その部屋は、やけに立派なところだった。手荒い扱いから、牢獄を覚悟していた僕は、思わず拍子抜けして周囲を見回す。
「なぁ」
 振り返ると、兵士が部屋から出ようとしているところだった。僕は少し声を高めて、質問を投げかける。
「さっきの人、誰? えらく機嫌悪そうだったけど」
 ばたん、と音を立てて扉が閉まる。もちろん、こちらなど見もしない。
 あっけにとられていた僕は、仕方なくその辺に腰掛けた。
 小さな腰掛け一つでさえも、優しい座りごこちを提供してくれる。そうやって、足をぶらぶらとさせながら、僕は何気なく周囲を見回した。
 大きな寝台が端の方に一つ。そして、大きな机がどしんと据わっている以外は、小さな花台やら小物入れらしき物入れが置いてある程度だ。あまり、物はない。
 どうも客室とも思えず、僕はゆっくりと場を立つと、机に手をかけた。
 机上は綺麗に整頓され、ペン差しといった道具以外のものは何も出ていなかった。引き出しを開けるが、中は筆記用具や便箋、吸い取り紙といった実用品に支配されているだけだ。私物らしきものなど、一切ない。
 結局、この部屋の主を探す手がかりになりそうなものはなかった。
 立ったまま、机にぐったりと伸びていると、大きな音がした。僕は慌てて跳ね起きる。
 乱暴に扉が開かれた。
 一番最初に会った、ハリウッド女優系美女だ。彼女は、最初に見た時の儚げな風情など片鱗も見せずに、じろりとこちらを睨みつけてきた。
 その眼光の激しさに、僕は背筋に汗が伝うのを覚えた。
「え、ええと、この部屋は」
 動揺を隠そうと、調子外れな声を上げてしまう。すると、彼女の目がますますきつくなった。
 ヤバイ。これは本格的に怒らせたかもしれない。
 実を言うと僕は、口調から誤解されるほど、喧嘩早い方ではない。どちらかといえば、争いは好まない性質だ。ましてや、それが女性相手ならば特に。
 フェミニストとは言えない僕だが、人並みの感性は持ち合せていた。
「ええと、そう。何か、俺に用事でもあるのかな、なんて」
「認めない……」
 低い呻き声を、確かに聞いた。僕は、思わず目を瞬かせる。
「認めない? 何を」
 そう問うた
「お前など認めないと言ったのだ!」
 来た時以上に、乱暴に閉められた扉を見、僕はただあ然とするばかりだ。
「な、何だ……?」
 憤りがないといえば、嘘になる。だが、それ以上に、彼女の視線にあった悲しげな色が気になった。
 先ほどの視線を思い出すと、自然と胸がすくむ。

 あれは、僕を責める目だった。



 ふと気づくと、部屋は真っ暗になっていた。いつのまにか、眠ってしまったのだ。今、何時だろうと枕元の時計を探すが、見当たらない。
 しばらく枕元を探り、ようやくこの場所が自室ではないことに気づいた。
 部屋の中を見回してみるが、それらしきものはなかった。では誰かに時間を聞こう、と廊下に出るが、全く人気がなかった。
 しんと静まり返っている廊下を見ている内に、ようやく黄泉の国へ辿り着いたような気がした。今までのことは全て夢で、自分は今やっと死者の国で起きたところなのではないかと。
 もう何でも良いや、と苦笑しながら、廊下をぶらぶらと歩く。どこかから、三途の川までの道案内が出てこないか、と淡い期待をかけながら。
 その時、ふと通り掛かった部屋の前で、若い男の声を聞いた。
「私は御免です!」
 特に聞く気もなかったが、自然と耳に入ってきた。
「どうして、あんな男の護衛など」
「その気持ちは良く分かる。私だって、同じ気持ちだ」
 片方の声に、身が竦む思いがした。先ほどの女性の声だ。
 では、これは自分のことなのだろうか。
 その他にも、何かくどくどと言っているようだが、耳に入らなかった。行ってしまえ、と思いながら、体が動かない。
「だが、我々は騎士だ。どうか耐えて、任務を続けて欲しい」
「しかし……王子のことを思うと」
 王子という言葉に、僕はわずかに引っかかるものを覚えた。
 確か、彼女も僕を見た瞬間、王子と呼んだはずだ。もちろん、僕が王子である訳がないのだが、何だか気になる。
 もっと話を聞こうと扉に耳を近づけた瞬間。
「そこにいるのは、誰だ!」
 背後から、声がかけられる。見回りの兵士だろう。迫ってくる足音に、改めて捕まりたくない、という思いがこみ上げてきた。
 気づくと、とっさに回廊を飛び越えていた。そのまま植え込みに入ると、それらをくぐり抜けるようにして、やみくもに先を目指す。
 突然、視界が広がった。
 庭の一角なのだろうか。華奢なデザインをした椅子とテーブルが鎮座している。テラスのようになっているその場所には、人気がない。
 先を急いだ方が良いのは分かっていたが、椅子の誘惑には勝てなかった。少しだけ、と腰掛け、ぐったりと身をもたせかける。
 自分の身体よりも、軽いような気がした。動きやすいし、体力もあるのだろう。だが、やはりどこかに違和感が残っていた。
 しっくりこないと言おうか。動かす度に、軋むような感覚がした。
「死後硬直かなぁ」
 口にして改めて、笑えない、と呟く。
 ふと視線に気づいた。何気なく、そちらへと目をやる。

 薄い月明かりの下、そこだけが光を避けたように見えた。腰に剣を佩いた、長身の影。
 漆黒の瞳が、自分を見ていた。その姿勢のまま、立ち尽くしている。
 昼間、すれ違った人だと気づいた。だが、動けない。早く逃げなければ、と焦りながら、その視線から遠ざかることが出来なかった。
 闇色の瞳が秘めた、ちりつくような熱。
「王、子」
 その呼びかけに、ようやく呪縛が解けた。背を向け、逃げようとした僕の腕を強い力が引く。
「離せ!」
 振り解こうとしたが、ぐいと反対の腕まで押え込まれてしまう。後ろから羽交い締めにされたまま、必死に逃げようとする僕に、ため息混じりの声が届く。
「すまない」
 ぐっと動きを止める。再び、その言葉を反芻し、僕はじろりと男を睨みつけた。
「すまないと思うなら、離せよ」
「それは……」
 整った顔が、困ったように歪んだ。そして、目が伏せられる。
「すまない」
「謝りゃ良いってもんでもないだろ」
 そう言いながら、僕はだらりと力を抜いた。戸惑う男に、小さく肩をすくめてみせたその時。
「クレオ! そのまま、捕まえておけ!」
 遠くから、声がした。まるで罪人のような言われように、さすがにうんざりしながら、僕はそっと目をそらす。
 暗い庭の向こうに、かすかな町の光が見える。その光が、何だかひどく遠い場所のように感じた。

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