その初老の男性は、僕が差し出した本を見ると、小さく声をあげた。そしていとおしげにその表紙を撫ぜると、大切そうにページを開く。
「これは、私が息子に作ってやったものです」
 ワーンズレセフトの図書館にあったと告げると、彼は小さな目を精一杯、見開く。
「もうとっくに無くなったものだと諦めていたのですが、そんなところにあったのですね」
 彼との会話は終止、息子の自慢話で終わった。
 いつまでも続く、息子の八才までの記憶を、僕はただ笑って聞いていた。



「貴方、本当はいくつなのです」
 応接間へ戻った途端、リオデラートはそんなことを聞いてきた。
「何でそんなことを聞くんだ」
「あの落ちつきといい、どう見ても王子より年上のように感じますが」
 言われて初めて、僕はこの身体の持ち主の年さえ知らなかったことに気づいた。逆に聞き返してみる。
「この人、一体いくつだったんだ?」
「術を使われた時には、十九才でした」
「じゃあ、俺の方が若いね。十七才」
「十七……」
 リオデラートは大きく目を見開き、そしてふっと目をそらした。
「その割に、可愛げのないご性格で」
「こんなもんだろ、十七才なんて」
「そうかな。私が十七才の頃なんて」
「そこらで浮名を流して、その後始末に奔走してた」
 ぼそりと付け加えたクレオを、じろりと睨むが、彼はどこ吹く風という顔をしている。
 あれ以来、少しだけクレオとは気まずい。あの後、クレオには謝ったし、彼もさして気にする様子もなかったが、何となくきまりが悪い。
 その時、ちょうどクレオを呼ぶ人間がいて、彼はさっさと出ていってしまった。残されたリオデラートは、面白くなさそうな顔をしている。
「可愛くないな、十七才」
「揉めるような別れ方しか出来ないなんぞ、可愛いもんだろうが」
「そいつはどうかな」
 音を立てて紅茶をすすりつつ、僕はそっと苦笑する。
「女に刺されて終わる人生なんて、みじめだろうが」
 かたん、と皿にカップを戻すと、書類を手繰っているリオデラートを見る。
「それで、例の質問なんだけど」
「ああ、古文書にあった通りです。妄執の核は、ある人間一人の執着を、白の魔女が肥大させたものなのだ、と」
「そうじゃなくて」
 こちらが急かすと、分かっていると面倒くさそうに手を振った。
「少年の名はラグ。先ほどの学者、レアードの一人息子です。父親が王都に出仕していた為、ワーンズレセプトに母親と二人暮しでした」
「どうして亡くなったんだ」
「殺されたんですよ」
 感情のない声だった。彼は事務的に書類を眺めながら、軽く眼鏡を上げる。
「レアードは学者でしたが、学問の虫には珍しく目端の利く男でね。ある重臣の不正に気づいてしまったんです」
「それで、どうして家族が」
「家に火をつけられたんですよ。レアードは運良く生き残った。でも家族は」
「運良く、ね……」
 それを運良くと言えるのか、判断の難しいところだ。
「あの図鑑は、ラグ少年が図書館に忘れていったものだそうです。それで火難を免れたんですね」
 考え込む僕の耳に、リオデラートの静かな声が響いた。
「さて。それでは次の町の話でも致しましょうか……」
 感情を見せぬまま、話をそらすリオデラートの顔が、僕にはとても辛そうに見えた。



 幼い子供は、ソファーで新聞を読んでいた父親をつかまえて、こう訊ねていた。
「ねー、父さん。どうしてぼくはりゅうじなの?」
「りゅうじだからりゅうじなんだろう」
「そうじゃなくて、どうしてりゅうじってつけたの?」
 もどかしげにズボンを引く手を、こら、と軽くたしなめつつ、その人はこう答えた。
「そうだなぁ。隆二っていうのはね、隆盛の隆に、二番目の二、だな」
「りゅうせー?」
「んー、偉くなるってことだな」
 その答えに、子供は不満そうに口をとがらせる。
「じゃあ、何で二番目なの? 一番の方がすごいじゃん。二番目って、ちっともえらくなさそう」
「二番目だって、えらいだろ。簡単に二番目にはなれないぞー」
 そう言われても、子供の機嫌はなおらない。そんな息子に苦笑しながら、
「それにだな、二番目の方が人に優しくなれるような気がするぞ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。だって二番目って、ちょっと悲しいだろ」
「うん」
「悲しいことを知っている人の方が、人に優しくなれるような気がしないか?」
「そうかなぁ」
 疑わしげに首を曲げる子供はまだ知らない。
 悲しいから、優しくなれるんじゃない。悲しくて悲しくて、どうしようもないから、優しくなれないこともある。
 それでも名前にこめた意味に、たった一つの言葉を汲む。
 ――優しい子に育ってほしい。
 どんなに辛い事があっても、真っ直ぐに高みを目指して。

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