第四話:死者が辿る道


 少女が金切り声を上げると共に、僕の前にいた騎士の肩から血がしぶいた。悲鳴が重なる。
「くっ……」
 僕はとっさに、近くの棚から取り出した小麦粉を、えいやとばかりに投げつける。
 粉けぶる霧の向こう、むせ返る少女を見据え、僕は利き腕を挙げた。指が描く方陣と、知らないはずなのに懐かしい、言葉の羅列。
 発動した瞬間、少女の姿が炎の中へとかすんで消えた。

 全てを見届け、僕はそっと息を吐いた。
「お終い、ですね」
 僕の問いに、騎士は大きく頷いた。そして肩を押さえながら、こちらを振り向く。
「リュ、リュージ殿。お怪我は」
「大丈夫です。それより、貴方の怪我が酷い。誰か、人を」
 騎士を座らせると、僕は足早にその場を離れ、人のいるところへと向かった。そこで見つけた兵士に、怪我のことを伝え、医師を呼んでもらう。
 他の兵士達の助けを借りて、騎士を診療所へと連れていったところで、ようやく僕はほっと息をつけた。
 だが、安堵と共に、先ほどまでは追いやっていた、苦い感覚が湧いてくる。
 この目には、少女としか映らないもの。
 けれど他の者には、その本当の姿が見えているはずだ。恐ろしい魔物の姿をした、それが。
 だが、僕には思念の部分しか見えていない時がある。
 切られるのは、魔物ではなく、その思念である人。幼い子供の姿をしたその子が倒れていくのを見るのは、正直忍びない。
 しかし、あの騎士の血を見た途端、急にその感覚が薄れたのをはっきりと覚えている。血に酔わされるというのだろうか。意識が、罪悪感も何もかもを捨てて、ただ一点に留まった。
 そっと手のひらを見る。
「マズったな」
 もう少し、慎重に対応すべきだったかもしれない。分かっていないことが多いとは言え、これだけは確実だったのだから。
 僕の手は、呪いという名の魔物を起こしてしまう。
 今までは、彼だったからどうにかなったのだ、という事実を改めてかみ締める。
 呼び出された魔物は決して弱くない。唐突に出て来たそれを、一撃で仕留められる兵士など、なかなかいるものではないらしい。
 彼を除いては。
 誰に聞いても、この国最強の騎士だと胸を張って言う、その男の名前はクレヴァリア=ティオ・グラン。現在、別の場所で発生した、大規模な魔物の群れに対処する為、一時的にこの任から離れた。
 僕としては、そのまま外れたままでいてくれた方が良いと思っていたのだが。

 別れる時の、すまなそうな彼の顔を思い浮かべると、心苦しい気持ちがする。
「リュージ!」
 呼ぶ声に、胸が締めつけられるような気がした。振り向きざま、頬にめり込んだ痛みに、思わず後ろに身をそらして、衝撃を少なくしようとする。
 どん、と無様に尻餅をつきながら、僕は小さく毒づいた。
「……いてぇよ」
 見上げた先に立ちはだかるのは、あまり再会したくはない顔だった。
 目覚めた時、最初に出会ったハリウッド美人が拳を固めている。もう一度起き上がったら、即座に打ち倒されそうな勢いだ。
 後ろから、騎士が凄い顔で追いすがってくるのが目に入った。怪我は大丈夫なのか、とそちらを心配してしまう。
「シェスタ様!」
 瞬時に、目の前のハリウッド美人の名だと悟った。
 彼女はこちらを睨みつけたまま、低い声で問う。
「どうしてもっと注意をしていなかった」
 僕には何も言えなかった。そんな反応を、だんまりと取ったのか、彼女は焦れたように手を広げる。
「部下に怪我をさせて」
「お待ち下さい、シェスタ様」
 騎士ががっちりと彼女の腕を掴む。その腕を振り払い、女騎士は鋭く言い放った。
「お前は黙っていろ!」
 思わず、縮こまるような気迫。だが驚いたのは、その騎士の反応だった。
「いいえ、黙りません」
 はっきりと宣言すると、僕をかばうように二人の間に割り入った。
「リュージ様は軍人ではありません。この失態は、全て私の責任であります」
 厳しい声音だった。
 目の前の女性の、どこか熱に浮かされたような目が、一瞬だけ儚げな光を持った。
「シェスタ様。冷静になられて下さい」
「私は……」
「全然、冷静じゃないでしょう」
 苦い口調に、僕は騎士の苦悩を知る。
「以前の貴女は、そんな方じゃなかった」
 シェスタは無言だった。くるりときびすを返すと、そのまま診療所を出ていく。
 今まで、周囲で見守っていた人々が恐る恐る出てくるのを見ながら、僕はそっと苦笑した。軽く痛みが走り、唇の端に手をやる。
「手当てをしましょう、リュージ殿」
「え? あ、ああ……大丈夫」
 怪我人に心配されてしまった。これくらい、大した傷ではないというのに。
「それより、貴方こそ。あまり無茶をすると、傷が開くんじゃないですか」
「ご心配なく。これでも騎士ですから」
 平然と言ってのけたものの、包帯ににじむ血が痛々しい。
 しかし、これ以上我を張っては、逆に迷惑になるだろうと判断した僕は、素直に治療を受けることにした。



 派手に貼られた膏薬を撫ぜ、思わず顔をしかめてしまう。
「まだ痛みますか?」
「いや、痛みはないですが……」
 つい、こそこそと周囲を見まわしてしまう。早朝ということもあり、人気はないが、それでも時折すれ違う人が、ぎょっと目を見開くのを見る限り。
「目立ちませんか、これは」
「何を言いますか。元の張れあがった顔に比べれば、十分の一も目立ちませんよ」
 きっぱりと騎士に言い切られ、僕はますます小さくなった。

 いい加減、この馬鹿でかい城にも慣れてきた。事情を知る者は少ないとはいえ、何度も出入りをしていれば、顔を知られぬわけにはいかない。
 どうやら僕の扱いは、陛下の元へ召し上げられた従者見習い、ということになったらしい。
 リオデラートの弁によれば。
 フリージオ王子亡き後、大分落ち込んだらしい陛下をお慰めする為、フリージオ殿下にそっくりな青年を探したのだとか何とか、もっともらしいことをでっち上げたのだとか。
 おかげで、顔を晒して歩けるのはあり難いが、リュージ様リュージ様、と距離を置かれるのには辟易とした。
 そうなってみると、事情を知っており、最初の頃こそあまり良い顔をしなかった、近衛兵との方がまだ、普通に接することが出来た。
 僕の実年齢が知れたのも大きかったらしい。
 十七才という年はあくまで自己申告だが、やはり僕の話し方や考え方は、そのくらいの年頃を連想させるのだろう。リオデラートは、大人びて見えると言ったが、それはただ、この世界の十七才に比べれば、感情の起伏が見えにくい、というだけ。
 そんな子供である僕に対して、彼等騎士達は騎士としての態度を取ることにしたのだろう。すなわち、弱き者を守る、という騎士道精神だ。
 嬉しいかどうか、というと微妙だ。露骨に年下扱いされるのも、あまり面白くない。

 そういう僕の心を知っているはずもないが、リオデラートの選抜はさすがだと思った。
 クレオの代わりに来た騎士は、ちょうどいい距離感覚を持った、大人しい青年だった。一見頼りなく思えたが、聡明で芯の強い印象がある。
 パーフェクトだ。
 少なくとも、僕のおもりに据えるには、ぴったりの人柄だろう。
「あ」
 彼が頭上を見、動きを止めた。何気なく、その視線を追い、僕まで動きを止めてしまう。
 吹き抜けになった広間、二階部分のテラスのところから、その人が大口を開けている。
 せっかくの凛々しい顔が台無しだ、なんて呑気なことを考えていると、そいつは何を考えたのか、身を乗り出さんばかりにした。
「リュージ! どうした、その顔!」
「団長殿。朝から、その大声は」
 近所迷惑だ、と言おうとしたが、クレオが血相を変えて階段を降りてくるのを見ると、何も言えなくなった。
 ここからが正念場だ。
 だから目立つと思ったんだ、と小声でぼやきつつ、僕はそっと騎士に目配せをする。彼は特に表情も変えず、一つ頷くだけに留めた。
「戦いで、怪我をしたのか?」
「んな訳ないだろ。俺は後ろで見ているだけなんだから、怪我しようがないって」
「じゃあ、その顔は」
「……川辺で転んだんだよ」
「転んだ?」
「ああ。今回の場所が、ちょうど川辺でね。魔物が消えたんで、ちょっと気を抜いて、ふざけながら歩いていたら、ずるりと」
 そういう嘘をつくと決めたのは、別に彼女の為じゃなかった。ただ、自分が知られたくなかった、それだけだ。
 それではあまりに、自分が情けない。
 嘘をつくのは、苦手じゃない。昔からあまり感情が表に出ない性質だし、冗談めかした演技は堂に入っているはずだ。
 これは、僕が何年も続けてきた顔なのだから。
「で、石で顔を打ち付けたんだよ」
 だが、クレオは険しい表情を崩さぬまま、横の騎士を見る。
「相違ないか」
「相違ありません」
 わずかなやり取りだった。
 だが、交わされた視線の鋭さに、僕は少しだけぞくりとした。
 クレオであって、クレオでない顔。
 僕から見たクレオは、どちらかといえば単純で、人の良い青年といったイメージだ。だが、こうして垣間見える表情に、やはり騎士という「仕事」についている人なのだ、と再認識させられる。
 クレオがこちらを向くまでの、冷や汗をかく瞬間。
 だが、彼はそうか、と言うと、表情を和らげて、僕の頭を押さえた。
「肝を冷やしたぞ。戻ってきてみれば、リュージがいないものだから」
「いや、だっていつまでかかるか分からないって聞いたからさ。リオデラートに頼んで、彼に付き添ってもらって行くことにしたんだ」
 それも、半分は嘘だ。
 リオデラートから、別の騎士と行ってくれと言われた。けれど、クレオがここを発つ時の物言い、そしてこの話し振りといい、多分彼は知らされていないのだろう。
 クレオとリオデラートの足並みが揃っていないのは、最初からだ。
 卑怯だと思いながら、僕は小声でこんな風に付け加えた。
「俺も、さっさと終わらせたかったし」
「そうか」
 短く答えたクレオは、またあの時のような、申し訳なさそうな顔をしていた。
「すまなかったな」
「何言ってんだよ。ちゃんと自分の仕事もしろよ、ダンチョー様」
 ごん、と背中を押す自分の手に、目眩のようなものを感じた。
(え――?)
 自分でも恐ろしいくらい、動揺に震える手をこっそりと隠し、僕は呪文のように胸の内で繰り返した。

 違う、これは自分の手だ。
 押したのは僕、押されたのはクレオ、そしてここは段差のない床の上。

「リュージ」
 クレオの声に、大丈夫だと返した声は、我ながら説得力のないものだった。

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