とりあえず、村を回って話を聞いてみることにした。
 素朴な村人達にとって本来、身分を明かしていない自分達は怪しげな旅人でしかなかっただろうが、死人がえりを倒したことは大きかったようだ。
 クレオを見た途端、口滑らかに、色々なことを語ってくれた。
 もっともその大半は、村長同様、どーでもいい話ではあったのだが。
 人当たりのいいクレオを前に立て、僕が横から援護しつつ訊き回った結果、得られた情報は次の一点に尽きた。
 この村でも、ここ一年、死者は一人も出ていない。
 言われて初めてそういえば、と思い当たる程度らしい。指摘されても、不思議とは感じないようだ。皆、健康なのね、と頷く程度。
 だが、この小さな村では、それが当然の反応と思えた。
 死に対する認識自体は、さほど僕と違うわけではない。当然、クレオとも変わらないようだ。数年前のおじいちゃんの死はきちんと覚えている人もいて、死の記憶そのものが改ざんされている形跡もない。
 つまり、一見する限り、前の町三つのような、記憶や意識の齟齬は生じていないのだ。
 嫌な予感を覚えながらも、ひとまずはそれで調査を打ち切った。



 とにかく実体が掴めなかったとはいえ、失われているキーワードが死であるのは確かだろう。ならば、それに関係するものを探せば、核にぶつかるはず。
 そんな風に納得させ、死という事実にゆかりのありそうな場所を、手当たり次第回ってみた。
 死者といえば教会、そして墓場。

「おい、クレオ。本当にそれくらいしかない、のか?」
 僕は肩で息をしながら、ぴったりと後ろにくっついている漆黒の騎士を恨めしげに見上げた。彼は眉をひそめ、ゆっくりと首を回す。
「あとは棺桶くらいしか」
「棺桶って……掘り起こすしかないじゃん」
「やるのか?」
「さすがにそれはどうかと」
 眠っている死者を起こすみたいで、気がひける。墓石にべたべた触れるだけでも罪悪感があって、わざわざ水とスポンジを借りてきて、墓を洗って回ったくらいなのに。
 死者は死者だ。そこまで気を遣うのも、滑稽なことではあるけれど、そういうのは理屈で割り切れることじゃないと思う。
 ましてや僕も死人となった今は、やはりある程度の礼儀ははらっておきたい。
 それでも、墓を掘り起こすしかないとなったら、やるしかないんだけど。その前に、別の可能性はないかと考えてみる。
「あ、そうだ。喪服! 喪服とかどう?」
 僕の提案に、クレオが難色を示した。
「モフク……?」
 最初は、いちいち家庭を回って喪服を見せてもらう、という手順の繁雑さに、顔をしかめたのかと思った。
 だが、良く話を聞いてみると、そうではないことが分かった。
「葬儀の時は、質素な色のものが好ましい、とされているが、特別な服というものは存在しない。普段着で十分なんだ」
 なんと、この世界には喪服がないらしい。
 黒と限らない、とは考えていたが、まさか喪服そのものがないとは思わなかった。
「第一、葬式というのはいつ起こるか分からないものだろう。前もって分かっている祝いごとと違い、特別なものを用意できるはずがない」
 そういう考え方もあるのだな、と素直に頷いた。
 確かに、葬式とは急なものだ。だから、必ず喪服の一つは持っておく必要があるのだ、と父親に言われたことがある。
 学生の内は、学ランで間に合うけれど、大人になればそうもいかないから、と。
 そういえば、父さんは大丈夫だったんだろうか。最近、急に太ったって言ってたから、昔の喪服なんて入らなくなってたりして。
 息子の葬式の前に、あわてて喪服を買いに行くなんてシチュエーションは、あり得ないものだと思う。
(でも、仕方ないだろ)
 どんなにあり得ないと感じることでも、起こってしまえばただ現実だ。
 突然、息子がいなくなってしまうことも、あわてて喪服を買いに行くのも。こうして異世界で、墓場を歩き回ることも。

 ぐるりと墓場を見回し、ふと僕は妙なことに気づいた。
 墓場は、きちんと整備されていた。もちろん、手入れのされていない墓や、こまめに掃除された墓、といった違いはあったけれど、墓地全体に荒れた印象はない。
 後ろのクレオに尋ねてみる。
「あのさぁ、死人がえりって、墓から出て来るんだよな?」
「必ずしもそうとは限らないが、大抵はそうだな」
「じゃあ、土から出てきた後、ちゃんと片付けるもの?」
 え、と声をあげた後、僕と同じようにぐるりと辺りを見回して、クレオはかすかに頷いた。
「……確かに、おかしいな」
「ね?」
 立ちあがった僕は、クレオの視線に気づき、振り返った。
 彼は難しい顔で、こちらをじっと見つめている。
「クレオ?」
「あ、ああ、そうだな。多少、出た形跡もあるにはあるが、それにしても数が少な過ぎる」
 あわてて話題を引き戻したものの、どこか不自然さが残った。僕も平然と相づちをうとうとしたものの、何だか気まずくてつい、黙り込んでしまう。
「リュージ」
「ん? なに?」
「いや……」
 クレオが口を開きかけた。だが、その微妙な表情に、何かがぴくりと反応する。
「ちょっと待って!」
 その声に驚いたのは、クレオだけではなかった。
「あ……」
 今、待てと言ったのは、確かに僕だ。
 でも、その理由が全然分からない。
 クレオのあの表情をこれ以上見たくないと、言葉の続きを聞きたくないと、身体のどこかが悲鳴を上げたのを、確かに感じた。
 けれど、それは僕の感情とは違う。
「どうした、リュージ!」
 強く肩を揺する手に、はっと顔を上げると、そこにはクレオの心配そうな目があった。
「ご、ごめん。何でも……ないんだ」
 僕はさっと立ちあがり、さり気なく距離を取る。
「なぁ、そろそろ戻らないか。俺、さすがに疲れたかも。昨日の今日だし」
 言ってから、失言に気づいた。
 僕よりも、クレオの方がよほど疲れているはずだ。実質、戦っていたのは彼だし、聞き込みの中心も彼だった。
 だが、そんな疲れや不満を微塵も見せずに、そうだな、とあっさり言えてしまうクレオの度量はさすがだと思う。
 宿へ向かう道で、昨日の部屋割りを思いだし、軽い気持ちで聞いてみた。
「そういえば、クレオ。何で今回に限って、部屋が別なんだ?」
 昨日から、不思議に思っていたのだ。
 大体、宿を取る時は同じ部屋で取っていたものだが、今回だけは一人一部屋だった。すると、クレオは事も無げに言う。
「この村の宿屋は壁が薄いしな。何かあっても、すぐに気づけるだろう」
 つまり、今まで同室だったのは、僕の身を案じてのことだったらしい。
 言われてみれば、急な襲撃に遭う可能性の低い騎士団本部に間借りしていた時は、クレオとは別の部屋をあてがわれていたような気がする。
 今までは、単純に費用の問題かと思っていたのだが。
 そういうと、クレオは軽く目を瞬かせ、そして苦笑した。
「リュージは一体、どういう身分の人だったんだ?」
「どういう身分って」
「いや、気を悪くしないでくれ。馬鹿にしている訳じゃないんだ」
 あわてて手を振ると、クレオはゆっくりと言葉を選んでいるようだった。言い繕うという感じではなく、一番適した言葉を探している顔だ。
 こういう沈黙は、嫌いじゃないので、しばらく待ってみる。
「リュージは裕福で、恵まれた環境にあった子供のように思っていた。剣を持つ必要もなく、両親も家族もいて、当たり前のように学業を受ける。特権階級の暮らしだ」
「うーん……」
「だが、そうかと思えば、宿屋の料金にまで頭を巡らせる、庶民感覚も持ち合わせている点が、俺には不思議に思えたんだ」
「そりゃ、僕が庶民だからだよ。あの場所ではね」
 多分、この世界に生まれて、この世界の価値観で生きてきたクレオには、なかなか理解してもらえないのかもしれない。そんな痛みがある。
「皆が剣を持たなくなって、学校に通うのが普通の生活だとしたら、それは特権でも何でもないだろう? つまり、そういうこと」
 僕らは、良く言われて育ったものだ。
 学校に通い、勉強が出来る。それが当たり前で、何のありがたみも感じていないが、それは世界的に見れば、特別な幸運なのだと。
 だから、そういう幸運に恵まれなかったこの世界から、僕がどんな風に見えるのかは、何となく分かるような気がする。
「でも、クレオから見たら、確かに裕福で世間知らずな特権階級の子供、なのかもね。僕は一度も働いたことがないし、戦ったこともない」
「学校に行くのは、立派な労働じゃないか? 俺はあれほどの重労働はないと思うぞ」
「なに?」
 慰めかと思った。優しい彼らしい、フォローなのかと。
 だが、次に続けられた言葉に、僕は顎を外しかけた。
「同じ時間に、同じ机に座って、延々と興味のない話をされる。誰が理解している、誰が分かっていない、そんな個人の事情をお構いなしに、だ」
「はぁ」
「それでも知識を試すなら、まだマシだ。心にもない、綺麗ごとを書かせることに何の意味があるという。いくら俺にとっては正しいことを言ったつもりでも、教師の意に沿わなければもう一年の修行。あんなものはただ、場の空気を読む訓練だ。知力とは関係ない」
「ええと」
「大体、人や魔物を倒すのが役目の騎士に、無抵抗の愛を語らせて何の役に立つんだ。あんな理不尽な場所があるか」
 怒涛の勢いで吐き出された不満は、どう考えても、本心からの発露に思えた。
 しばらく頭の中で整理していた僕は、ふとあることに気づく。
「クレオは、学校に行っていたことがあるのか」
「行かされたんだ。留学生として」
 クジで外れを引いたんだ、と苦虫を噛み潰したような顔で答えてくれた。どうやら相当、不本意な留学生活だったらしい。前向きなクレオにしては珍しい、悪感情の発露だ。
「リュージは、学校が好きだったのか?」
「好きってほどじゃない。でも、嫌いじゃなかったし、勉強もなー。クレオみたいには感じなかったね」
「それは凄いな」
 クレオがしきりに感心してくれる。
 何だかこそばゆくなって、つい苦笑いを浮かべてしまった。
「クレオの方が凄いと思うけどな。僕は喧嘩だとか、戦いなんかはからっきしだし」
「それは違うと思うぞ、リュージ。隣人の伴侶は絶世の美女、という言葉があるだろう」
 耳慣れない言葉に、すぐさま聞き返す。
「ナニ?」
「見知らぬ美人、伴侶にすれば凡人、とも言うが」
 ますます分からない。多分、この世界のことわざか格言なのだろうが、僕の知っている中にそういう言葉はないはずだ。
 それが伝わったのか、クレオが一言で説明してくれた。
「余所のものは何でも良く見える、という意味だ」
 つまり、隣りの芝生は青い、と同じような意味か。
 そう気づいた途端、芝生と同じ扱いをされたのが何かに気づき、僕は爆笑する。
「ひ、ひっでー! 奥さん気の毒じゃん!」
「本当にな」
 背中をばしばし叩きながら笑って。それに付き合って笑ってくれるクレオに、少しだけ感謝して。
 心から楽しいと感じているはずなのに。
 何故か、寂しいという気持ちが抑えられなかった。



 クレオと別れ、部屋に戻った僕はひとまず。
 ベッドに転がった。
 途端に、快い睡魔が襲ってくる。やはり睡眠が足りなかったのだろう。これなら、気分良く眠れるかもしれない、と目を閉じた瞬間。
 扉を叩く音が響いた。
 胸中でボロクソに毒づきつつも、僕はせいぜい愛想笑いを浮かべて、扉を開け、そのままの姿勢で固まった。
 目の前には誰もいなかった。
 その代わり、ぱたぱたと廊下を駆けていく、小さな子供の後ろ姿が見える。
「こ、こらー!」
 普段なら、バカガキと怒鳴って終わるところだが、疲れていた時だ。余計に頭にきた。所詮、子供の足だ、とっ捕まえてやる、と意気込んで廊下を走って行く。
 その背に指が届く寸前で、子供の姿がかき消された。
 だが、消える直前、風の魔女が動いたのを感じた。
 彼も召喚師か。
 ならば、と僕も術を編み、魔女の紡いだ軌跡を辿る。
「リュージ?」
 後ろからクレオの声が聞こえたが、一足遅く、僕は空間を飛んでいた。



「あれ?」
 とん、と地面に降りたってから、首を傾げてしまった。
 今、一体僕は、何をしたんだろうか。
「やっぱり」
 下の方から聞こえた声に、ぐっと視線を下におろす。
「……え?」
 一瞬、戸惑ってしまう。
 僕の胸に掴まるようにして、じっと身を持たせかけている少年の姿。
 何故、こんなことになっている?
 その明るい朱色の髪には見覚えがあった。先ほどのイタズラ坊主に違いない。
「おーい」
 離せ、と言おうとしたが、少年の顔が当たっている部分が湿っているのに気づくと、邪険に振り解く勇気が出なかった。
 僕は手のやり場に困り、結局、ぽんと頭を撫ぜるに留めた。
「なんで、泣いてんだよ、ボウズ」
 泣きたいのは、眠りを妨げられた僕の方だ。
「ご、ごめんなさい」
 あわてて顔を離したが、まぶたと鼻の頭が赤い。それでまた手でこするものだから、余計に酷くなっている。可愛らしい顔立ちが台無しだ。
 その瞬間、僕はある可能性に気づいた。
(ひょっとして、女の子?)
 ボウズ、と呼んでしまったことに慌てたものの、よくよく見れば確かに男の子で、ほっと胸を撫ぜおろす。
 男の子としては、気の毒なくらいの女顔だ。だが、まだ彼は十才くらいだ、これからの成長でいくらでも変わる。
「それで、どうしてあんなイタズラをしたんだ」
「え? あ、いたずらをするつもりじゃなかったんです。ただ」
 上目遣いにもじもじする。
 狙ってやってるのか、素なのか知らないが、頼むからやめて欲しい。
 何というか、この世界にきてから、やたら忙しかったり、女性恐怖症が発症したり、考えることが多かったりで、頭の片隅に追いやっていたものが起き出してきそうだ。
 いや、元々は淡白な方だし、女相手でもそっちにどうこうしたいと思ったことはない。いくら可愛いと言ったって相手は男だ、どんなに理性を失っても、襲うなんてことはあり得ないけど。
 でも、下半身の暴走は……子供に知られちゃマズイだろう。
 そんな内面の葛藤を知らぬまま、少年は泣きそうな顔でこちらを見上げている。
「ずっとあなたを待っていたのに、いざお話しようとしたら、何だか怖くなってきちゃって」
「待っていた?」
「はい。あなたを待っていたのです」
 どういうことだろう。
 魔物を倒したクレオではなく、側にいただけの僕を、すぐに召喚術師と見ぬいて、こうして呼び出した少年。
「どうか、この村を……」
 少年が口を開きかけた瞬間、僕の中の何かが危険信号を発した。あわてて周囲に注意を向けた僕の目に、とんでもない光景が飛び込んでくる。
「なっ……!」
 一つ、二つ。三つ、四つ……まだまだ沢山。
 何もなかったところから、ふわり、ふわりと小さな揺らぎが現われて、そしてそのおぞましい姿を形作る。その数の多さに、さすがに一瞬、青ざめた。
「死人がえりかよ」
 思わず舌打ちする。よりによって、一人で動いている時に。
 いや、待て。確かこの子も召喚術師だ。ひょっとしたら、術を使えるのか。
 尋ねようとした僕は、腕の中でがたがたと震えている、小さな身体に気づいた。
「大丈夫か」
「あ、あああ……っ!」
 駄目だ、戦えるような状態じゃない。それどころか、足がすくんでしまっていて、逃げられるかどうかも怪しい。
 すっかり怯え切っている子供を左腕でかばうように引きつけて、僕は右手で術を紡ぐ。
 敵の動きは遅いが、こちらも一人動けない子供を抱えている。相手の数も数だ。
 スピードが勝負か。
「火の魔女よ……」
 怯みそうになる心を何とか保ちつつ、術を放とうとした瞬間。一匹が急に、ぐいとその手を伸ばしてきた。
 届かない、と読んでいた間合いだった。だが、死人がえりの腕がゴムのように伸びたのを見、僕はあわてて少年ごと後ろへと身をそらせる。
 動揺しながらも、何とか一打目はかわした。二打目がくる前に、僕はためていた術を一気に解き放つ。
 視界の向こうに、紅色の海が具現化した。
「くそっ」
 だが、妙な体勢から打ったせいか、近かった数匹を巻き込んで終わりだ。まだまだ数が残っている。
 相手の出方が読みにくい。先ほどの技が使えるとすれば、有効範囲はどこまでだ。
 駄目だ、あんな変形技を使う死人がえりなんて、聞いたこともない。
 じりじりと間合いを狭めてくる相手に対し、僕は少しずつ後退して、その距離を取らせまいとする。
 そんな膠着状態を、ざん、と軽快な音が打ち破った。
(クレオ?)
 半信半疑で、そちらへ目をやった僕が見たのは。
「……残念だったな。ヤツじゃなくて」
 魔法の炎で生み出された風にあおられて、金色の髪がなびく様が美しく映える。
 笑えば誰もを魅了しただろう美貌を、頑なに凍りつかせた一人の女性。
「シェスタ」
 青い瞳の女騎士が、ひどく冷徹な目でこちらを睨みつけていた。

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