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(……ったく) 今まで、何度も繰り返してきた式典。 毎年だか、毎月だか実施されている式典だが、いつも内容自体は覚えていない。 季節の変わり目に実施されるものやら、記念日に実施されるものやら、山ほどあるのだ。 下らない、とは思う。だが、これもキルシュの仕事だ。 今まではそうとしか思わなかった。多少、面倒さを感じても、それだけだ。やや舌打ちしたり、毒づいたりしてしまうこともあったけれど、キルシュにはどうしようもないこと、と割り切ってきた。 だが最近は、不相応に高い、自分の立場という奴を面倒だと感じたりもする。 その原因はまぎれもなく、この位置から仰ぐ、あの白い支配者の存在。 今回は席の場所の関係で、ヨーゼフを中心に、席が上へと伸びる逆円錐型の会場だ。キルシュのいる場所は、司法官達が集う中でも一番下層の、やや高めのテラス。 アリュードはもっと上の席でキルシュを探していることだろうが、キルシュは他の最高司法官とは生まれが違う。法の場では平等だが、こういう式典では慣例というものがあった。アリュードなら無視しろ、と言いかねないので言わずに来たが、周囲はそれとなく汲んでくれ、彼を宥めてくれているはずだ。 圧倒的なカリスマを集めるのはアリュード。だが、こういう部分で信を集めるのは自分の方だ、という自覚はある。 「キルシュ殿」 名を呼ばれ、ぴくりと眉が上がった。 優雅に一礼するその人に、既視感を覚えた。前もこんなことがあったな、と腹の中で呟きながら、キルシュはせいぜい平静を装った。 「サーシャル殿」 サーシャル。若くして大臣職に就く彼は、今やこの国の重鎮といえる存在だろう。 その彼が、恭しく一礼して、横の椅子を示した。 「横、よろしいですかな?」 「貴方ほどの御方なら、特等席がご用意されているのでは?」 「それは貴方もでしょう」 遠まわしな拒絶を、彼はすました顔で聞き流し、勝手に横へと陣取った。ちらりと睨んだが、意に介することもなく、平然と、こんな風にうそぶく。 「貴方は、このファーシルの要なのですから」 キルシュ自身もまた、その言葉をかわせず、結局は苦々しく黙り込むしかない。 法治国家、ファーシル王国。 王ではなく司法官が中枢を担ったという歴史を持つこの国において、たとえ現段階では王に権力を譲っているとしても、最高司法官の名も責務もはけっして軽いものではないのだ。 少なくとも、そう振る舞わなくてはならない。 だからこんな仰々しい式典にも、座っていなければならないのだ。 (ファーシルに権力が乱立し、必要以上に対立することは――望ましく、ない) 王の権力に屈することはない。けれども、二つが遠く離れていてはならない。だからこの状況も、どれだけ馬鹿馬鹿しいと思っても、仕方ないと受け入れるしかない。 結局、キルシュは平民だ。だから、その視点でしか物が見られない。 アリュードならば、あるいは横のサーシャルであれば、もっと思い切った態度を取るのかも知れないが、キルシュはあくまで今現在、あるものを変化させず、かつゆるやかな変化をこそ望ましいと思っている。 変化は、破壊と同意語だ。大抵の人間は、変化こそ望んでも、破壊は望まない。 覚悟など決めていない人間が、急激な変化という破壊を受け入れられはしないのだ。 だから、キルシュは現状維持を望む。 ――そう、現状維持だ。 それがキルシュの望みなのだ。だから、これは。 ぐっと膝の上で固めた拳が、小刻みに震える。 白の王子の演説は、ちょうど終盤へと差しかかったところだった。優美な手を上段に掲げ、彼は朗々と声を響かせる。 「昔、司法官は、一種の聖職者だった。だから初代ファーシル王は、この宝冠を指して言った」 はっとキルシュは顔を上げた。幼い日のやり取りが、鮮やかに脳裏によみがえる。 (君の名前は、クランだ) そう笑ったのはキルシュだった。そして、それを笑って受け入れたのは。 (僕が、君に名を) 互いに交換したその名が、どちらもある一つのものを指していたのは、今から考えると不思議なこと。 クラウン。そして―― 「ミトラ」 ぽつりとキルシュの口からこぼれた言葉に、横のサーシャルがふと目を瞬かせた。 「ああ、そういえば初代ファーシル王の宝冠は、ミトラと呼ばれていましたな」 「……ええ」 王冠を擁く定めなど知らずに、キルシュが彼に与えた名が王冠を示していたように、彼の辿る運命など知る由のないヨーゼフが名づけたのは、皮肉にも法冠を示す言葉。 檀上の王子は、そんなキルシュの内心など知ることなく、堂々と演説を続けている。 「誓おう、この宝冠こそ、我が良心であり、国民との約束である、と!」 わぁぁっ、と沸き起こる歓声の渦の中、キルシュだけが一人、記憶の彼方へと飛ばされていた。 あれは、まだ幼かった頃のこと。 一緒に遊んでいた少年が、大人達、下町の大人達から罵声を浴びせられ、石を投げられた時のこと。 「……ミトラ」 「気にするな」 手を引いてその場から逃げだした二人は、子供しか入れないような狭い路地で、ようやく息をついた。 取りだしたハンカチはあまり綺麗ではなかったので、彼のすすけた頬を拭うのはやめた。 怖かったのか、しくしくと泣き出すのを必死に堪えている友の姿に、キルシュはぽん、と背をさすることしか出来ない。 最悪な時代だった。 国自体は豊かで、大抵の国民が幸せな生活を営む中、一部の、この地域の住人達だけはひどく劣悪な環境と労働条件下に耐えていかねばならなかった。働けど働けど、ちっとも楽にならない時代、彼らは確かに憤っていた。 そんな中、綺麗ななりの子供がうろうろしていれば、怒りを買うだろう。 考えれば想像がついた。けれど、キルシュはそれを告げはせず、その代り、こう繰り返した。 「気にするな、君のせいじゃない」 「でも」 「生まれなんて誰も選べない!」 思わず、怒鳴ってしまった。 彼が脅えるのを見て、キルシュはすぐに我に返り、ゆっくりと言葉を変える。 「だから君のせいじゃないんだよ」 子供は、親を選べない。 何一つ選べず、与えられるものをただ享受しなければならない彼らに、何の責任があるというのだろう。 確かに、その差は辛いのだろう。大人であっても、選べるものは限られている。 だから、そんなのは間違っているのだ。 けれど、皆間違っていると思うだけ、弱いものにその怒りを向けるだけ。 間違っていることを正そうとしないこと、それはやはり間違いなのだ。 間違っている人間に、誰かを責める資格などない。 戦おうとしないのに、戦えない誰かにその怒りを向ける権利などあるものか。 頑なにそう首を振ったキルシュの耳に、その声が届いた。 「――でも、そう生まれたのなら、その運命を受け入れるべきなんだろう」 かすかで、ひどく弱いのに、不思議なほど耳に残る、声。 「数多くの犠牲の上に僕がいるのなら、僕はその非難を受け止め、あるべき定めを全うする義務がある」 ひたむきにこちらを見つめる瞳に、圧倒される。 その瞬間、キルシュは知る。 この人の生きる世界は、キルシュとはまるで違うところにある。 そんなキルシュの表情を見て、何かを感じ取ったのだろう。彼はそっとなだめるように、キルシュの髪に手を触れた。 「僕が特別な訳じゃないよ。死んでいく子供達が運命を選べなかったのと同じ」 だから、それは特別でも、不幸でもない。 そう言ってしまうその人に、キルシュは知らず怒りを感じていた。 出会ったことが奇跡なら、出会ってしまったことがひょっとしたら間違いだったのかもしれない。 自分が、この人と分かち合えることなど、何もないのだ。 そう分かっているのに、言葉が口をついて出る。 「……そんなこと認めない」 きっと、そうなのだろう。 この世界は不平等で、与えられる量がまるで違う。 それはきっと、永遠に変わらない。 「君が、全てを与えられたというのなら、沢山選べるはずなんだ。選べないっていうんなら、それはつまり、君に」 「違う」 聞きたくない、と言わんばかりに首を振る彼に、ああ、本当は分かっているのだ、と思わずにはいられない。 ならば、告げなければならない。 そのことを思う人が、この世界のどこかにいると、その一つだけ。 「君には、選べる自由が、与えられなかったということ」 気づいてほしい。 けれど彼の返答はまるで曖昧で、キルシュの声はまるで届かないと知った。 誰も手の届かない、誰も代われない、重たい荷物を背負ったまま、彼は一人で行くのだろう。 ――声では、届かない。 きっと伝わらないのだろう。 全ての人が平等ではいられない世界で、不平等に苦しむのは、何も庶民だけではないのだ、と。 きっと、この壁は絶対。 (――それなら) それなら自分は、この世界と戦い続けて、戦い続けて、その先で得よう。 この世界を恨む自由を、彼に与えよう。 この身体を揺るがすような声。音の洪水の中、キルシュは固く歯を食い締めることしか出来ない。 あの時の誓いを、結局のところ、忘れたことなんてなかった。 でもそれはキルシュの独りよがりな思い込みで、世界は、そしてヨーゼフは、そんな戦いなんて必要としていなかった。 それでも戦い続けるとしたら、それはどんな理由だろう。 キルシュが変えまいとしているもの、変えようとしているものは―― 「え?」 がたり、と横のサーシャルが立ち上がった。彼にしてはひどく張り詰めた様子で、端正な顔を歪ませる。 「王子っ!」 切羽詰まった響きに、キルシュがはっと顔を上げたその時、どぉんと歓声をも打ち破るほどの爆音が、辺りを一瞬にして火の海へと変える。 「ヨーゼフ王子ッ!」 悲痛なサーシャルの声に、思うより先にキルシュの身体はテラスを軽々と飛び越えていた。 |
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素材配布元:「神楽工房」様