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 そして六年後、若いながらも、名実ともに司法院を支える重鎮となったキルシュ・ビバルディその人は、ある悩み事を抱えていた。
 軽く要点だけを話したとしたら、他人は、何だそんなこと、と笑ったかもしれない。
 だが、詳しく聞けば、その深刻さに青ざめ、なかったことにしたがるだろう。
 現に、キルシュは聞かなかったことにしたい。

 だが、あいにくそれが許される立場になかったのだけど。

「ああ、キルシュ殿」
 名を呼ばれ、ぴくりと眉が上がった。
 仏頂面のまま振り返ると、その人物は優雅に一礼した。
「貴方もいらしていたのですか。意外ですね」
「サーシャル殿も、お人が悪い……こない訳には、いかないでしょうに」
 思わず飛び出た皮肉にも、彼は涼しい笑みで返しただけ。
 サーシャル。若くして大臣職に就く彼は、今やこの国の重鎮といえる存在だろう。
 その彼が、恭しく一礼して、こんな風にうそぶく。
「仕方ありませんな。貴方は、最高司法官なのですから」
 憮然とテラスの方を仰ぎ見る。
 彼らのいる場所は、一般人の入れるところではなかったが、それでもこの構図は変わらない。
 そのことが、キルシュ達に一点の絶対を知らしめる。

 ざわりと周囲が声を上げた。
 誰ともなく洩れた呼びかけは、次第に広がり、大きな波となる。
「ファーシル万歳!」
「ヨーゼフ王子、万歳!」
 おいでなすったか。
 苦々しく振り仰いだ場所に、キルシュは一人の青年を見る。
 テラスから、神々しい微笑みを降り注ぐ、このファーシルの王子様。

 銀の髪に、やや色素の薄い肌。意思の強い口元が示すように、高潔な人柄。
 この国の民が、純白の王子と呼び表し、尊敬の念を送るこの王子の欠点は、二十四才にもなって、未だに後継ぎの一人もいないことだった。
 ただ、その原因とやらが、またロマンチックなお話で。
 キルシュなど、呆れるしかない。
 けれども、国民の中では美談として受け入れられているらしい、その真実は、キルシュの胸の中で黒い苛立ちとしてわだかまっている。

 分からないでもない。
 名も知らぬ、初恋の相手をいつまでも想い続ける王子様。
 他には非の打ちどころもない彼だけに、王族としては致命的な欠点であっても、それも彼の純粋さ故と考えれば、そこまで咎めるような話でもないだろう。
 事実、キルシュとて、その相手が自分でさえなければ、そう思っていたかもしれないのだ。

 キルシュ・ビバルディならば、そのくらいにはヨーゼフ王子という存在に好感を持っている。
 だが、それはヨーゼフ王子に、だ。

 ふつふつと湧き上がる感情を抑えつけていたキルシュの耳に、のんびりとしたサーシャルの声が聞こえた。
「不思議なものですね」
「はぁ」
「司法の庭で最高権力を揮う貴方がたでさえ、ここでは王を仰ぎ見ることしか出来ない」
 カチンとくるより先に、キルシュはある違和感を覚えていた。思わず、声を高くする。
「王、ですか?」
 その問いに、サーシャルは、軽く指を唇に添えて笑っただけだった。

素材配布元:「神楽工房」様