「で?」
 俺はぐるりと首を回し、標的をリオデラートへと定めた。他の二人はとても話が通じそうにもない。部下はヒステリーだし、上司はアホだ。
「具体的にどうすれば良い。まさか何も分からずに、とりあえず王子を無駄死にさせたってわけじゃないだろ」
 そう言った途端、騎士達が目を尖らせたのが分かった。だが、僕は動じない。リオデラートも蔑むような一瞥を向けたものの、反論はせず、冷淡な声で告げた。
「都を歪ませている七つの災厄には、それぞれ闇の核があります」
「核……つまり、元凶ということだな。それはどこにある」
「歪みの中心に、その核はあると言われています。異世界の者が触れることによって、その正体をあらわすとも」
 それを聞き、僕は少しげんなりとした。面倒な話になりそうだ。気乗りしないまま、質問を重ねる。
「騒動の元凶を暴けば終わるという訳でもないんだな。それを倒すにはどうする」
「だからこそ、騎士を同行させるのです」
 リオデラートの答えは簡潔だった。
「姿さえ暴いてしまえば、通常の魔物と同じ。剣で倒すことが可能となる」
「了解。元凶を探して触れるまでが、俺の仕事。それからが、こいつの仕事って訳か」
 ぴくん、と女騎士の肩が震えた。また、逆鱗に触れたらしい。
「貴様、団長に向かって……」
「構わない」
 半ば諦め気分だった僕は、少しだけ驚いた。騎士はやや怒りさえにじませた声で、彼女を制す。
「第一、彼も好きでここにいる訳ではない。王子が呼んだ異世界からの客人だ。むしろ、無礼なのはこちらだろう。少し口を慎め」
「しかし」
「それが王子の遺志だ」
 彼女は、黙り込んでしまった。その目にまた、涙が浮かぶ。それを見ていると、僕は何とも言えなくなって、目をそらした。
 可哀想だとは思わない。ただ、美女の涙を見るのが忍びなかっただけ。
 そんな僕の腕を、強い力が取った。
「行こうか。異世界の客人」
「あ、ああ」
 かなり強引に手を引かれ、僕は彼の後ろに続く。
「クレオ!」
 彼の背が止まった。背後からの声は、悲鳴の様に尾を引く。
「お前には、忠義というものがないのか!」
「あるさ」
 あっさりと答えた彼は、声の方へと振りかえる。その時、こちらから見えた彼の表情は、気持ちを推し量りにくい笑顔だった。
「ただ、お前とは違うだけだ」
 そのまま部屋を出ると、どんどん早足で行ってしまう。手を持っていかれているこちらは、一生懸命ついていくのが精一杯だ。
 曲がり角へ来たところで、ようやく彼はこちらの腕を解放した。
 あっけに取られている俺に、一つ頭を下げる。
「私はクレヴァリア=ティオ・グランという。今後、貴方の護衛として任に就く」
「く、くれ……何だって?」
「クレオと呼んでくれれば良い」
 そうする、と即答する。悪いが、とても覚えられそうにない。そんな僕の様子を見、クレオと名乗った彼は、表情を緩めた。同じ笑みでも、より自然なものへと変わる。
「貴方の名は」
「俺? 俺は隆二。山崎隆二っていうんだ」
「リュージ? 聞いたことのない家名だな。……ああ、そうか。異世界だから」
 すぐに会話の食い違いに気付く。どうやら、この身体についた自動翻訳機能も、その辺の微妙な言い回しまでは修正してくれないらしい。慌てて訂正する。
「いや、ええと、こっち流でいうなら、リュージ・ヤマザキだよ。名前がリュージで、ヤマザキが、家名っつったら家名か」
「リュージ・ヤマザキ」
 妙に真面目くさった顔で受けとめたクレオは、馬鹿正直に頷いた。
「では、ヤマザキ殿と呼べばいいのか」
「何でだ」
 思わず、脱力してしまった。
 最初から思っていたが、この男、少しずれている。怖いんだか馬鹿なんだか、良く分からない。
 不思議そうな顔をしている、明らかに自分より年上の男に、僕はいつもの調子で軽く言ってのけた。
「リュージで良いよ、リュージで。俺、あんたよりずっと年下だぜ? 殿とか付けられても困る」
 それに対し、彼は顔をしかめるでも、明るく笑い返すでもなく、ただ神妙な顔で分かった、と頷くだけだった。



 ひとまず、と部屋に戻された僕は、クレオから明日の目的地の説明を受けていた。
 やけに早口だったのは、眠そうな僕に配慮してくれたせいかもしれない。
「この都市からは、名前が失われている」
 クレオの声を聞きながら、僕は寝台の上に転がった。途端に、体が急に重くなったような気がする。やはり馴染まない、と内心でぼやきつつ、話に耳を傾ける。
「住人や店の名前と言った固有名詞はもちろん、物の名前のような当たり前の単語でさえ、忘れ去られている。そもそも、名前と言う概念を失っているようだ」
「じゃあ、どんな風に会話しているんだ」
 当然のように湧いた疑問に、彼は真面目くさった顔で答えた。
「あれ、とか、それ、とか」
 思わず目を細めると、視界が急に曇ってきた。まずい、と目をこすり、何とか覚醒させようとするが、だんだん頭に霧がかかってきた。寝転がっているからだ、と体勢を戻そうとしても、重くなった体は容易に動いてはくれない。
 仕方なく、にじむ視界のまま、そこにいるはずのクレオを探す。
「どうもイメージにならないな」
「実際に聞かないことには、掴みにくいでしょう。どうなさいますか?」
 一瞬、誰が問われているのか分からなかった。どうやら自分だ、と気づき、何とか頭を傾ける。
「……は?」
「あ、いや……」
 声に、気まずいものが混じった。一つ咳払いをし、クレオは改めて言い直す。
「明日、行ってみたいと思うんだが、どうだろう」
「そうだな」
 なら、今日はもうおしまい。そう締めると、急に眠気が襲ってきた。目蓋がぴたりとくっついて、もう離れそうにない。
「リュージ」
 夢うつつに誰かが呼ぶ。かすかにざわめいた何かを追いながら、徐々に無意識の海へと落ちていく。その中で、誰かとこんな会話を交わしたような気がした。
「貴方に、期待しても良いのですか」
「困る」
 一度は突っぱねて、僕は笑ってみせる。
「と言ったところで、僕には選択権がないんだろう。だったら、聞かないでくれ」
「辛くないのか」
「……辛いけど、でも」
 ゆっくりと白波が襲う。今度こそ、目覚めないことを期待しながら、思考を真っ白に塗りつぶしていく。
「でも、僕にはもう、ただ一つしか救いがないんだから」
 全てが夢であって欲しいと、虚しい願いをかけながら。

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