その朝、僕は不機嫌だった。そんな僕の様子に、クレオが心配そうに覗き込んでくる。
「どうした、リュージ」
「今朝見た夢が最悪だった」
バクにでも食わせてやりたいくらいの悪夢だ。
「どんな夢を見たんだ?」
「可愛くない、クソガキの夢」
「子供の夢なら可愛いじゃないか」
呑気に笑うクレオを睨みつけ、僕はさっさと身支度を済ませる。
「んで、結局どーするんだよ。こうしてたって、何も分からないだろ」
「ああ、そのことなら、昨日中に話をつけておいたぞ」
嬉しそうに笑うクレオにつられて笑みを浮かべたものの、何とはなしに嫌な予感がする。
その予感は、見事に的中した。
「これが、俺の竜なんだ」
ちょっとだけ得意げなクレオに相づちを打ちながら、僕は風の吹きすさぶ谷を見下ろした。そしてあわてて後ろに下がる。
「クレオ。まさかこの町の移動は……」
「もちろん、これに乗って回るんだ」
言ったろう、と不思議そうな顔をする。
「この町を回って、状況を把握しないことにはどうにもならないだろう」
そうだね、と俯いた僕に、さすがのクレオも勘付いたらしい。そっと頭に手をのせて訊ねてくる。
「ひょっとして、高いところが駄目なのか?」
「そうじゃないけど」
その声は、自分でも驚くほど弱かった。
嘘ではない、僕は高いところに苦手意識はなかったのだ。学校の屋上で弁当を食べていた時もあったし、恋人と観覧車に乗ったこともある。ジェットコースターだって平気だ。
なのに、どうして足がすくむのだろう。
黙っていると、クレオがのんびりと尋ねてきた。
「リュージの世界には、こんな竜に乗って回る場所はないのだろう?」
「……うん」
「なら、無理もないな。この世界の住人でも、竜に乗ったことがある人間は少ない。最初は誰でも嫌がるぞ」
だから気にするな、と背中を叩かれ、僕は申し訳ないような気になってしまった。
その時、ふとあることを思いついた。
名前を出すのはマズイだろう。僕は自分の身体を指し、小声で問う。
「この人も?」
他意はない。ただ、もし彼が高所恐怖症なら、身体がそれを覚えているということがあるかもしれない、と思ったのだ。
だが、クレオは軽く眉間にしわを寄せると、ゆっくりと首を横に振る。
「いや……あの方は、違ったな」
あの方、という呼び方。その目は僕を見ているのだけど、クレオの視点はずっと遠くにあるように感じる。
「あの方は最初から、竜を怖がらなかったし、進んで乗りたがったものだ」
「へー……」
だとすると、この震えは身体のせいではない。
何故だろう。
「どうする? 駄目なら、今日のところは……」
「でも、これ以外に方法がないんだろ?」
そう問うと、クレオはすまなそうに頷いた。だから僕は、にっこりと笑ってみせる。
「なら、喜んで乗らせて頂きます」
怖くないわけじゃない。
だが、怖いと騒ぐのはプライドが許さなかった。それに、これ以外に手がないのだから、いずれは乗らなければならなくなる。
「で、どうやって乗れば良い」
早速、と竜の方に寄ろうとすると、ぐいと首根っこを掴まれた。
「待て、リュージ。飛竜は竜使いでなくては乗れない」
「じゃあ、どうやって乗るんだ。誰かに頼むのか」
「いや、それには及ばん。言わなかったか? 俺は元々、竜騎士団の団長だと」
僕は嫌な予感がした。いや、もう最初の時の非ではない。超ヤな予感ってやつだ。
そしてやっぱり、その予感も的中するのでした。
僕は出来るだけ力を抜き、目を閉じて、その腰にしがみついていることに決めた。
「大丈夫か、リュージ」
「……へーき。あ、だけどクレオは苦しいか」
「いや、平気だ。もう少し強くても良いくらいだぞ」
「ははは、いーよ、これで」
乾いた笑みがこぼれた。
「なー、クレオ。竜騎士って、女性もいないのか?」
「いないこともないが、少ないな」
「……あのさー」
「言いたいことは分かるが、勧めない。もし腰に掴まろうものなら、振り落とされるぞ」
「あー、その忠告に従っとくよ」
ぶるりと身を震わせ、僕はその広い背に頬を預けた。
ああ、畜生。ぞっとしない。
女性ならどきどきしたかと言われれば、それは――
ぞくり、とした。
「リュージ?」
異変に気づいたのだろう。クレオの声が張り詰めている。僕は何度も頷きながら、ますます腕に力をこめる。
もう、余裕などなかった。とにかく落ちないように――
「あ……」
落ちる、女、背中――
付き離す手。
「リュージ!」
無我夢中でしがみついていた僕は、いつのまにかクレオの手で地面に下ろされたことにも気づかず、ずっと震えつづけていた。
ようやく僕が正気に返ったのは、もう日も落ちかけた頃だった。
そうしてクレオの腕を離れた僕は、そっと周囲を見回した。
そこは板張りの、いたって質素な室内だった。
「ここは――」
「この町の、宿屋だ」
そう言われ、ようやく納得した。
この前の町で利用したところに比べると、少しボロいような気がするが、これはこれで味があるという気がする。
「今日はここに泊まろうと思ってな」
のんびりと言われ、最初はそうかと頷いたものの、すぐに疑問が出てきた。
「だけど、騎士団の宿舎を中心に動くんじゃ」
「ああ、だけどとにかく、今日は休んだ方が良い」
有無を言わさぬその口調に、僕はがっくりと肩を落とした。それ以上、何も言えない。
クレオはあえて叱りはしないけれど、あの場面で錯乱するなど、とんでもなく危険なことだったに違いないのだ。
いくらクレオが優秀な竜使いだったとしても、落ちる危険は常にある。
「なぁ、リュージ」
「……ん?」
「あまり、無理はしなくて良いぞ」
その言葉に、僕は笑ってしまう。冗談と取ったとみたのか、クレオは強い口調で続ける。
「確かに貴方の助力が必要だ。けれど、元はといえば、貴方は異世界の人だろう。この世界の為に、そこまで無理を重ねることは」
「そうも……いかないだろ」
「だが!」
その大声に、一瞬身がすくんだ。クレオも自身で驚いたのか、すまないと声を低めた。
そんな彼を見ていると、僕は歯がゆくなる。
この人は優しい。だが、少し甘過ぎる。今の僕には、そんな温さに浸れるだけの余裕はないのに、この人は。
「クレオは、どこまで知ってる?」
「え?」
「俺の世界の話とか、俺がどうしてここに来たのかとか」
きょとんとしたクレオの顔に、僕は何となく脱力しそうになった。
「ひょっとして、何も知らないのか」
「別に、聞く必要はないと思ったんだ……」
軽くそっぽを向く。
ああ、前から薄々思っていたが、やはりコイツはバカだ。後先は考えないし、用心深さの欠片もない。
挫けそうな気力を何とか奮い立たせ、僕はゆっくりと言葉を選んだ。
「なら、聞いて欲しい。俺がどうしてこの世界に来たのか、ということを」
そして僕は、重い口を開いた。
今まで話したことがなかった、あちらの世界でのこと。僕があの世界から消えるきっかけとなった出来事。そして。
さすがにためらった。それを口にすることは、クレオにとってどれだけ辛いことなのか、あの女騎士の反応を思い出しただけでも分かる。
死人が、主君を殺した。
その事実を告げるのはためらわれたけれど、あえて僕は明言する。
「僕は一度、死んだ身なんだ。死んだ人間が、たまたま身体を得て、こうして歩いているに過ぎない」
彼は何も言わなかった。責めもしない代わりに、慰めもしない。ただ真摯な目が、僕を捉えている。
「多分、この奇跡は目的を果たすまでのことなんだと思う。世界の呪いが解ければ、俺の魂も元の世界に戻って、そして本当の死を迎えられるんじゃないかと」
そして分からないよう、そっと息を吸い、僕は軽い口調で言ってのけた。
「だったら、俺は早く眠りたい。それがアンタ達に従う、本当の理由だよ」
クレオは物言いたげに目を瞬かせたものの、深いため息をつくに留めた。
……呆れているのかもしれない。
「とにかく、しばらく貴方には待機していてほしい」
「え?」
「情報は俺が集める。本当に、貴方が必要な時には、遠慮せずに言う。だから、しばらくは大人しく、本部で待っていてくれ」
僕には、頷く以外の選択肢はなかった。
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