とりあえず、次の旅はしばらく見送ることになった。
 行かない訳にはいかないが、もう少し対策を強化してからにしたい、というリオデラートの言葉。
 それは構わなかったのだが、防御魔法をかけられたり、呪符を渡されたりする毎日を送っていると、さすがにうんざりしてくる。しかしクレオのあの状態を見せられては、リオデラートもさすがに楽観的にはなれなかったようだ。
 町の説明にも、いつもより数段力を込めている。
「次にいく場所は、学園都市ファーミリオン」
「この国の最高教育機関、を中心とした学者と学生達のみで構成される自治都市であり……」
「重要研究施設を内包する、学術都市。商業、住宅、全てが学生向けに作られており、構成員の半数以上は十代後半から二十代前半の世代に集中しています」
 幾度となく聞かされた、その説明を先取りしようとしたが、リオデラートは強い口調で打ち切った。
「現在、住人のほとんどが隣接都市に搬送され、治療を受けている状態です」
「治療っていうか、日常生活には支障がないんだろ?」
「大半の人にはね。けれど、ファーミリオンの研究施設に所属していた召喚術師のほとんどは、昏睡状態に陥っています。何とか意識だけは留めたものの、精神に強いプロテクトをかけられている者も」
 淡々と言っているものの、リオデラートの顔は依然として険しいままだった。その理由は、次の言葉で強調される。
「ほとんどが、日常生活を送ることさえままならぬ状態に追い込まれています」
 これがリオデラートの懸念らしい。
 僕はこの件に関して、ある予想があった。
 だが、それは口に出さぬまま、幾度目かになるリオデラートの説明に耳を傾ける。
「調査隊の解析によると、召喚術師の感応力に関係があるのではないかとのことですけどね。これも仮説の域を出ていません」
「感応力って、核を見たりする力のこと、だったよな」
 これも何度目かの質問だったが、リオデラートは律義に頷いてくれる。面倒だ、とは言わない辺りに、彼の几帳面さがよく表れている。
「核を具現化させ、祓うことが出来る力を持つのはリュージ、貴方だけ。けれど、召喚術師ならば誰でも、呪いの影響を受けることなく、核を見通すことは出来るのです」
 世界を統べる魔女に通じる力を持つ、召喚術師。
 それは、物事の本質に触れるもの、と言い換えてもいい。

 召喚術師の心を壊すような、物事の本質。

 クレオから記憶を奪った、呪いの正体。
「どうして、クレオは――」
 思わず、大きく振り向いてしまった。何気なく言ったのだろう、リオデラートは、僕の反応に驚きながらも、あわてて首を振った。
「あ、いえ。ただ、どうも気になって」
「何が……?」
「いえね、クレオなら、問題は少ないと思ったのです。今までの調査隊でも、ファーミリオンに在籍したことのある人間は、滞在中の記憶が抜け落ちる程度で済んでいたのですから」
 何故なのだろう、と首を傾げたリオデラートからは、最初に事実を知った時ほどの悲壮感は感じられなかった。
 無理もない。判明した当初こそ、クレオの身を案じたものの、彼に大した変化は見られなかった。
 人づてに聞いた話だが、多少の記憶が消えていても、普通の生活を送るには支障がないそうだ。
 誰もはっきりとは言わないが、どうやら僕がらみの記憶だけが抜け落ちたらしい。本来の業務では、きちんと役目を果たせている。
 その状況で、リオデラートが多少、緊張を解くのは当然のように思えた。
「ところで、リュージ」
「ん?」
「最近、クレオと話していますか?」
 一瞬、返事に困った。
 だが、意識するのも変かと思い直し、僕は正直に答える。
「いいや。そもそも、顔も見ないし」
「それもそうか。大体、クレオなんて、城にいる時は自分の部屋から出ませんしね」
 一瞬、聞き違いかと思った。だが、確認すると、そうだと頷いた。
「たまに姿を見るかと思えば、訓練場でしょう。よほどエルネスト様の死が堪えたのか、一時期は城にさえ寄りつきませんでしたからね」
「フリージオ王子のことが、じゃなくてか?」
「もちろん、それもあったでしょうし、フリージオ様がおられる時は、極力戻るようにはしていましたけど、それでもね」
 辛そうに見えた、と語るリオデラートは、どこか遠くを見ているような眼差しだった。
「エルネスト様はクレオの最大の理解者で、実質的な支援者でしたからね」
「仲が悪かったんじゃないの?」
「ああ、物凄く不仲でしたね。でも、何というか」
 違うんですよ、と彼は笑った。
「同じ者を守ろうとする戦友、だったせいでしょうか。いがみ合っていても、互いの実力を疑ったことなどない、そんな関係だったんです、あの二人は」
「同じ人を守ろうとする……」
「あの間に割り入れる者はほとんどいなかった。それこそ、フリージオ様くらいしか」
 けれど、と続けられた言葉は、計算されたものなのかどうか。
「フリージオ様を守る為とはいえ、あの方を救えなかったことは、クレオにとって、最大の後悔だったでしょうね」



 早足で庭へと向かう。
(分かってた)
 僕はずっと前から、そのことを知っていた。
 フリージオ王子の記憶が、完全に覚醒している訳じゃない。だから僕自身はほとんど、その人のことは知らずにいる。一度だけ、夢で知った姿さえ良く思い出せないのだ。
 それでも、これだけは分かる。
 クレオにとって、おそらくエルネストという人物もまた、大きな位置を占めていたということ。
 フリージオ王子は不仲だと解釈していたけれど。
 でも気づいていた。
 庭へと走る。
 彼と二度目に会った場所。

 そして、フリージオ王子の記憶も、全てあの場所へ導かれる。

 中庭に出た僕は、そこに黒衣の騎士を見出した。
「……誰だ?」
 近づいた途端、響いた声にびくりと肩が震えた。だが、すぐに声は和らげられる。
「ああ、なんだ。貴方か」
 その声で、僕は少しだけ緊張を解いた。
 月明かりの下、置かれたテーブルの横に立つ騎士は、予想以上に疲れているように見えた。
 少し迷い、僕は何気ない口調で尋ねてみる。
「なんだか、顔色が悪いように見えるけど」
「そうか? ……月光のせいだろう」
「そう、かな」
 それだけではないような気がする。
 もちろん、それ以上は何も言えない。だが、立ち去ることも出来ず、僕はその場でもたついていた。
「……すまない」
「え?」
「いや、なんだか大分、心配をかけているようだから」
 自分はよほど日頃の行ないが悪かったんだろう、と笑うクレオには、僕との記憶がない。
 僕との記憶などないくせに、それでもこの人は。
「そうでもなかった」
 数え上げてみれば、いつでもクレオは慎重だった気がする。
 一人で行動していたのは、戦いにも旅にも不慣れな僕に無理をさせない為だ。現に、クレオの独断で作戦を強行したようなことは、ほとんどなかったように思う。
 ただ、一度を除いては。
「少なくとも、周りに迷惑がかかるような無茶は嫌ってたよ。ただ」
 あの風の谷で、飛び出していったクレオは確かに救いようのない馬鹿だと思ったが。
「誰かを守る為の無茶は、よくやってた気がする」
 クレオは多分、自分の行為がどんなものなのか、良く分かっている。
 それでもクレオは、選んで馬鹿をやっているのだろう。形振りなど構わず、ただ今この時を、決して悔いることのないように。
「リュージ?」
 クレオが不安そうに名を呼んだ。大丈夫だと答えたけれど、顔は上げられない。
 ただ悔しかった。
 今更、この程度のことで、動揺してしまう自分が酷く情けなかった。

 この世界に来たばかりの時、クレオがこの庭にいたのは、ここがフリージオ王子とエルネスト王子が好きだった場所だから。
 目覚めたフリージオ王子の身体を見た日に、ここへとやってくる意味。
 ――考えたくない。
 あんなに辛そうな顔をするほどに、悲しい別れ。それだけの犠牲を払っても選び取った、たった一人の主君。
 分かっていたはずなのに、今になって重く。

 重く、胸に淀んだ。

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