出せずに破いたラブレター
一生、打ち明けるつもりのない思いだった。
馬鹿な話で笑いあって、痛いくらいの勢いで肩を叩き合う仲。誰よりも近い位置で、さっぱりとした友情を築ける相手。
あいつが俺に対して求めているのは、そういう位置だろう。
そして俺にとっても、居心地の良すぎる関係だった。
たとえ、かすかな痛みがかすめる瞬間があったとしても。
それを壊そうと考えてしまったのは、あいつがいない時、他の友人達との馬鹿げた会話からだった。
「そういえば、あいつってさ。カノジョとかいるわけ?」
無遠慮にも、そんなことを聞いてきた奴がいた。当人に聞けよ、と軽く返したものの、つい口が滑る。
「少なくとも、俺は知らないぜ?」
「やっぱし」
話をふってきた奴は、得たりと言わんばかりに頷いた。
「何がやっぱりなんだよ」
「いや、女子連中が騒いでたんだけどさぁ」
奴は急に声を潜めた。ついつい、身を乗り出してしまう。
「あいつ、ホモなんじゃないかって」
やや、間があった。次の瞬間、俺は思わず立ち上がってしまう。
「はぁ? 冗談だろ? 何を根拠にそんな」
「んー、いや、根拠らしい根拠はねぇんだけどよ。連中に言わせると、何つーか、そういう男っぽいっての? やらしい感じがしなさすぎるんだとよ」
そんな戯言を、一瞬でも真に受けそうになったのは、俺の願望が成せることかもしれない。もちろん、淡い望みはすぐに捨て、鼻で笑ってみせる。
「ば、馬鹿馬鹿しい。んなこと、見て分かるもんかよ」
「はー、さすがに焦ってんなぁ」
だが、そんな虚勢は、一発で見抜かれた。奴はなれなれしい素振りで、何度も頷いてみせる。
「そりゃ、そうだよな。奴がホモだとしたら、自分も貞操の危機だろ。信じたかないよな」
さも分かると言わんばかりの口調に、俺は愛想笑いを浮かべながら。
思い切り、奴のすねを蹴り上げてやった。
世の中なんて、所詮そんなものだ。あいつだって、俺の気持ちを知ったら、あの馬鹿と同じようなことを思うのかもしれない。
そう思いながらも、女の勘とやらを信じたいと考えてしまったのは、藁にもすがりたかったからかもしれない。
打ち明けないつもりだった。だけど、やはり苦しい。
期待しないと言いながら、どうしても求めてしまう。ハッピーエンドなど望まないと言いながら、ほんの小さな夢を抱いてしまう。
そんな中、もしかしたら、というわずかな期待が、俺を大胆な行動に駆り立てた。
生まれて初めて、恋文という奴を考えた。
最初は、自分で書くのが恥ずかしくて、兄貴の部屋から引き抜いてきたハウツー本だの、姉貴の部屋にあった恋愛小説だのを引き合いに出してみた。
だが、相手が友人、それもオトコだ。どうも、しっくりしない。
しばらく四苦八苦した挙げ句、素直に自分の気持ちを伝えるのが一番いいという、正当な方法に辿り着くまでに、夜通しかかった。
そして、テスト前日に負けず劣らず充血した目のまま、俺は、心音を高鳴らせながら教室へ行き。
そこで、驚愕の事実と出会った。
女をひっつけた友は、満面の笑みを浮かべていた。そして、俺に気づくと、さも嬉しそうに笑いかける。
「おはよ……」
笑みが、驚きの表情に変わる。
「どうしたんだよ、お前。すげぇ顔」
「え……ああ」
当たり前のように、自分が笑う声を聞いた。そして、自分は何でもないことのように答える。
「ゲームだよ、ゲーム。ついはまっちまってさ。気がついたら、窓が明るくなってんの」
「何だよ。びっくりするじゃねぇか。今にも、死にそうな顔してっからさ」
死にそうな顔をしていたとしたら、それは寝不足のせいじゃない。あまりにも一人よがりだった、昨日の自分を殺したくなったからだよ。
――そうも言えずに、俺はただ笑う。
「確かに、眠くて死ねそうだな。一時間目、屋上で寝てるわ、俺」
そういうと、あいつの制止も聞かず、俺は屋上の階段へと走った。
鞄を下げたまま、わき目もふらずに。
踊り場に置かれた柵を乗り越えて、俺は扉の前に座り込んだ。その扉自体には鍵がかかっていたが、この小さな踊り場が休憩ポイントとなることは、周知の事実だ。
とさりと横になった俺は、無造作に鞄を探る。そして、取り出しやすい位置に入れた封筒を取り出すと、音を立てて二つに裂いた。
それだけでは足りない。文字が解読不能になるまで、延々と裂き続ける。
チャイムの音など、耳に入らなかった。
一心不乱に、手で裂ける限界まで、細かく砕く。ようやく気が済んだ頃には、既に二時間目まで時計は回っていた。
だが、恋愛感情が消えるには、かなりの時間を費やした。
何度も、諦めてしまおうと思った。適当な付き合いと別れを繰り返して、ようやく忘れられるようになったのは、あいつと別の大学へ進学してからのことだった。
わざと遠くの学校を選び、あまり連絡も取らずにいた。バイトも入れ、わざと忙しく日々が過ぎるようにした。
そうしている内に、あまり思い出さなくなっていった。時折、苦い思いが過ぎることがあったが、それだけだ。振り払えば、すぐに消える。
そんな風に疎遠になってから、二年目の春が来た頃のことだった。
夜中、俺の元に一本の電話が入った。
兄からのものだった。慌てた口調で、すぐに帰ってこいと言う。何があったと呑気に問うと、電話の向こうから噛み付きそうな勢いで怒鳴られた。
「馬鹿! お前の親友が大変なことになってんだぞ!」
一瞬で、寝ぼけた目が冴えた。すぐに戻ると言い捨て、その朝の始発で、地元へと舞い戻る。
最寄り駅につくと、俺は迷わずタクシーに飛び乗った。乱暴に病院名を告げ、イライラと窓の外を眺める俺は、相当感じの悪い客だったろう。
奴が隣りにいたら、注意されたに違いない。
彼が隣りにいられたなら。
車の中で、俺はただ頭を抱えていた。組み合わせた手で、ただ祈る。高校時代、自分が願ったことが、いかに浅はかだったかを知る。
この祈りに比べれば、自分の願いなどちっぽけなものだ。
「釣りはいらねぇよ!」
学生にあるまじき豪儀な台詞。奴が聞いたら、さぞ笑うだろう。
聞かせてやれるなら。
(頼む)
病院に駆け込むと、見覚えのある少女が待っていた。先に連絡がいったのだろう、彼の妹の先導で、病室へと急ぐ。
「すみません、遠いところ。兄が、どうしても貴方に、と」
「いいや。連絡をもらえて良かった。そうでなけりゃ……」
言葉が続かなかった。急ぎ過ぎて息を切らしていたせいもあったが、事実を認めたくない気持ちも働いていた。
兄から聞いた話。そして、彼の妹の口ぶり。そうしたものから、この先に待つものが何なのか、理解しているつもりでいた。
それでも、万が一の奇跡を信じずにはいられない。
通された部屋に横たわるのは、まるで知らない人のようだった。
すっかり変わり果てた姿をしたその人は、ちらりとこちらに目を向ける。酸素吸入器越しの口元が、ふと微笑んだように見えたのは、願望かもしれない。
彼の名を呼ぶ。
次の瞬間、近くの機械が規則的なリズムを止め、耳障りな音を立てた。
ばたばたと人が走り回る中、俺はいつのまにか廊下へ出てきていた。近くの長椅子に座り込み、俺はぐったりと壁に身をもたせかける。
そのまま、どれくらい待ったろうか。
部屋から神妙な顔をした人々が出てくると、何やら訳の分からないことを言って、頭を下げる。妹さんが泣き崩れるのを支えながら、俺は部屋の中に、ただ彼の姿を探していた。
目を覚ましたら、色々話してやらなければならないだろう。せっかく、俺に会いたいと言ってくれたのだ。どんなに無様な格好で到着したのかとか、放り出してきた講義の話とか、今まで言わなかったこととか、沢山のことを話してやろう。きっと、笑ってくれるに違いない。
だから、早く起きてくれ。
白い布がかぶせられる時でさえ、俺はそう祈り続けていた。
数日後、葬儀が終わるのを待って、電車に乗った俺の手には、彼の妹から手渡された一通の封書があった。何でも、机の中に大切そうにしまってあったのを、葬儀のどさくさで見つけたらしい。
切手の貼られた封筒には、下宿先の住所と俺の名が記されている。
しばらく眺めた後、俺は丁寧に封を切った。そして、文面へと目を走らせる。
――拝啓
他人行儀に始まる文章に、苦笑しながら読み進める。その内に、俺は徐々に余裕を無くしてきた。
この手紙を出していいものか、今でも迷っている。
これから君に告げることは、多分、君にとって不愉快なことでしかないからだ。
覚えているだろうか。高校時代、俺が同性愛者だという噂がたったことを。
その話をした時、君が怒っていたという話を聞いた。
無理もないと思った。いつも側にいた奴が、そんな性癖をもっていたと知れば、大抵の人間は気味悪がるだろう。
だから、わざと恋人がいるふりをした。それで、噂を打ち消せると思ったから。
次をめくる手が、もどかしげに振れた。止めてしまえ、と心のどこかが小さくうめいた。
もし、次に書かれていたことが、俺の願った通りだとしても、今更どうにもならないことだ。忘れてしまった方が良い。このまま、苦かった友情の物語として封印してしまうべきだ。
そんな恋をしたこともあった、ただそれだけの物語として。
だが、俺の手は続きを求めた。目が、追い続ける。
君に気味悪がられて、近くにいられなくなることだけが怖かった。友達という位置を守ることだけが、俺の望みだったから。
だけど、君とも疎遠になってしまった今になって、後悔している。
親友である君に、たった一つだけ突き通した嘘だ。
そこに書かれた一言に、俺は笑う。
あの時、何よりも切望した言葉だ。その一言をもらえたら、他には何もいらないとさえ思っていた。
「……いらねぇよ」
ぽつん、と何かが落ちた。便箋ににじんだそれをこすると、見る間に文字が歪む。
「こんなもの、いらねぇんだよ」
トンネルの中を、ごぉごぉと風が鳴る音が響いた。
日付は、彼が入院する少し前だ。これを書き上げた後、投函すべきかどうか迷っている内に、彼は学校で倒れ、そのまま病院から出ることはなかった。
無理がたたったのだ、と周囲は言った。多少の不調も、風邪で押し通してしまった。若かったせいで、病気の進行が早かったのも悲劇だったという。
大馬鹿野郎、と小声で毒づいて、俺はまた、紙面へと目を落とす。
初めて恋をした相手が君だから、親友だからこそ言えなかった。だけど本当は、親友でもあったからこそ、打ち明けるべきだったのかもしれない。
信じ切れずに、隠し事をしたままでいるよりも、打ち明けて本音を聞いた方がずっと俺達らしい関係でいられたのかもしれない、と。
だから、この手紙を送る。
返事をしたくなければ、それでいい。ただ、それが俺の正直な気持ちだ。
風が鳴り止んだのを受け、俺は窓へと目を投げかけた。トンネルを通過した途端、空一面に白いものが舞っているのが見えた。
季節外れの雪が、車窓の向こうに飛び交っている。
白く舞うそれらが、まるで高校時代に破り捨てた紙ふぶきに見え、俺は何度も目をこすった。かつて自分が苦心して書き上げた一言を、この手紙に書かれた一言を口ずさむ。
好きだった。今までも、そして――
「これからも」
そして、ひっそりと瞼を閉じた。
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