手を繋いで歩こう


「手、繋いでも良いかな」
 おずおずと、僕はそう切り出した。彼女は軽く頬を赤らめて、そしてこちらへ手を伸ばす。遠慮がちに重ねた手は太くたくましく、がっちりと僕を掴み。
「捕まえた……くく、捕まえたぞ」
 急に野太くなった声に、僕はおそるおそる手の先を見、般若のような顔になった彼女、いや、彼に出会う。
「妹に近づくなと言ったはずだ!」
 ひぃっと小さく声を上げた瞬間、僕の意識は暗転した。



 缶のタブをぐいと引きながら、僕は大きくため息を吐いた。
「そんな夢を見たんだ」
 ぷしゅっと気の抜ける音が響いた。悪友達は憐れみ半分といった、複雑な表情を浮かべる。
「悪夢だな……」
「悪夢だよ」
 背後に流れるお昼の放送。爽やかなお昼の時間に似つかわしくないような、暗い顔をしている自分を思い浮かべると、こうして付き合ってくれる悪友達は有り難い存在だ。
 多少、面白がるような顔をしていたとしても。
「彼女とお兄さんって、そんなにそっくりなのか?」
「体型はともかく、顔はそっくりだぞ。その体型にしたって、彼女はちょっと細身なことを考えるとだな」
「だけど、男じゃん? 男女で多少似ていても、見分けはつくだろう、普通は」
「つかなかったから、問題なんじゃないか」
 腹立ち紛れにごくり、とコーラを一気に流し込み、むせ返った。ごとりとコンクリートの上に缶を置くと、僕は苦々しい思いをぶちまける。
「恋人だったら、普通は見分けられるだろう! とお怒りなんだよ。おかげで、彼女の家に出入りも電話も禁止」
「うわ、キビシイなぁ」
「厳しいというか……当然といえば当然だけど」
 自然と声が小さくなったのは、兄貴の怒りはもっともだという気持ちもあったからだ。
 だが、誰にも言えやしない。
 皆が同情する中、一人は難しげに首を傾げた。
「でも俺、妹いるから、少しはそのアニキの気持ちも分かるかも」
 いつになく神妙な顔をしたそいつは、いつもよりも真面目な口調で言った。
「こう言っちゃなんだけど、あんまりいい加減なヤローと付き合わせて、取り返しのつかないことになったら可哀想だからな。やっぱり女の子だし」
「えー、そうかぁ? うちも妹がいるけど、そんなの気にしないぜ。誰と付き合おうと、お互いに不干渉っていうか」
「まー、その辺はな。お互いの性格もあるだろうけど」
 過保護だ、いや当然だという議論が飛び交う中、僕はひっそりとため息を落とした。



 それは、先週の日曜のことだった。
 テストも終わり、久々のデートだから、と選んだのは、日本一有名なテーマパークだった。
 付き合って一ヶ月、まだ行くところまでは行っていない、初々しい関係だ。行列に並んでも、二人一緒にいるだけで嬉しい。
 回っている内に、どちらからともなく手を繋いで、アトラクションに乗って、また並んで。手を絡めて、頬を寄せ合う恋人達は、列の後ろに立っている人間から見ると苛立たしいものだろうが、当人達はまるでお構いなしだ。
 二人の世界。その一言に尽きる。
 そして、そんな至福の時は、あっという間に過ぎていく。
 きらめくイルミネーションに彩られた、華やかなパレードが始まる頃には、時計は七時を回っていた。僕が時計を見たのにつられてか、彼女も携帯の時計を目に止める。
「あ、いけない」
 彼女が慌てて何かを確認していた。そして困ったようにこちらを見る。
「どうしたの」
「ううん、お兄ちゃんから電話が入っていたみたい。かけてみるから、ここで待ってて」
「ああ……じゃあ、一緒に」
「良いよ。ほ、ほら、ここの場所を取っておかないといけないし、ね?」
 人込みの中を抜けようと背を向けた彼女が堪らなく心配でついていきたいくらいだったが、そもそも僕に気を遣って、別のところで電話をするのだろう。しつこく追っては意味がない。
「あんまり人通りのないところへ行くなよー」
 うん、と微笑んで頷く彼女は、世界で一番可愛かった。
 恋をすると、人間は頭のねじが緩む。あちらの子も可愛い、あっちの子は色っぽいと目移りすることはあっても、自分にとって最高の女性は彼女なのだ、と断言できるほどに。
 そして幸せな恋をしていると、自分が馬鹿だということさえ幸福に変換できるのだから、つくづくおめでたい。
 そんな幸福に酔いしれていると、隣りに彼女が立った。
「あ、早かったね。お兄さんと、連絡取れたの?」
 呑気にそんなことを話しながら、僕はさり気なくその手を重ね、違和感に気づいた。
「え……?」
 だが、その答えが出るよりも早く、彼女の顔に凄みのある笑みが浮かぶ。
「お兄さんと呼ぶんじゃねーよ!」
 ぱあん、と風がうなった。あれ、と思う間もなく、僕の顎にその拳が叩きつけられていた。引っくり返った僕に、周囲が大きくざわめき出す。
「大体なぁ、男と手を繋いで何が楽しいんだ、ええ?」
「お、男……って、どうして」
 あの愛らしい彼女から飛び出す野太い声に、僕の精神は崩壊寸前だ。そこに救いの声が割り入った。
「お兄ちゃん、一体何をしているの!」
 ああ、女神だ。その時、僕は何の誇張もなく、心からそう思った。
 僕を庇うように手を広げた彼女もまた、目の前にいる彼女と同じ顔をしていた。だが、良く見てみればその服装は違う。後から来た彼女の方が、本物の彼女だ。
「え? あ、あれぇ? じゃあ、この男は……?」
 そして目の前に立つ、彼女の顔をしたぶっとい声の男は、彼女とは似ても似つかないような、いやらしい笑みを浮かべてみせた。



 不覚だ。一生の不覚だ。
「おーい、また落ち込んじまったよ」
「こりゃ、しばらくはこんな調子だな」
 確かにやむを得ず、男と手を繋いじゃうことはある。たとえば握手や登山。たとえばフォークダンス。そしてたとえば社交ダンスのレッスンでシャルウィーダンスえとせとらえとせとら。
 だが、あんなに甘い雰囲気の場で。恋人だけにかけるはずの、特別な声と視線を、よりによって野郎にかけちまうとは。それも彼女の身内。
 この恥ずかしさは何と説明したら良いのか。
 後に巻き起こった騒動など、あくまでおまけのようなものだ。
 どうやら彼女は、兄貴の度を越した干渉に、恋人がいると言えずにいたらしい。今回のことも友達と出かけると行って誤魔化してきた。
 しかしその兄貴が、たまたまサークルの用事でテーマパークの近くに来たのが運のつき。
 兄貴曰く、夜も遅いし、女の子だけでは危ないだろうから、一緒に帰ろうかと電話を入れたそうなのだ。だが、繋がらなかった。
 広いパーク内では会えないだろうが、と思いつつも、わざわざ入場料を払って入ったのは、パレードを見たいという、非常にミーハーで子供っぽい動機らしい。
 そこで、妹からの電話を受けた。
 妙に慌てた様子に、兄貴の勘は何かを察知した。そして妹の後ろから聞こえる、楽器の音や周囲の声から、大体どの辺かを推察、文字どおり駆けつけたという訳だ。そしてパレードの中、一人ぽつんと立っていた、妹と同い年くらいの僕に狙いを定め、近づいてきたらしい。
 そのからくりを聞いた僕は、彼が日本の大学生をやっているということが嘘のような気がしてならなかった。きっとそれは世を忍ぶ仮の姿で、実際は007でもやっているに違いない。
 そして猛抗議する妹に、彼は兄の威厳を見せつけていった。
「大体この男は、お前と俺の区別もつかない、面食い野郎だぞ。こんな奴と付き合っていたら、ロクなことにならない」
 それを聞いた瞬間、彼女の僕を見る目が変わったのは否めない。必死に取り繕おうとしてくれていたが、それでもかすかに開いてしまった溝を、上手く修復出来るかどうか。
 だけど会いたい。どんなに嫌われていても。
 ああ、あの必死すぎる兄貴が憎らしい。あの歪み切った愛情と懸命さが微笑ましいような気もしてしまうが、やはり二人の仲を邪魔してくれたことには変わりなく。
 あんなに甘いムードを、一撃で粉砕することで、何とも言えぬ嗜虐感を味合わせてくれた彼。妹そっくりの綺麗な顔をして、あのつれなさといったら、無理矢理こちらを振り向かせてみたいという欲望を掻きたてるに十分すぎる何かが。
「あれ……?」
 途中で、何かがおかしくなったような気がして、僕は再び首を振った。
 そうだ、僕は彼女を好きなんだ。彼女にとって、僕がどうでも良い存在になっても。
 そんな僕にとって、彼は恋敵だ、恋の障害だ。大体、いくら近くを通り掛かったからといって、大学生の、それも男子足るもの、一人であんなパレードなんて見たいと思うだろうか。あんな子供じみたものに興味を抱いて、パレードに喜ぶ彼が見られるなら、ぶん殴られても良いからお供したいと思う訳で。
「……っかしいなぁ」
「おいおい、一人で何をぶつぶつ言っているんだよ。ちょっと怖いぞ、お前」
 悪友達に窘められつつ、僕は悶々と悩み続ける。
 会いたい、という気持ちが誰に向かっているのか。好きという思いはどこへ向けられているのか。
 突き詰めると、空恐ろしいような結論が見えてくるような気がした。

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