宿で一泊した後、何とか騎士団本部まで僕を連れ帰ったクレオは、急いでまた飛びたっていってしまった。
驚いて駆けて来た近くの騎士と何か話しているようだが、あえて聞かなかった。
僕はやはり部外者だ、と痛感していたから。
憂うつな気分で騎士団の建物に入った僕は、途端に足を止めた。
朝も早くから、あくびを隠さず、廊下を歩いているエルリックとかち合ってしまう。
「おはよう、リュージ」
「おはようございます」
頭だけは下げ、早足で行き過ぎようとする。だが、ぐいと腕を取られてしまっては、話さぬわけにもいかない。
「クレオなら、朝早く出かけたが」
「知っています」
「置いていかれたのか?」
「別行動です」
短く答え、僕はまた離れようとする。
正直、このエルリックという男は苦手だ。食えない、というだけならば、リオデラートも相当だろうが、彼とはまた違った何かを感じる。
だが、相手もしつこかった。
「そう急がなくてもいいじゃないか。何も予定なんてないだろう」
「……実は本を借りる約束を」
「なら、書庫に行くまででも良い。少し付き合ってくれ」
イヤです、とはさすがに言いにくく、僕は渋々エルリックを後ろに連れて歩く羽目になった。
「で、書庫の位置はわかっているのかな?」
「……」
やはり食えない男だ。言葉に詰まっていると、後ろでくすくすと笑っているのが聞こえる。
「後でライに案内させよう。ああ、ライというのは最初の日に、君につけた従者だ」
あの子か、とすぐに思い至った。
「まだ幼いので、びっくりしたろう。クレオ殿の注文がうるさかったので、他に合う騎士がいなくてね」
「注文?」
「騎士らしくなくて、剣の腕がたつ、なんていうのは、なかなか難しい。そもそも騎士らしいって主観だろ。誰が見てもそうは見えない、なんてのは子供くらいしかいない」
エルリックの話に、僕は胸中で言葉を反復する。
――クレオの注文?
「束縛を嫌い、監視を厭う。そして、あいつがそこまで気遣うほど大切で、重要な人物。そんな人物を、俺は一人しか知らない」
いつのまにか、先導するのがエルリック、後ろからついていくのが僕という順序に変わっていた。どうぞ、と示されたドアに、僕は吸い込まれるように入ってしまう。
重たい戸が閉まり、部屋を静寂が満たす。
「本当に、貴方はフリージオ王子殿下ではないのですね?」
「ずいぶん、こだわるんですね」
「ええ、こだわりますとも」
ぐいと顔を近づけられ、僕は距離を取ろうとしたが、重たい執務机にぶつかって阻まれる。
「フリージオ王子ならば、奪うことに意味はある」
迷わず拳を固めた僕に、エルリックはそっと苦笑した。
「冗談だ」
「笑えねぇよ、それは」
「確かにな。私もさすがに反逆者にはなりたくない」
「しかもその原因が兄弟喧嘩じゃ、死ぬに死に切れないないでしょうに」
違いない、と真正直に頷くエルリックに、クレオの面影が重なる。
「でも穏やかじゃないですね。王族殺しで反逆罪、とは」
「……知らないのか?」
エルリックは軽く眉をひそめた。失言か、とひやりとしたものの、次の言葉に脱力する。
「ふむ、一般人というのは嘘じゃないらしいな」
良かった、むしろごまかせたようだ。
ほっと胸を撫ぜ下ろしていると、彼は丁寧に説明してくれる。
「国王以外の王族は皆、国王が決めた相手以外との婚姻、同衾が禁じられている」
「なに?」
「つまりフリージオ王子は、陛下がお決めになった婚約者と以外、結ばれない。それを破ろうとしたものは、それだけで大逆罪に問われる……そういうことだ」
なるほどな、と頷く。
そういえば以前、何かの小説でも読んだことがある。反逆罪は、国家に対する反逆、王族の暗殺以外に、王族の子女に狼藉を働くことも含まれるらしい。この世界も、同じような規則があるのだろう。
そこでふと、ある疑問をいだいた。
「待ってくれ。じゃあ、奪うの意味って」
「そういうことだが?」
笑って言うな。
「ま、待てよ。アンタもクレオもそのケがあるのか」
「そのケというのが男色という意味なら、俺はノーと言おう」
「エルリック、は?」
つまり、エルリックは男と寝る趣味はないということだ。じゃあ、もう一人は。
混乱する僕を見、彼は興味深そうに、目を見開いた。
「おや、君も俺と同類か。珍しい」
「め、め、珍しいって、何が!」
「その反応からすると君も異性愛者だろ。その上、同性愛者恐怖症」
「うぐっ!」
僕は言葉を失った。
ホモフォビア、という単語が思い浮かんだが、あれは確か同性愛嫌悪という意味だった。恐怖症、という言い方をするのは、男性恐怖症とか女性恐怖症などという辺りだったような。
そんな細かいニュアンスの違いから、薄々予想していたものの、次のエルリックの発言には目を剥いた。
「俺は異性愛者ってだけだけどな。それでも少数派だ」
「ってことは、この世界の大半が同性愛者なのか!」
「いやいや、そんなことはないよ。ただ、異性しか受けつけないことが珍しい。大抵の人間は、どちらも平気か、同性愛者だからね」
「そ、そーなのかー……」
「しかし、同性愛者恐怖症か。ああ、だから騎士らしくない従者といったのかな、あいつは」
なら、今の冗談は辛かったね、と素直に謝罪され、僕は拍子抜けしながら、つられて頭を下げた。
「だけどそれでは、困ることも多かったろう。クレオと旅するにしろ」
「俺の故郷じゃ、恐怖症とは言わなかったから」
ぽつりと言葉がもれた。
あまり話さないほうが良い、と冷静な部分がささやいたが、付きつけられた事実の怖さに、ついつい口が滑ってしまう。
「俺の故郷は、ほとんどが異性愛者だったんだ。同性愛者なんていなかったし、同性愛そのものが嫌悪の対象になった」
「では、クレオがそうだとは予想もしていなかった訳か」
しばらく、気まずい沈黙が続いた。
その後、殊更に明るく、エルリックが手を叩く。
「だが、クレオが同性愛者だろう、というのは俺の想像だ。リュージがそう感じたことがないなら、違うのかもしれん」
「それはないでしょう」
僕には確信があった。
それが憎しみからであれ、エルリックはずっとクレオを意識していたはずだ。ましてや、エルリックの嗜好が少数派に属するならば、余計にクレオの嗜好が気になるだろう。
「もしクレオが少数の異性愛者なら、他の誰が気づかなくても、貴方は気づいたはず」
実の兄であるエルリックなら。
「でも、確かに貴方の言う通りだ。一緒にいて何も感じなかったのなら、態度を変える必要はない」
そうさ、と自分に言い聞かせる。
――本当に?
少しずつ広がる感情の波。自分でも気づかなかったあの恐怖が、もう出ないと言い切れるのだろうか。
今の僕には、断言することが出来なかった。
部屋を出たところで、名前を呼ばれた。
「リュージ様!」
声ですぐに分かった。振りかえると、やはり思った通りの男の子が、こちらに駆け寄ってくるのが見える。
「良かった、ご無事だったのですね」
大きく肩を上下させている彼に、うんと笑ってみせた。すると彼は、ほっとしたように顔をほころばせる。
「その、隊長に連れて行かれたときいたので」
「そんなに怖い人なのか、あの人」
「別にそんなんじゃないんですけど、考えが見えないところのある方ですし」
そう言ったライの口調は歯切れが悪く、どう取ってもあまり良いものではなかった。
「それにリュージ様はクレヴァリア団長がお連れになった方ですから」
「え?」
「あの二人、あまり仲が良くないのです」
「うん、それは何となく分かる」
でもだからって、どうして。
そう訊ねると、部屋への道を歩きながら、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
「隊長はいつも冷静な方なのですが、弟君に関しては何を仕出かすか分からないところがあるので……」
「何かあったのか?」
「一度だけ、剣を取っての大喧嘩が。それで、クレヴァリア様が大怪我を」
「原因は」
「分かりません。ただ、喧嘩というよりも、隊長から一方的に仕掛けたものだとか」
それを聞き、道理で歯切れが悪いはずだ、と納得した。
事実か噂か知らないが、そんな話が広まっていれば、どうしてもエルリックの印象は悪くなるだろう。ましてやあの性格だ。悪印象を強めこそするだろうが、良い方には転がるまい。
「あの後、クレヴァリア様は王都に出向になり、そこで才覚を見出されて、現在の地位まで上り詰められたのだと聞きました。以来、前よりも更に仲がお悪くなって」
「でも、それだけの騒ぎを起こせば、とても出世は望めないんじゃ……」
それは素直な疑問だった。けれど、ライはあっさりと首を横に振る。
「我々は竜を操る才覚が一番ですから。竜を扱わせて、隊長に敵うものは他におりません。もちろん、クレヴァリア様を除いてですが」
「クレオを除いては、ね……」
苦い思いが胸に湧いた。だが、すぐにそれを振り払う。
感傷にひたっている場合じゃない。
確かに僕は竜に乗れない上に、女性恐怖症にまでかかってしまった情けない男だ。だが、だからといって、クレオに頼りきりでは格好がつかない。
せめて、現状を把握することくらい、この騎士団内でも出来るはずだ。
「なぁ、ライ。この騎士団の人達と雑談したり、とか出来る時間や場所ってあるかな?」
「それはいくらでもあると思いますけど……したいのですか?」
「うん、出来ればね。まだ僕はここのこと、良く分かっていないから。小さいこと、色々見聞きしたいんだ」
頼んだ後、僕はあわてて付け加える。
「ああ、もちろん仕事の邪魔にならない範囲で、だよ」
「そんなの、お安いご用ですよ。皆も貴方には興味があるみたいですから、いくらでも乗ってくると思います」
「興味……って」
「あはは、大丈夫です。クレヴァリア団長から、ちゃんと頼まれていますから!」
何が大丈夫なのか、クレオから何を頼まれているのか、疑問点は色々あったが、とりあえずは聞かないことにしておく。
「頼みます、ライさん」
そうだ、すねていたって仕方ない。
動かずに考え込むよりは、少しでも前進したい。
その果てが、行き止まりと分かっていても。
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