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王都のやや郊外に位置する、閑静な住宅街。主に司法に携わる者が住んでいるこの地区の一角に、そのこじんまりとした住居があった。 家人の名はキルシュ・ビバルディ。妹と二人暮しをしている。その彼の家の、優しげな明りに照らされた居間では、明るい笑い声が響いていた。 「マヌケだなぁ、アリュード。そんな馬鹿なこと、三流喜劇だってやらないぜ」 ひとしきり笑った後、その場に居た同僚は目尻の涙を拭き取りながら言った。 彼女は司法院唯一の女性司法官である。だが、髪を短く切り揃えた中性的な風貌からは、あまり性別を感じさせぬ雰囲気があった。 「しかし、惜しいことをしたなぁ、キャスリン。何てったって王子は、城下街の女どもが挙って一度は抱かれたいと願うと評判の騎士王子だからして……って!」 ぱかん、と威勢の良い音が響いた。金髪の少年が、顔を赤くして叫ぶ。 「何を言うんだ、お前は! キャ、キャスリンに何てことを」 「おいおい、アリュード。お前も見た目通りの純情坊やだねぇ」 「純情坊やって……俺はもう、二十六だ!」 胸を張ったアリュードは、ぐらりと足元を揺らし、再び椅子に着地した。既に酔っているのか、素でもやや頬が赤い。 「だけどお前、とても二十六には見えないよ。眼鏡をとっちまうと、まだ十六、七でも通用しそうな顔立ちだ」 「うるさい、放っておけ」 揶揄する友人をにらみ、アリュードは更に深く、身体を沈ませた。ソファーは質素で、決して高いものではないだろうが、弾力性に富んだ材質を選んでいる。 そんな家具一つにも、この家の主人の意向が見えるようだ。 「ずいぶんと騒がしいね」 そして、丁度その主人が顔を出した。アリュードとその悪友セリカは主人が運んできた料理の数々に、大きな賞賛を浴びせる。 「おう、キルシュ。それがコイツ、王子に喧嘩売っちまったんだとよ」 「喧嘩? 祝いごとの席で!?」 声をあげながらも、彼は器用に幾つもの皿を台の上に並べた。そして、軽くアリュードを睨む。 「君も非常識なことをする」 「だ、だって」 口ごもるアリュードを見かねて、横に居たキャスリンが口を挟んだ。 「お兄様、私が悪いのです。アリュード様は私を庇おうとして――」 「そんなことはないさ。俺が勝手にしてしまったことだ。むしろ、キャスリンには迷惑をかけたと」 「いいえ、そんなこと。私は――」 「もう良い。何となく事情は掴めた」 お互いに見つめ合ったままの二人を見比べ、キャスリンの実兄である青年は深く息をついた。妹と良く似た美しい面差しをしているが、キャスリンより鋭い印象を与えるのは、職業柄であろう。黒い髪は短く切ってあるものの、柔らかに首元に降りている。 この発言に、やや呆れたようにセリカが口を挟んだ。 「良いのか、キルシュ。そりゃ、私なんかは最高法院でも外れてるから、どうでも良いけどな。お前らは、穏健派だろう? おっさん達の機嫌を損ねるんじゃないか」 「どうせ、皆くじ引きで決めたくらいだろう。特に今回は、嫁選びの席などと品評会のようで悪趣味だ、と皆こぼしていたからね。聞いた所で、喝采を浴びせられるのがオチさ」 優しい口調で、何ともキツイ言葉を吐く。この手厳しさは、同僚にとっては珍しいものでもなかったが、妹にとっては新鮮だったらしい。目を丸くして、兄を見上げる。 その棘を和らげるように、セリカが声をあげた。 「しかし、王子も気の毒なんだよなぁ、あれは」 「何故だい」 「あの王子さ、もてるけどずっと独身だろ? それもさ、本当に徹底してるんだよ。女なんて、寄せつけないのさ」 それを聞き、アリュードが身を乗り出した。 「へーっ、そりゃ凄い。父親とは似ても似つかないね」 「しかし、それも不自然に聞こえるな」 「だろ? でも、王子の理屈は凄いんだ」 二人の反応を待って、勿体ぶった口調で続ける。 「王子には、どうやら一人と決めた相手がいるらしい」 「へーっ! じゃまさか、その相手に操を立てようって訳か」 「うん」 「じゃあ、今回のパーティーは、剛を煮やした大臣達が、ついに相手探しに乗り出したということなのか」 「どうも、そうらしいな」 キルシュは軽く壁に背を預けたまま、そっと顎に拳を当てる。考える時の彼の癖だ。 「キャスリン。お前、王子に会った事があるのかい?」 「いいえ、全く」 当人はきょとんとするばかりだが、二人はあっと声をあげて、こっそりと額をつき合わせる。 「まさか、そんな。そんなことって」 「うん、だがあり得ないことじゃない。遠くから一目ぼれって事もあるしね」 内緒話が進行している横で、兄妹はなごやかな会話を交していた。 「お前は殿下に会ってみて、どんな感じを受けた」 「とても、素敵な殿方でしたわ」 「そうか。では、付き合えと言われたら、どう思うかな」 「そんな。良く知らない方ですし、それに」 「それに?」 「何だか、ぴんと来ませんの」 その発言に、今までしょげ返っていたアリュードが、勢いついて立ちあがる。 「うん、その直感って大事だと思うな!」 「おいおい。どう考えたって、最高裁判官の妻よりは、王妃の方が良いぜぇ?」 「う、うるさい! そんなのキャスリンが決めることだろ」 騒ぐ外野を、ややうんざりとした目で見据え、当の兄は慎重に言葉を選んだ。 「どの道、あまり先走るべきじゃあないだろうね。いかに操を立てると決めたとしても、王子だってもう年頃だ。気まぐれに声を掛けただけかもしれないし」 「まぁな。大臣の手前、ある程度、女性に興味を見せただけって可能性もある」 この言葉に、アリュードは敏感に反応した。 「女性に?」 「うん――この辺りは分からないんだけどな」 一度言葉を止め、セリカはやや声をひそめて呟く。 「実は、次の王妃は男性かもしれないという噂がある」 「ええ?」 二人の声が重なった。 「ま、正妃が男性でも、法的な問題はないか」 「――いいや」 アリュードの肯定は、難しげな顔で遮られた。その反応に、セリカは不審そうに眉を上げる。 「ん? キルシュ、まさかお前、時代錯誤にも異性愛以外、認めないなんていうんじゃないだろうな」 「いいや、ただちょっと、女性に目もくれない、というのが気になってね」 「どういう意味だ?」 「つまり――」 言いにくそうに、目をさ迷わす。その様子に思いつき、アリュードが手を打った。 「なるほど。後取りか。男に子供は生めない」 「そういうことだ。王子が子供を残さなければ、後継者争いが勃発するのは避けられんからな」 「だけど、俺ら司法官がそこまで心配するのもおかしな話だろ?」 そう言った童顔の裁判官を、渋い顔で友人が諌める。 「そうはいかないだろうが。政が定まらなければ、治安は乱れるぜ」 「そうなんだ。それが気懸かりではあるが――」 深く頷いたキルシュは、端正な顔に、そっと無邪気な笑みを浮かべて言った。 「だけど、本当にそれが一途な初恋だというのなら、応援してやりたい気はするね」 「おや、これはお兄さん公認かな?」 「え?」 「だって、キャスリンがその相手かもしれないんだろ。だとしたら、応援するってこと?」 彼女に懸想する男を試すように、煽る悪友。それに苦笑し、黒髪の裁判官は軽く片目をつぶった。 「それはキャスリン次第だよ」 「私――ですか?」 「そう。恋路を邪魔するつもりはないからね。でも――」 キルシュの目に、兄らしい真摯な、そして気遣わしげな色が灯る。 「でも、気が進まないのなら、遠慮なく言いなさい。無理な求婚を受ける必要はないよ。ある意味、私は王の機嫌を取らなくても良い役職にいるのだからね」 「ありがとうございます、お兄様」 そっと微笑む妹に、彼は満足そうに何度も頷いて見せた。 |
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素材配布元:「神楽工房」様