たん、と踏み込む音。どう、と何かが倒れる音。その二つのリズムが、楽曲のごとく奏でられる。そして奏者足る黒衣の騎士は、顔色一つ変えずに、銀色の剣をひるがえす。
 入り口付近の草むらから、わらわらと沸いてきたのは、映画で見たそのままのゾンビというやつだった。
 クレオは死人がえりと言っていたが、僕の言語でいうならゾンビとかグールとかレイスとかリビングデッド、腐った死体……
 とにかく、そういうものだ。
 援護できればと思ったが、目の当たりにして初めて、僕は元の世界での欠点をまざまざと思い返すことになった。
 そういえば、僕は怖いものが苦手だったな、と。
 悪友がバイ○ハザードを持って遊びに来た時には、迷わず部屋から叩き出したほどだ。遊園地のお化け屋敷は、下らないの一言で片付けて、絶対に近寄らない。
「怪我はないか?」
 声をかけられてようやく、周囲が静まっていたのに気づいた。
 駄目だ、たるんでいる。
 ぐるりと周囲を見、僕は思わず目を閉じてしまった。そっと右手を掲げ、僕はクレオに下がるように言う。
「リュージ?」
「このままじゃ、マズイだろ」
 地面を埋める屍に、恐怖がないと言ったら嘘だ。けれども、このままの姿を晒しておくのは、さすがに痛々しい気がした。
 クレオもそうだな、と頷く。
「そのままでは、また復活してしまうからな。焼くか、浄化させるかしかないんだが」
「浄化……ああ、そういうやり方もあるんだ」
 大丈夫だ、思い出せる。
 手が描く印、言葉、その二つが浮かべば、あとはそれを実行するだけ。
 だが、挙げた手は印をかくことは出来なかった。ぐいと大きな手で封じられ、僕は驚いて彼を見上げる。
「クレオ?」
「必要ない」
 いつもよりもそっけない声に、背筋が冷える心地がする。
 それでも何とか気力を振り絞り、顔をあげると、村から人がたいまつを持って出てくるところだった。
「大丈夫ですか、旅のお方」
「……ああ」
「後始末は我々が」
 ぼうっとしていると、名を呼ばれ、あわててクレオの後ろについていく。
 背中を、冷や汗が伝った。
 今、僕は全く抵抗なく、召喚術を使おうとした。自分の力ではない、という自覚もなく。
 思わず、右手をきつく握り締めていた。



 召喚術に頼ることに慣れてきている。多分、そういうことだ。
 この前、クレオとは別に動いていた時には、どうしても使わざるを得ない場面が多かった。そういう点でも、僕は彼に助けられていると思う。
 クレオといれば、使う必要がない。
 本来、使うべきではないのだ、この力は。
「……といった次第で」
 長々と続いた話が途切れ、僕はもっともらしく頷いてみせた。
 目の前でぺらぺらとまくし立てていたのは、どうもこの村の村長らしい。ダルマのような体型をした、人の良さそうな赤ら顔のオヤジだった。
 校長の長話も真っ青な、オヤジの話を要約すれば、こういうことだ。
 死人がえりを倒してくれてありがとう。あれには村人も困っていたところだ。次から次へと数が増えていくので、もうどうすればいいやら。
 ただ、それだけを言うのに、何で十分もかかるんだろうか。うんざりしながら、僕は話の続きに耳を傾ける。
「そんな訳で、あの死人どもを倒して頂きたく、町の方に討伐隊をお願いしていたのですが」
「人手が回らないのでしょう」
「ええ。最近、魔物の被害が多いそうで、町の警備隊も被害が大きいところから順番に、とこうですよ」
「しかし、あれだけの死人がえりが出れば……」
「それがそうでもないんですよ。もちろん、負傷者は出ているし、子供なんて命に関わる怪我をしたような子までいますが、死人は出ていないのでねぇ。後回しなんですわ」

「いえいえ、不満なんてありませんよ。それに近々、王都から騎士様がやってくるというお話でしたから、我々もほっとしておりますとも」
「王都からの騎士?」
 何故か、クレオが訝しげな顔をした。
「はい。陛下がこの村の現象をお聞きになって、ずいぶんと心を痛めて下さったそうです。もったいないことですな」
「陛下御自らですか」
「そうなのです。旅人さんがこうして倒して下さったとはいえ、死人がえりの原因を探らないことには、なんともなりませんからなぁ」
「はぁ……」
 にこにこと答える村長の応対を聞いて、僕はようやくクレオの当惑の理由を知った。
 王都からの騎士とは、クレオのことではない。
(じゃあ、誰のことだ……?)
 嫌な予感がした。
 だが、そんな僕の不安をよそに、クレオと村長の間で話が進んでいく。
「それで、お話というのは?」
「おお、そうでした! つい、前置きが長くなってしまって……」
 今までのは前置きだったのか。
 思わず机に伏したくなったが、ぎりぎりのところで踏み止まる。ちらりと目の端で横を見ると、クレオがこっそりとため息をついていた。



 外へ出た途端、解放感に伸びをしてしまった。
「なぁ、リュージ」
「なんだよ」
「今の話、理解したか?」
「何とかね」
「そうか……」
 何となく気まずい沈黙があった。僕はあわてて、明るい口調で話題を提供する。
「とにかく、その騎士様が来るまで、あのゾンビから村を守ってくれってことだろ?」
「ゾンビ?」
 駄目だ、通じないらしい。あわてて僕は言い直す。
「あー、違った。ええと、死人がえりだっけ?」
「そうだ。死人がえり」
 クレオが真面目くさった顔で頷いた。
「今回の目的と合致しているし、断る理由はないだろう」
「そうなのか?」
 問うた瞬間、失敗したと思った。何も言わなかったが、憂うつそうなクレオの顔色から見るに、僕はその話を聞いているのだろう。
 だが、彼はもう一度、言ってくれた。
「失われたものは、死だそうだ」
 なるほど、と僕は顎を撫ぜ、ぐるりと村を見回した。村の入り口の方に、赤い光が灯っている。
 焼いているんだ。
 目を細め、僕はこっそりと視線を外した。ふと、クレオの口ぶりを思い出し、首を傾げる。
「ちょっと待てよ。でも死人がえりっていうのは、何も珍しい現象ではないんだよな」
「良くあることではない。それも、こんな大規模にはな」
「じゃあやっぱり、この現象が死を奪われたっていうことなのか」
 死人がえりが呪いだとすれば、死が失われた、という意味も理解出来るのだが、何となく今までのものとは毛色が違う。
 確認の為、そう尋ねるが、クレオの返事はあいまいなものだった。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「っていうと?」
 クレオの表情が、ほんの少しだけ、硬くなったように見えた。だが、彼は重たい口を開く。
「第二王子エルネスト様が亡くなられてから一年。この近隣では一度も、死者が出た事がない」
 遠回しな言い方だったが、つまり呪いが始まってから一年、ということだろう。
 そこにフリージオ王子の名前ではなく、第二王子の名を挙げたところに、クレオの苦悩が見えるような気がして、彼から目をそらしてしまった。
 背中で、説明の続きを聞く。
「実は範囲が広過ぎて、どこから当たって良いか手をつけかねていたのだが、ここ最近、異常な数の死人がえりが報告されたことで、状況が変わった」
「それがこの村……ってことか」
 先ほどの襲撃を思い出し、そっと目で入り口の方を追う。赤い炎の揺らめきの向こうに、誰かの声を聞いたような気がした。

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