「おやおや、早速、脱走ですか」
 引き立てられてきた僕を、笑顔で出迎えたのは、いけ好かない銀髪青年だった。
「何か、気に入らないことでも?」
「気にいらねぇのは俺じゃなくて、ここの奴等の方じゃねぇの?」
 そういうと、彼はわずかに笑みを消した。といっても、口元はそのままだ。目だけが細められ、わずかに獣のような気配を漂わす。
「どういう意味です」
「俺は別に逃げた訳じゃないぜ。ただ、この城の中を見たかっただけだよ。なのに、過剰反応しやがって」
「勝手に歩き回ったからだ!」
 後ろで女騎士がぎゃーぎゃー喚く。さすがに、うんざりしてきた。くるりと彼女を見る。
「じゃあ、歩き回るなって言ったか? 言ってないだろ?」
 一瞬だけ、ぐっと詰まったように見えた。だが、すぐに開き直ってくる。
「言わなくたって、分かるだろうが」
「はぁ? 言われなければ、分からないっつーの。俺の世界じゃ、人様の家はともかく、城の中は自由に歩き回って良いことになってたんだからな」
 美しい顔が、ぐっと歪む。尚も続けようとした僕は、あることに気付き、口をつぐんだ。舌打ちくらいしてやりたい心境だったが、あえて止める。
 涙ぐんでいる美女相手となると、途端に罪悪感が湧く。
 現金なものだ、と内心でぼやきながら、僕は男の方へ矛先を変えた。
「明日という約束だったが、もう十分だ。俺もあんまし気の長い方じゃねぇのよ。事情も分からないまま、ガンガンと怒鳴り散らされんのには耐えらんないわ」
「……なるほど」
 おそらく、状況を理解したのだろう。男は、軽く眼鏡を押し当てるようにする。
「ま、良いでしょう。見たところ、貴方も大分、慣れてきたようだ」
 そう言われ、改めて時間を置こうとした男の配慮に気付かされる。確かにあの状態の僕に、彼の話を理解出来るだけの余裕はなかった。
 そう思うと、いけすかない横顔も、ほんの少しマシに思えてきた。
「ここは、セブンズゲートと呼ばれる世界です」
「ヘヴンズゲート?」
 天国への門。そう解釈した僕を、彼はやんわりと首を振って言い直す。
「セブンズゲート。七つの都で作られた地という意味です」
 その名を反復し、僕は昨日の会話と合わせて、知識を形作る。
「ここは、俺のいた世界とは違う世界。確か、そんな風に言ったよな」
「そうです。どんな風に違うかは……貴方の世界を知らない以上、お教えしようがないのですが」
 それはそうだろう。僕にしたって、西洋風だな、とか、微妙に装飾品がオリエンタルとか、その割に模様がオカルティックだとか、元の世界との比較でしか言い表しようがない。
 その辺は、自分自身で理解していくしかないだろう。
「……それで?」
「それで、とは」
「俺に、何をさせようって言うんだ。わざわざ呼び寄せたって言ったよな。それって、何かに利用するつもりだからじゃねぇの?」
 単刀直入に訊ねると、さすがに男も目をむいた。そして苦笑しながら、指を折る。
「貴方に課せられた使命は二つ。一つは、この世界を元の姿に戻すこと。そして、白の魔女を倒すことの二点」
「白の魔女?」
「本人はそう名乗っている」
 そう呟いた瞬間だけ、男の目が剣呑な色を含んだように見えた。だが、数度瞬きする内に、すぐにどこか人を小馬鹿にしたような様子を取り戻す。
「二年ほど、前のことです。彼女は突如、この王宮に攻め入ってきた。そして第二王子の命を使い、ある呪法を完成させた」
「ある呪法?」
「世界に呪いをかけたのです。そして、七つの町から一つずつ、大切なものを取り上げてしまった」
「大切なものって、どういうものなんだ」
 矢継ぎ早に質問を投げかける。そんな僕に、男はペースを乱すことなく、淡々と答えた。
「最初は気づきませんでした。彼女は、目には見えないものを奪っていったのです」
「目には見えないものを奪うって言われてもなぁ。まさか、ココロとか言ったりするの? 元々、あるんだかないんだか分からないのに?」
「貴様!」
 つい、いつもの調子で続けた軽口に、横の女騎士がいきり立った。剣を抜きかねない右腕を、眼鏡の男がそっと押える。
「やめておけ。今となっては、これに頼るしかないんだから」
「しかし……!」
 見つめ合う二人、黙って首を振る男の顔には諦めの色が濃い。
 気に入らなかった。これ呼ばわりされたのも、ちくりときたが、そんな些細なことなどどうでも良いのだ。
 ただ何かが気に入らない。
 だが、言っても仕方あるまい。僕は投げやりに片手を上げる。
「もう一つ、質問させて欲しい」
 二人の視線が集まるのを感じながら、その質問を口にのせる。
「その第二王子ってのが、俺の身体の持ち主なのか?」
「いいえ。その身体は……」
「第三王子、フリージオ様のものよ」
 ためらいがちな青年を遮り、騎士が前に出た。そして、僕に掴みかからんばかりの勢いで迫ってくる。
「その方は、あんたを喚ぶために、命を捨てたの! 死んだあんたに器を譲るためにね!」
 激しい糾弾を受けながら、僕は徐々に冷めていく心を感じていた。
「あんたは死人の身体に入ってるんじゃない。一人の人間を殺して、ここにいるのよ!」
 ちらりと青年を見ると、やはり達観した様子で眼鏡を押えた。
「ま、そういうことです」
 彼の表情は、読むことが出来なかった。だが、決してこの女性から遠い答えではないはずだ。
「白の魔女がかけた呪いは、決してこの世界の人間では解くことが出来ない。けれども、異世界の人間そのものを召還することは不可能でした。唯一可能だったのが、魂だけを呼び寄せること」
 言い訳がましい繰言を聞き、僕は頭の中でゆっくりと整理を始めた。
「だから、この世界の人間に異世界の、つまり俺の魂を入れ、世界を救わせようと決めた。そういうことか」
 彼等は答えなかった。まるで認めるのが癪だと言わんばかりに。
「古の術だそうです。それを見つけ、実行したのはフリージオ様でした」
「ふぅん」
 一つ鼻を鳴らす。その行動に、騎士が顔を歪めたのが見えた。
 いい加減、僕にも分かってきた。どうして、彼女がここまで激昂するのか。そして、他の兵士達がどうしてあんな反応をするのか、について。
「つまり、俺に世界を救えってことか。それも一人で」
「さすがにそこまで無茶は申しませんよ」
 さらりと言ってのけた青年は、傍らの女騎士を指す。まさか、と思った僕に、奴は悪魔のような笑みを浮かべた。
「この者は手弛れの騎士。必ずや、貴方の力に――」
「など、なるつもりはない!」
 だろうなぁ、と思いながら、僕は少し顔を引き締めた。
「私をなんだと思っている。言ったはずだ、二度と剣を握るつもりはないと」
「分かっている。だが、この役目を果たせるのはお前しか」
「冗談じゃない! 王子の代わりなど、誰に出来る。あの方が、あの方が」
「寝ぼけたことぬかしてんじゃねぇよ」
 予想以上に低まった声に、女騎士は涙に濡れた目を向けた。だが、僕も今度はためらわない。
 ずっと夢だろうと、たかを括っていた。今でもその思いはある。だが、ここまで来るとさすがに、夢でないと腹を決めて行動しなければ。
「俺に何を期待している? この世界を知らないガキに」
「期待なんて」
「してねぇってんのなら、今すぐ俺を殺せば良いだろう」
 ぴくん、と女騎士の肩が揺れた。その表情から、騎士という部分が消えうせ、女の部分だけが残る。
「その身体は、王子のものだ」
「……中身は薄汚ねぇクソガキだけど?」
「王子は!」
 涙混じりの悲鳴。振り上げられた拳を覚悟し、歯を食い締める。
 だが、いつまで待っても、それが落ちて来ることはなかった。
「そのくらいにしておけ」
 聞き覚えのある、ゆったりとした声。目を開けると、いつのまにか出現した長身の男が、騎士の腕を止めたところだった。
 漆黒で固められた姿は、庭で見た時と同じものだ。
「あまり部下をいじめんでもらいたいですな、リオデラート殿」
「……人払いをしておいたはずだが」
「重苦しい肩書きも、こういう時は便利だな」
 新たに出現した三人目の声に、眼鏡の男が呆れたような声を響かせる。どうやら、眼鏡男の名はリオデラートというらしい。
「職権乱用だな」
「お前も同じくらいの無茶を言っているだろう」
 リオデラートを見据え、苦々しげに首を振る。
「彼女は近衛だ、ここを離れさせる訳には行くまい」
「だが、彼を一人で行かせる訳にはいかないだろう。だから、王子の側近に頼もうというんだ。それのどこが不自然だ?」
「そう思っているのならば、どうして私に言わなかった」
 彼等はしばらく視線だけの応酬を交していたが、リオデラートの口上で、舞台を舌戦へと変える。
「名前だけの団長殿に話すよりは、実務を担当されているハーディ様にご了解を取った方が良いと思っただけですけど?」
「たとえ事務的なことは名だけでも、戦場のことは私の管轄下だ」
 かすかに眇めた目は、ぞっとするほど凄みがあった。
 女騎士を部下と言っているのだから、固い表情をした男も騎士、それも指揮官クラスだろう。
 それを無視しようとしていた辺り、リオデラートには何か魂胆がありそうだ、と考えてしまうのは、うがち過ぎだろうか。
 だが、用心し過ぎることはあるまい。何といってもここは異世界、僕の常識がどこまで通用するのかも怪しい場所なのだ。
 僕の思考をよそに、彼等の話はどんどん転がっていく。
「その役目、竜騎士隊が請け負おう」
「何だって?」
 これには僕だけでなく、リオデラートも目をむいた。慌てて、手を振る。
「ことの重みを分かっているのか? 確かに任務自体は危険が伴うわけじゃない。だが」
「心配ない。私が行く」
 その時は聞き流したものの、改めて目をむく。
 騎士の偉い人が、自ら外へ出るって?
 ちらりと横を見れば、絶句するリオデラート。この反応を見れば、やはりこの世界でも非常識な話なのだろう、これは……
「不足か?」
 不敵に笑う漆黒の騎士に、部下と呼ばれた女騎士が咎めるような目を向けた。
「貴方、本気なの?」
 そうだ、やはりこの世界でも、これが常識的な反応のはずだ。安堵したのもつかの間。
「貴方だって、殿下に忠義を誓ったはずなのに」
 注目すべきはそっちですかい、アナタ。
「それとこれとは話が別だ。私は騎士だ。必要とされる場面に動く」
 かっこよく言った後、漆黒の騎士団長は少しだけ声を小さくする。
「それに俺にとっては、名だけの団長というのも、居心地が悪いんだ」
 つまり、それが本音ですかい、アンタ。
 この部下にして、この上司あり。私情挟みまくりのスピード談合に、僕とリオデラートが顎を外しかけていた横で、彼等は爽やかに会話を交している。
「そして私にここを守れというのね」
「すまない」
「良いわ。元々、そっちが本職ですもの。それに、それが殿下の意志ですものね」
 どこか寂しげに笑う女騎士は、確かに絵になった。神妙な顔をした漆黒の騎士は、武骨さを感じさせるところが、男の目から見ても格好良い。
 だが、中身を考えると、僕は素直に見惚れることは出来なかった。
「……至極もっともな提案、痛み入るよ」
 リオデラートは、その皮肉を言うのが、やっとという印象だった。ちらりとこちらに走らせた目は、如実にこう語っていた。
 だから、こいつを通すのは嫌だったんだ、と。

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