオの声が聞こえる。
リオデラートの声は、やや間を置いてから返ってきた。
「どういう……って?」
「仲が良かったとか、悪かったとか」
「ああ、そういうことか」
硬かった声が、ほっと柔らかく緩む。そうだな、と呟いて、リオデラートは言葉を選んでいるようだった。
「一緒にいる時間の割には、べったりって感じでもなかったな。リュージの境遇を考えると、お前が一番気安いはずだが、傍から見ている限り、そうでもないようだった……が、別に仲が悪かった訳じゃない。護衛役のお兄さんってところだろう」
「この人にとっての俺は、そういう位置付けなんだな」
問い返したクレオの声は、これといって違和感がある訳ではなかった。だが、奇妙な沈黙があき。
「クレオ?」
リオデラートの声は、かすれていた。恐る恐る、という印象さえある。
続いたため息は、誰のものだったのか。
「なら、俺にとって、この人はどういう存在だったんだろう」
そう呟いた声は、誰のものだったのか。
何故だか、無性に彼の肩を叩きたくなるような、そんな声だった。
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