ぼんやりとする時間は苦手だ。
 その中でも、フリージオ王子の部屋で過ごす時間は、あまり好きではなかった。
 だから僕は、見張りがいないのを良いことに、適当に王宮内を歩き回っていることが多い。
 もちろん、最初の内はあまり良い顔をされなかったが、慣れというやつだ。誰も不自然に思わなくなったらしい。時々、気さくに相手をしてくれる騎士もいる。
「さて、と」
 そして、ふらふらとその辺を歩き回っていた僕は、ふと廊下の端にとんでもない人影を見つけてしまった。
 あの、気の強い美人の女騎士。
 見つかる前に、とあわてて近くの部屋に飛び込んだ僕は、しばらく扉に背をつけて心臓を押さえていた。だが、その部屋の様子に気づき、身を震わせる。
「これって……」
 暗い部屋に浮かぶ、白い天幕つきのベッド。でん、と居座る机といい、高級そうな家具の数々から見るに、この部屋はどう見ても。
 王族か、それとも王様当人の部屋ではないか。

 一瞬、肝が冷えたが、すぐに思い直した。
 王様の部屋に、ここまで簡単に侵入出来るはずがない。
 確かに僕のいる、フリージオ王子の居室があるこの一角は、それなりの身分の者しか入れないようになっているらしい。ならば、国王の部屋があっても不思議ではないのだが。
 周囲をくるりと見回した僕は、机に置かれたインク壷が気になり、そっと蓋を開けてみた。中のインクは乾いてがちがちになっていて、とても書けそうにない。
 空っぽの、やや曇りが生じている水差し。花のない花瓶。
 ベッドや家具は、綺麗に整えられていたが、この辺を見る限り、どうも使われていない部屋のようだった。
 これで、王様の部屋という可能性は消えた。
 来賓用の部屋だろうか。
 いぶかしんでいると、どこからか話し声が聞こえてきた。かなり近かったので、廊下からかと思ったが、どうも違う。
 その声に聞き覚えがあるような気がして、僕は声の発生源を探して、その辺りを見回した。

 暖炉からだ。

 それに気づいた僕は、そっと暖炉に顔を突っ込んだ。火の気のないレンガはすっかり冷え切っていて、触れていると手まで凍りそうだ。
 だが、そうして初めて、はっきりと声を聞き取ることが出来た。
「はぐらかすな!」
 低い男声に、びくりと身体を強張らせる。
「心外だな。僕は誠実に答えているつもりだぜ?」
 笑いを含んだ返答。それを聞いた途端、僕はあっと息を呑んだ。
 道理で、聞き覚えがあるはずだ。
「リオン!」
 一瞬、戸惑ったが、すぐに愛称だと気づいた。
 リオデラート。リオン。
 彼をリオンと呼ぶ、この声の主は。
「何故、リュージにそこまでするんだ」
 リュージという声音で、気づいてしまった。
 あの、少し無茶をした後で、諌めるように呟く時、こんな風に呼んだ。
「彼には、何の罪もない。そんなこと、お前なら分かっているだろう」
 クレオの言葉が、ちりちりと胸を焼いた。
 そして、冷たい笑みで僕に指示を出してくる男が、同じ声で言った。
「ついでに、責任もないな。彼は、この世界の住人でもなければ、ここで生きていくことも出来ないんだ。こんな世界を救う義理など、一欠けらもない」
 そこから先は、言うな。
 暖炉から離れようと手に力をこめるが、凍えた身体は上手く動かず、僕は決定的なその台詞を聞く羽目になった。
「そうさ、こんな世界を救う義理など、リュージには何一つないんだ」
 堰を切ったようだった。今まで、ずっと冷笑してきた男が、溢れんばかりの感情を込めて、言葉を叩き付ける。
「優しくしてやれば良い。一時でもな。そうすれば、リュージは進んで、この世界の為に身を捧げてくれるかもしれない。自分の犠牲で、自分に優しかった人全てが救われた。そんな満足感を持って逝けるかもしれない」
 気づいていた、のだ。
 フリージオ王子が、クレオに特別な想いを抱いていたと知って、クレオもまた同性にそういう感情を抱く人間だと知った時から、リオデラートの行動の意味も察しがついた。
「クレオ。リュージに肩入れするな。いずれ死に逝く人間だ。思い入れれば入れるほど、別れが辛くなる。優しくすればするだけ、罪悪感に苛まれる」
 釘をさす言葉は、ただ冷たく、そして無機質に響いた。
「俺達が彼に望んでいるのは、つまり、縁も所縁もない世界の為に骨を折って、その挙句、もう一度死んでくださいということなんだからな」
 やっぱり食えない男だった、と僕はそっと笑う。
「本当に、リュージは助からないのか」
 唐突な一言に、僕は戸惑った。
 それはあちらも同じだったようだ。かすれた問いが聞こえる。
「何を言っている」
「俺には難しいことは良く分からんが、ただ何となく釈然としない」
 言っていることは馬鹿そのものだが、堂々と言われると、一瞬だけそんな気がしてしまう。そして少しのためらいののち、クレオは。
「フリージオ様が使った術だ。何か、抜け道が」
「本当にお前は!」
 がんっ、と何かを蹴飛ばすような音がした。
「どんなに残酷でも、それしか助かる道がないのなら、使うさ! あの方は確かにお優しい方だが、お前ほど甘くはないぞ!」
 リオデラートのものとは信じ難い、憤りに満ちた吐露が、悲鳴のように届いた。

 やるせない思いがした。

 だが、次に響いた声は対照的だった。
「そうだな。人間、自分が一番大事だ。俺を含めてな」
「何が言いたい」
「別に。非情に徹しきれるリオデラート殿に感服する、という意味だ。私も見習うことにしよう」
 そう言ったのは誰だ。
 分かり切っていることを、思わず自分の胸に問いかける。
 腕の震えが止まらず、そっと暖炉から出ようとした僕は、近くの何かを倒してしまった。かん、と鋭い金属音が響く。
「な、なんだっ?」
 リオデラートの慌てた声に、落ち着き払った声が重なる。
「戸を開けろ。あの部屋から出るには、この前を通らなくてはならないはずだからな」
 すぐさま、扉が開け放たれた音が聞こえた。
「今、部屋を出れば、俺達に姿を見られる」
 釘をさすような一言。
 誰への牽制なのか、分からないほどマヌケではない。
「エルネスト様の部屋か」
「他に、ここと繋がっている場所などない」
 エルネスト。
 たしか、エルリックの口から、同じ名を聞いた。エルリックとクレオの喧嘩を仲裁したという相手だ。
 いや、それよりも前に、僕はその名前を聞いているはずだ。
「出来れば生け捕りに、無理なら切り捨てろ」
「承知した。お前はここを動くなよ、リオデラート」
 僕が考えている間に、向こうでは不穏な会話が交わされている。
 何だか、思った以上に、ヤバイことをしてしまったらしい。ここをクレオに見つかったら、僕はどうなってしまうのだ。
 逃げるか、隠れるか、戦うか。それとも潔く、生け捕られておくか。

 僕は、迷わず投降を選択した。

 ひとまず、暖炉から出ようと手に力を入れるが、すっかり強張ってしまった腕は、なかなか思うように動かせない。
 少しずつ動かすところから始めよう、と呑気に指をばたつかせていると、部屋に細い明かりが差し込んでくるのが見えた。
 戸が開く。
 僕はごくりと唾を呑み込んだ。早く、ここから出なくては。気持ちは焦るが、身体が言うことを利かない。
「動くな」
 首筋に当たる鋼の感触と同じくらい、冷え冷えとした警告。
 動きたくても、動けねぇんだよ。
 そう返してやろうと思ったのに、唇からこぼれたのは、がたがたと歯が鳴る音。
「……リュージ?」
 彼が剣を収めるのが分かったが、それでも僕の震えは止まらなかった。



 結局。
 クレオに抱えられて、リオデラートの部屋に強制連行された後、僕は丁寧に毛布で巻かれ、暖炉の前に座らされていた。
 ぱちり、と薪がはぜる音を聞きながら、近くの椅子でリオデラートが眼鏡を磨いているのを横目で見る。
 気まずい沈黙を破ったのはリオデラートからだった。
「この時期に、火の気のないところで、じっとうずくまっていれば、そりゃ動けなくもなるでしょうよ」
「この時期って……」
「今週はレブリオだって聞かなかったんですか? 貴方の部屋にも、火が入っていたと思いますがね」
「レブリオって何?」
「気温が急激に下がる夜」
 答えたのは、別の声だった。彼は湯気の上がるマグカップをこちらに寄越す。
「ほら」
 受け取った途端、思わず取り落としそうになった。クレオがもう少し早く手を離していたら、こぼしたかもしれない。
 毛布で包むようにして持つと、恐る恐る口をつける。
「……熱いな」
 ずずず、と音をたてて啜ると、二人が目を点にしていた。何故だ、としばらく考え、ああ、と手を打つ。
「ひょっとして、お茶を飲む時、音を立てちゃいけなかったりするか?」
「いけないということはないけど、普通は立てないかな」
「そういう飲み方をする必要がないだろう」
 リオデラートは控えめに、クレオはきっぱりとそう言ってくれた。
 それは西洋式なのか。いや、待てよ。音を立てちゃいけないのはスープだったか。それとも正式な作法だと、日本でもダメなのか。
 自分の世界のことなのに、意外と分からないものだ。
 茶のマナーに思いを馳せていると、大きなため息が聞こえた。
「しかし、どこの間者かと、ちょっとわくわくしていたのに、蓋を開けてみればリュージとはね。面白くもない」
「リオデラート」
 苦々しげに睨む騎士を、片手でいなしつつ、彼はこちらを向いた。
「それで?」
「え?」
「どこから、聞いていました?」
 その片手が、眼鏡をかけ直すのを目で追いながら、僕は少し考えながら言った。
「エルネストの部屋からって辺りから」
「嘘だな」
「え?」
 断定的な口調に、僕は驚いてクレオを見上げる。彼はこちらが戸惑っている間に、畳みかけるように続けてきた。
「その辺りからなら、そこまで冷えないだろう」
 しまった。
 内心で舌打ちする僕に、彼は不機嫌そうな顔で呟いた。
「リュージは嘘が下手だ」
「マジで? これでも見破られたことはなかったんだけど」
「だとすれば、ただ周りが指摘しなかっただけだろう。現に、俺も昼間は言わなかった」
「昼間?」
「シェスタを庇ったろう。それから、これも」
 これ、と指差されたリオデラートは、へらへらと両手を振っている。
 仕草だけなら間抜けだが、それが気まずさを誤魔化すものだと分かるからこそ、一向に緊迫感が途切れない。
「朝の段階で、全部知っていたのか?」
「シェスタのことに関しては、当人が自分で申告して来たんだ。それがなければ、分からなかったかもしれん」
 淡々と返すクレオの顔には、笑みがない。
 ただ、それだけなのに、まるで初対面の人間に接するような、気まずさがあった。
「クレオ。少しだけ、リュージと二人にしてくれないか」
 緊張が加速する場を、穏やかな声がかき消した。
「リオン?」
「もう分かった。必要以上に、大人扱いも子供扱いもしないと約束する。だから席を外してくれ」
 ちらりとこちらを見たクレオからは、いつもの彼らしい表情が覗けた。一つ頷くと、彼は無言のまま、部屋を出ていく。
 ぱたん、と扉が閉まるのを確認し、リオデラートがこちらを向いた。
「さて、と」
 そしてまた、居心地の悪い沈黙があり、彼は苦笑しながら腕を組んだ。
「何から話せば良いでしょうね」
「知るか。あんたが二人にしてくれ、って言ったんだろ」
「ああ、そうでしたね」
 他人事のように言いやがった、こいつ。
 だが、無言の内の非難を読み取ったように、リオデラートはそっと眼鏡のつるに手をあてた。
「でも、あのクレオに迫られると、ちょっと怖いなーと思いませんでした?」
「う」
 図星だ。
 返す言葉のない僕に、彼はからっと明るい笑い声をたてた。
「あはは、そういう辺りは、貴方も年相応ですね」
「どうせ俺はガキですよ。喧嘩もしたことない、箱入り息子だチクショー」
「ああ、そうだったんですか」
 意外だな、と呟いたリオデラートに、僕は大きく手を広げてみせる。
「あのな、俺だって、人と喧嘩したり、揉めたりするのを見るのは好きじゃないの。どっちかっつーと、気が小さいトコあるし」
 半分は虚勢で、半分は真実だ。
 争いごとは好む方じゃない。痛いのは、僕も嫌だ。
 けれど、やたらと気を遣われるよりは、ぶん殴られた方がいい、と思う時もある。
「リュージ」
「ん?」
「リュージは、クレオを好きですか」
 そう訊ねたリオデラートの笑顔が、何とも痛々しく、僕はしばらく迷ったものの、正直に答えることにした。
「嫌いじゃない、けどな」
 ためらう。けれど、思い切って吐き出す。
「あの優しさはキツイなって思ったことがある」
 僕には、未来がない。それが現実だ。
 けれど、優しいこの世界に浸っていると、未練が残る。本当は違うのに、この温もりが自分のものだと錯覚しそうになる。
 ここに僕の居場所などないのに、まるであるようなつもりになってしまう。
 誰にでも優しいクレオにとって、僕は気の毒な異世界の少年で、優しくしなければならない存在という、ただそれだけのことなのに。
「リュージ」
 リオデラートが、小さくごめんなさいと呟いたのが聞こえた。黙って首を横に振り、僕は再び顔をあげる。
「でも、大丈夫だよ。俺なりに、もうけじめはつけた」
 虚勢だ。多分、見抜かれてる。
「だからもう、俺に気を遣わなくて良い」
 それでも僕は、弱音を見せたくはない。
 沈痛な面持ちのリオデラートに、僕は早口で質問をぶつける。
「なぁ、リオデラート。ついでにもう一つ、ぶちまけてみる気はないか」
「何をですか」
「クレオとフリージオ王子のこと」
 彼の顔色は変わらなかった。その代わり、諦めがその目を満たす。そんなリオデラートに、僕はもう少し突っ込んだところを訊ねた。
「恋人同士だった。違う?」
 するとリオデラートは、即座に首を横に振った。
「フリージオ様は、クレオに恋をしていた。これは確かです。けれど、貴方が思っているより、クレオという人間は複雑なんですよ」
「複雑……ってどういうこと?」
「見たままの、単純馬鹿でもないということです」
 一瞬、返答に困った。
 今までずっと、クレオという人間は、単純な愛すべき馬鹿だという印象だった。そしてそれは、満更間違いではないと思う。
 けれど、今日のような顔を見てしまうと、あながち否定も出来ず。
 結局僕は、黙って頷き、リオデラートの話に耳を傾けることにした。
「確かに、クレオはフリージオ様を愛していたように思います。けれど、その特別は、主君へ向ける特別にしか見えなかった」
「主君に向ける特別って?」
「フリージオ様には、傾倒しておりました。時に諌めもしたけれど、基本的にはクレオは忠実な配下だった。フリージオ様の意に沿って、行動する忠臣。その為には、危険も厭わなかった」
 リオデラートの言うことが、良く分からず、聞き返してしまう。
「だけど、それだけ思えるってことは、つまり……ってことじゃねぇの?」
「そうかもしれません。でもフリージオ様には、それを確かめる術がなかった。クレオもまた、言えなかった」
 そうだな、と僕は素直に頷いた。
 エルリックが言っていたではないか。それは、決して許されないことなのだと。
「王子にとって、恋を叶えることは、相手に死をもたらすことでもあったのですから」
 フリージオ王子は定められた婚約者以外の人間と、結ばれる事は出来ない。
 その戒めを破った者は、反逆者としての烙印を押される。

「馬鹿馬鹿しい。恋愛なんて、好きなようにさせてやればいいじゃん」
「リュージの世界では、そういうことはないのですか」
「俺達の世界では……」
 ない、と言おうとして、僕はためらった。そして、ゆっくりと首を横に振る。
 確かに、僕の世界じゃ、そんな馬鹿な話はないというのが一般的だ。けれど、その二人が男同士で、片方が高い社会的地位についていたとしたら。
「男同士だったら、そもそも結婚出来ないよ。俺のいた国じゃね」
「何でまた」
「何でって……」
 少し考え、僕は首を横に振った。
「何でだろな」
 別に結婚しなくてもいいからじゃないか、と言おうとして、それなら男女でも同じだな、と思い直した。
 好きなのに結ばれない。それもまた、辛いだろうけど。
「フリージオ王子の婚約者という人は、それを知っていたのか」
「シェスタは知りませんよ」
 僕の問いに、リオデラートはそっけない返答をした。
「……え?」
「いえ、知っていたのかもしれませんね。誰とは知らずとも、薄々と勘付いていた。だからこそ、今もあれほど、必死だ」
 シェスタ。
 その名を、僕はつい最近聞いたような気がする。
 騎士が悲しげに、昔の貴方はそんなんじゃなかったと叫んだ時だ。彼女は、本当に悲しそうに、自分でもどうにもならない感情を持て余すように、僕を見下ろしていた。
 辛いから、何をしても良い、とは思わない。
 だから僕は、彼女に怒りをぶつける事は出来なかった。
「シェスタは、フリージオ様に心酔していた。そういう意味では、クレオと似ているんですよ、彼女は」
 そうなんだ、と頷きながら、僕は膏薬の張られた頬を押さえていた。



 リオデラートの部屋を辞し、フリージオ王子の部屋に戻った僕は、壁の額縁に目をやった。
 何かの絵が飾ってあったのだろう。本来の部屋の主を象徴するように、空っぽの額縁に、僕が新しい絵をかけることは許されないのだろう。
「恋人、か」
 先ほどの話を思い返し、僕はそっと苦笑した。
 恋人なんて、一度も作ったことがない。
 告白して、付き合って、手紙のやり取りなんて馬鹿げたことをした女の子ならいたけれど、その子は、恋人じゃなかった。
 少なくとも、最初はそう思ってたけど、そうじゃなかったんだって知ったのは、彼女が妊娠したと騒ぎになってから。
 僕の子である可能性はゼロだった。
 後で当人の口から聞いたことだが、彼女はかなり幅広く渡り歩いていたらしい。
 それだけでも僕の心はずたずただったけど、更に追い討ちをかけるように、ロクでもない話が耳に入ってきた。
 あの子に、悪気はなかったの。だってあの子優しいから、付きあってって言われると断れなくて。
 彼女の友人は、無神経に僕の前でそう言って、慰めてくれた。

 家でぼうっとしている僕を見かねて、妹が横でぽんぽんと肩を叩いてくれたものの。
「だけど兄貴も悪いんだよ。女を見る目がなさ過ぎだって。世の中には、純真な女の子だって多いのに、どーしてそういうの引き当ててくるかな」
「…………」
「でもさー、兄貴って頭いいし、顔が悪い訳でもないじゃん? 同情して付き合ってくれたっていうより、とりあえず取っとこうかなって感じだったんだよ、きっと」
 慰めようとしてくれる気持ちは有り難いが、とりあえずのキープ対象と言われて、喜ぶ人間は少ないような気がする。
「だから、そこまで自信なくすことないよ? いつかきっと純真な女の子が、ずっとセンパイのこと好きでしたーって言ってくれるかも」
「だと、良いけど」
 そう笑ったものの、僕の中には苦い思いが残った。

 振られたことが辛かったんじゃない。
 本当に好きだと思い込んでいたのに、本命じゃなかったと知った途端、頭をもたげてきたプライドと見栄に、自分で辟易してしまった。
 見栄だけの付き合いなら、恋愛感情なんて必要ない。
 適当に遊ぶだけなら年上の、遊び慣れていそうな女性の誘いに乗ってみせればいいだけだし、たまたま運が良かったのか、僕はそういう機会に恵まれていた。

 ただ、同じ学校の先輩の誘いに乗った、あれは失敗だったと今でも思う。
 本命は他にいるんだろうな、と薄々勘付いていたけれど、まさか同じ学校にいるとは思わず、予想外に揉めてしまい、ちょっとした噂になってしまった。
 僕の名前は広まらなかったし、男子の中では大した噂にもならなかったが、女子からは変な同情を買ったり、反発を食らったり、色々面倒だったのだ。
 あの件がなければ、僕はあのストーカー女に付きまとわれることもなく、死なずに済んだのかもしれない。
「もし、か」
 もしあの時、僕が告白されなければ、彼女の心に応えていれば、彼女に恋をしていれば。
 運命は、変わっていたのだろうか。

 やめよう。もし、なんて考えるのは虚しいだけだ。
(リュージ)
 迷わずに、そう呼んだ声が思い出され、僕は額に手の甲を当てる。
「頼むよ……本当に」
 リオデラートの読みは正しい。
 僕はもう死んでいるのだと、この世界にいるべきではないと、心から感じられたなら、その方が思い切りもついただろう。
 僕は、少しずつ現実を知り始めている。夢ならば、と願ったこの世界で、僕は眠り、夢を見る。それを繰り返す度に、少しずつ、ここが現実なのだという認識を迫られる。
 何度、夢を見ても、僕は現実に戻れない。
 この世界の朝しか訪れない。
 そんな思索を重ねる内に、僕は眠りに落ちていく。

 そして、この世界で夢を見る。



 凄いなぁ、凄いなぁ、と子供のようにはしゃいでしまい、少しだけ反省した。
 今、ここには誰もいないから良いが、リオンに見られたら、きっと笑われることだろう。
 リオンは好きだ。だが、あのすぐ僕をからかいたがるところだけは、頂けない。
 あのエルネスト兄様の友人、というだけのことはある。

 でも、やっぱり凄いなぁ、とうっとりしてしまう。
 谷を優雅に舞う、あの美しい竜の動きは、本で見るよりも数倍も素晴らしい。
 無理を言って、エルネスト兄様についてきた甲斐があるというものだ。

 いや、いけない。つい、仕事を忘れるところだった。
 一応、僕は名目だけの扱いではあるが、王子である以上、エルネスト兄様に付き従って、色々学ぶべきことが沢山ある。
 兄様と一緒に、陛下をお支えしていく為に。
 そして、この世界で数少ない召喚術士として、魔女達と心を通わせ、この国を守っていく為にも。

 でも少しくらい、こうしていても良いだろう。このところ、陛下の第三妃選びの為に、ずっと城にこもらされていたのだ。
 全く、ずるいよなぁ、と舌を出してしまうけど、陛下も大変だと思う。
 僕はシェスタ一人のことを考えていればいいけれど、陛下はそうじゃない。好きで女漁りをしたいというのなら蹴ってやりたい気がするけど、あれも義務なんだから大変だろう。
 そうなんだよな、と僕は独り合点する。
 陛下は繊細な神経の持ち主で、どちらかといえば淡白な人だ。跡取り跡取り、と部屋に押し込まれても、苦痛なだけだろう。
 エルネスト兄様か、僕のところに子供が生まれたら、諸手を挙げてその子を王太子にしかねない、それくらい追い詰められているようだ。
 せめて、陛下の心労を和らげられるような、優しい妃を選ぶことくらいしか、僕に出来ることはない。
 まぁ、さっさと子供を作ってあげれば、一番良いんだろうけど。
 僕もまだ若いから、ぴんと来ないんだよね。
 シェスタは美人で明るくて、好きだけど、何だかお姉さんみたいで、まだそんな気になれない。で、シェスタも口にはしないけど、僕を弟みたいに思ってるような気がする。

 そういえば、シェスタは一度、竜に乗せてもらったことがあると言っていたな。
 ずるいな。僕は一度も乗ったことがないぞ、というと、今度頼んであげると言っていた。
 帰ったら、あの約束は有効かどうか、もう一度確かめてやろう。

「危ないぞ、そこの子供!」
 気がつかない内に、大分身を乗り出していたらしい。ひょいと抱えあげられて、大分後ろに下ろされる。
「ごめんなさい。つい、見惚れてしまって」
 ぺこりと頭を下げ、僕はその人を見上げた。
 そして、思わず息を呑む。
 髪や瞳の色は、王都では珍しい、つやのある漆黒。伸びやかな長身に、整った顔立ち。服装から見るに、この地帯に常駐するという竜騎士だろう。
 こんなにかっこいい騎士は、王宮にもなかなかいない。
「フリージオ様! クレオ!」
 うっとりとしているところに、無粋な声が響き渡った。あーあ、と額を押さえてしまう。
「こんなところにいらしたのですか! 探しましたよ!」
 ぎぎぎっと後ろを振り向くと、息を切らせて仁王立ちをする側近の姿があった。
「リオン」
「クレオ、その方をどなたと……痛っ!」
 鼻息荒く、詰め寄らんばかりのリオンの腹に肘鉄を入れながら、僕は無駄に愛想笑いを浮かべてみた。
 騎士がきょとんと目を瞬かせている。
「誰なんだ?」
「いや、善良な少年その一だよ」
 ちょっと無理があるか、と思ったが、騎士はそうか、とあっさり頷いてくれた。
 どうでも良かったのかもしれない。
 それより、と僕は急いで話題を変える。
「貴方は竜騎士だろう。この竜で、空を飛んだり、戦ったりするのか」
「そうだ」
「凄いねぇ。お兄さん、強いの?」
「そうでもない。竜で戦うのは、むしろ苦手だ」
「空中戦が苦手ってこと?」
「それもあるが」
 何故、と尋ねると、彼はしばらく頭をかいた後、照れたように言った。
「何となく、嫌なんだ。人間の争いに、竜を巻き込んでる気がして」
 良く分かるようで、分からない理屈だった。
 そんな僕の考えが顔に出ていたのだろう。彼は変だろ、と笑う。
「でも本当は、そんな遠慮しちゃいけないんだよな。竜は、騎士の相棒だから」
「相棒だから、遠慮しないの?」
「遠慮し合う関係だったら、相棒とは言えないだろう」
 谷を見下ろす騎士の目は、最初に感じたよりも、ずっと幼く見えた。
「ふうん……」
 とくん、と心臓がはねあがるような気がした。
 何だろう、と訝しく思いながらも、僕はその感触を振り払うべく、明るい声をあげた。
「じゃあ普通に乗ることは出来るんだな?」
「まぁな」
「じゃあ、僕を乗せてくれ」
「それは構わないが……」
 すると、今まで沈黙していたリオンが、噛み付きそうな顔で口を挟んできた。
「い、いけません、殿下が知ったら腰を抜かします」
「リオン!」
「殿下?」
 騎士の怪訝そうな顔が、みるみる険しいものへと変化していく。
「まさか、エルネスト殿下の」
「弟君にあらせられます」
 満足げに頷いたリオンを恨めしげに見つめる。ちらりとうかがった騎士の表情は相変わらず険しく、僕はそっとため息を落とした。

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