第五話:記憶を捨て去る時


 翌朝、リオデラートと共にやってきた人を見て、僕は少し驚いた。
「……シェスタ」
 彼女は申し訳なさそうな顔で、一礼した。僕も笑って一礼して、リオデラートの方を見る。彼は普段よりも動きやすそうな服ではあったが、やはり術師系だからだろう。
 クレオやシェスタに比べると、大分ひらひら感が。
「ひとまず、馬車に乗って下さい」
 彼に促され、僕等は馬車へと乗り込んだ。
 リオデラートが最初、僕が次、最後がシェスタ。
 普段、クレオと二人の時は、彼がさっと中を見てから、僕を乗せ、最後に彼、という順序だったが、三人だとこうなるのか、と少し新鮮だった。
 この世界は平和そうに見えるが、それでも刺客だのといった物騒なことは存在するのかもしれない。
 馬車が走り出すと、リオデラートが早速、目的地の話を始めた。
「次の町は、昨日ご説明した通りですが、疑問点などは」
「昨日の話じゃ、確か時間の感覚が狂うとか、何とか」
「そうです。書類で送られてくるのを見る限り、日にちの換算がどうもおかしいらしいと気づいて、調査隊を送った結果、おそらく時が奪われたのではないかと」
「時、か。だとすると、関係するのは時計かな」
「そう簡単にいけばいいんですけどね。貴方の報告を見る限り、どうもそう単純な話でもないような気がします」
「……そうかもな」
 苦い思いで頷く。
 前回の死に関することなど、単純に墓標などを調べていたら、絶対に分からない。
 だとしたら、共通項はなにか。
(けれども、召喚術師はしょせん、人間でしかありません)
 あの時の、魔女の言葉が胸を刺すと同時に、数多くの疑問が今更のように浮かんでくる。
 だが、それは今、目的を果たすには関係のないことだ。僕は軽く頭を振って、話を元へと引き戻す。
「単純に、関係するもの、というよりも、過去の事件から当たった方がいいかもしれない。それも死者が出ているようなものを」
「そうですね」
 頷いた後、リオデラートは少し顔を引き締めた。
「それとリュージ。今後、出来るだけ、私達の側を離れないようにして下さい」
「うーん、それは……」
「いいですか、リュージ」
 重ねられた強い言葉に、僕は口をつぐんだ。リオデラートは真剣な顔で、諭すように続ける。
「貴方が町を巡った順番というのは、無作為に決められていた訳じゃないんです」
「なにか、法則があるのか?」
「法則というより、事前調査が進んでいる順なんですよ」
 あっさりと出された答えは、呪いだの魔法だのと言った世界の割には、至極まっとうなものだった。
 なるほどな、と内心で苦笑いする。
 甘いかもしれない、と思っていた。けれど、リオデラートはやはり食えない男だ。無茶なことをさせているようで、最初の方は彼の手の内だった、という訳か。
 あそこで使いものにならなそうだ、と判断したら、こんな少数先鋭にはしないつもりだったのだろうし、僕もここまで好きにはさせなかったのかもしれない。
 触れさせるだけならば、それこそ眠ったままのお人形でも構わないのだから。
「前回の場所は正直、かなり曖昧な情報しか与えませんでしたよね」
「ああ……だけど、あれはそれくらいしか」
「そうです。事前調査の段階では、それくらいしか掴めなかった。あそこだけじゃない。今後、回るところは、ほとんどがそんな感じです」
「つまり……」
「それだけ、危険なんです」
 だから、くれぐれも気をつけて。
 そう言ったリオデラートの顔つきから判断するに、おそらくクレオやシェスタから、既に報告を受けているのだろう。
 そう、色々な。色々な、報告を。
「……リュージ」
「ん?」
 今まで聞き手に回っていたシェスタが、おずおずと口を開いた。
「ずっと不思議に思っていたのだけど」
「何を」
「その、クレオのこと、聞かないんだ。どうして、いないのか、とか」
 ぎくりとした。だが、つい平静を装って、今気づいたような顔をしてしまう。
「どうしていないんだ?」
 二人は顔を見合わせて、小さくため息をついていた。やはり、僕は相当分かりやすい反応をしているのだろう。
 あんな風に別れたきりでは、どうも気になっていけない。
 しばらく待っていると、リオデラートが説明してくれた。
「先ほど、事前調査のこと、お話ししましたよね。あれは召喚術師と騎士団の混成部隊で行なっているものなのですが、クレオにはそちらへと行ってもらっているのです」
「事前調査って、今回の町のか?」
「いいえ、彼が行ったのは最後に残った場所、学園都市ファーミリオンです」
 学園都市。
 なんだか懐かしい単語を聞いたようで、わずかに顔をほころばせるが、内容が明らかになるにつれて、表情が引きつっていくのが分かった。
「現在、要避難区域として、立入禁止区域になっています。今までにも何度か調査隊が入っているのですが、無人状態の為、手がかりらしいものが全く掴めない状態です」
「立入禁止区域って……それ、かなり危険なんじゃないのか」
「そうですね」
 こちらがうろたえるほど、彼の反応は冷静だった。一瞬、反発が沸いたが、すぐに考えを改める。
 リオデラート達には、僕とは違う価値観があり、それを守っていかねばならないのだ。僕が口を出すことではない。
「一体、どんな事件があったんだ」
「失われたのは、当時、ファーミリオンにいた人間の記憶全てです」
 正直、聞いた瞬間、僕はなぁんだ、と拍子抜けしてしまった。
 確かに記憶がなくなるなんて大ごとだ。だが、子供が消えたり、感情が失せたり、死が認識できなくなったりする世界で、記憶程度なら、という感は否めない。
 けれど、続くリオデラートの説明に凍りついた。
「術の干渉を受けないはずの召喚術師でさえ、記憶こそ失わぬものの、精神に大きなダメージを受けて、あの町での出来事は思い出せない有様です。向かった調査隊も、あの町に滞在すればするほど、記憶に損傷を受けて戻ってくる」
「それって……調査の意味ないんじゃ」
「いえ、それでも多少、外部から乗り込んだ者は、記憶の干渉を受けない部分が残るので、それを繋ぎ合わせて何とか」
 涼しい顔で言われると、なんだか慌てる方が馬鹿馬鹿しいような気がしてくる。ひとまず、一つだけ確認して、納得することにしよう。
「クレオは、大丈夫なのか」
「これまでの調査結果から、ファーミリオンに在籍、居住していた人間は、術の干渉率が上がる分、精神ダメージを受ける確率は下がります」
「つまり……」
「多少、バカになって戻ってくるかもしれませんが、再起不能になるようなことはないでしょう。そこまで繊細でもないし」
「記憶がなくなったら、それはそれでオオゴトだろうよ」
「どうでしょうね」
 うっすらと微笑み、彼は首を振った。
「覚えていない方が、幸せなこともあると思いますけど」
 そうかもしれない。
 僕は頷きながら、昨日の会話を思い返していた。



 昨日の夜、シェスタと話すよりも前のことだ。
 次の目的地を聞いた後、僕は思い切って、リオデラートを問い詰めてみた。
 それは、残酷なことかもしれない。
 だが、もう下手な気遣いはやめにすると決めた。
 これ以上、相手を気遣うという名の偽善で時を費やすよりも、ごくわずかでも可能性があるのならそちらにかけるべきだ。
 けれど、顔面を蒼白にしたリオデラートを目の前にすると、さすがに憐憫の情が湧いた。
 本来なら、逆だと思う。
 それでもリオデラートはしばらく、首を縦には振らなかった。何度か質問を繰り返し、こちらの見た夢、記憶の共有のことなどを延々と話して、渋々彼に認めさせることが出来た。
「やっぱり、フリージオ王子が復活する可能性はあるんだな」
「そう、です」
 ようやく白状したな、と意地悪く思ったけれど、口にはしなかった。
 リオデラートの憔悴を見れば、とてもそうは言えない。
 誰にも知らされてなかったのだと、彼は打ち明けた。決して言うなと厳命されていた。確実に復活するのかは分からない、だからこそ、余計な情報は与えるな、と。
 フリージオ王子が眠った後は、リオデラートだけの秘密。
「確かに魂は失われました。けれど、その身体はフリージオ様のもの。魂の方が、身体に適応しようとして、変容する可能性が高かった。現に」
「以前の召喚の時は、魂が身体に呑み込まれ、王女様が復活した」
「やはり、ご存知だったのですね」
 リオデラートが乾いた笑みで、肩を落とす。うん、と頷くと、ますますその表情が歪んだ。
 それを痛ましく思い、手を差し伸べようとし、ふと止める。この手は誰のものなんだろう、と考え、僕は小さくため息をついた。
「何となくだけど、身体は魂の器みたいなものだと思いこんでたな、俺は」
「その表現も、間違いではないと思います。けれど、肉体が魂を作るという面もある……どちらかがどちらかを隷属させる関係ではないのです」
 つまり、と一旦言葉を濁しつつも、リオデラートは説明を続けた。
「リュージの魂が入ったことで、フリージオ様の肉体は甦った。今はまだ、リュージの心が生きている。でも少しずつ、その身体に宿るフリージオ様の記憶に侵食されていっているはずだ」
 だから、召喚術が使えたのか。そう尋ねると、彼は一旦頷き、そしてかすかに首を傾げた。
「それよりも、召喚術を使うことで、フリージオ様との同一化を早めた、と言った方が適切な気がします」
「そうなのか?」
「はい。術を行使すればするほど、貴方は肉体に宿る記憶や力を受け入れることになりますから」
 軽く右手を握り、僕はその手の感触を確かめる。そして薄く笑った。
「それが完了した時、俺は消えるんだな」
 彼はすぐには頷かなかった。ためらいがちに目をそらし、小声でつけ加える。
「フリージオ様との同一化が進まない内に、呪いを消滅させればあるいは貴方が」
「でも、それじゃ困るだろう、お前は。それとも、フリージオ王子の再生を望まないのか?」
 彼の目がそっと伏せられた。眼鏡の向こうの瞳がひどく悲しげに歪み、そして冷たい輝きを取り戻す。
「望みましたよ。フリージオ様を復活させられるなら、それに賭けたかった。その為には、貴方にこちらの世界に馴染んでもらって、フリージオ様の記憶を継承してもらった方が都合が良かった! だから……」
「だから、シェスタをつけよう、と言った? クレオではなく?」
 僕の問いに、彼は黙ってしまった。

 シェスタに期待されたのは、護衛としての役割だけじゃない。フリージオ王子の記憶を呼び覚ますのは、彼が身近に感じていた人間が側にいた方がいい。そういう理由もあったはずだ。
 けれども実は、僕をフリージオ王子とは違う、異世界の子供として認識しているシェスタでは、この世界に馴染ませる役目は果たせない。むしろ、リュージの自意識を強めてしまう危険性さえあった。
 最初から、一番の適任者はクレオだった。それなのに、リオデラートはわざと彼を外した。けれどそれを知らずに、クレオが割り入ってしまう。だが結局、彼はそれを止めなかった。
 それが、彼の葛藤だったのだろう。
 さっさと僕に召喚術を教え、同一化を早めることも出来たのにしなかった。かといって、術を使うな、ということも出来なかった。
 積極的に手を下すことはせず、かといって止めることもしない。
 ずるいなぁ、リオデラートは。
 普段なら、それくらい言ってやっても良いかもしれない。けれど、今日のリオデラートはひどく脆く、すぐに壊れてしまいそうだった。
 僕は迷った後、ただ自分の考えだけを口にした。しばらく沈黙した後、リオデラートは次の場には自分も行く、とだけ言った。
 短い返答には、頑なな響きがあった。



 五つ目の呪いを解くには、そう時間はかからなかった。
 若干、冷や汗をかかされたことはあったけれど、目立った負傷者も出ず、前回のようなしこりを残すことなく、無事に済んだと思う。
 けれど、僕の中では、晴れやかに終わったとは言いがたかった。
 もちろん、今回に限ったことではないのだ。
 一番最初の時から、核となる執着は、恐ろしい呪いとは結びつくようで結びつかない、微妙な悲しみと純粋さで出来ていて、知った者の気持ちを暗くさせる。
「……あまり、後味のいいものではないな」
「そうだな」
 シェスタの言葉に同意して、僕らは馬車で王都へと戻る。
 その間、リオデラートはいつもより言葉少なく、話しかければ平静さを見せるものの、あまり顔色はよくなかった。
 僕等以上に、堪えているようにも見えた。
 そんな彼を見て、僕は確信する。

 前に、リオデラートは言った。フリージオ様は、そこまで甘くない、と。
 あれはクレオに対してのものだったが、おそらくリオデラート自身、王子ほど厳しくはなれない人なのではないか、と思う。
 確かに、リオデラートは甘くはないかもしれない。目的の為ならば、容赦なく切り捨てられる冷酷さはあるだろう。けれど、それは目的がはっきりしている場合だ。
 彼の、目的や手段こそ明示するが、あまり自分の意思を見せない語り口は、彼を、自分の意思で動くよりも、何かの為に動く人間という印象を強く与える。
 多分、本当にそうなんだろう。
 フリージオ王子がそうしろ、と言ったなら、彼は心を鬼にするだろうけれど、おそらく王子は何も言わずにいった。
 遺されたリオデラートは、どうすれば良いのか分からずにいる。だから、その行動にぶれが生じるのだ。
 冷酷にもなれず、かといって、優しさという名の偽善を施す気にもなれない。

 リオデラートは確かにずるかったかもしれない。けれども、ならば自分がその引き金をひけるかと聞かれたら、どうするだろうか。
 大事な誰かの為に、恨みも何もない人間を破滅に追い込むか。縁も所縁もない誰かの為に、大切な人間を見捨てるか。
 そんな二者択一を迫られたら。
 身勝手になれる人間ならば、前者を選ぶ。大義を尊ぶ人間ならば、後者を選ぶ。
 けれどリオデラートは、どちらにもなれなかった。
(なら――クレオは?)
 その答えを、僕は知っているような気がした。

 知っているからこそ、聞きたいとは思わなかった。

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