一緒に帰ろう


 珍しい話ではなかった。
 そう、ありふれたことだ。こんなこと、どこの町にも転がっている。
 だから今更、動揺することなどないのだと、自分に言い聞かせながら、足元に横たわる妹を抱き上げる。
 小さな頭は、こちらの手のひらで覆い隠せるほどだった。ずっしりとした重みは、眠ってしまった彼女を抱き上げた時の痺れに似ていて。
 温もりが失せていることが、奇異に感じられるほど。
「ライシャ」
 名を呼ぶが、彼女はぐったりと首を傾けたままだった。見開かれた瞳を閉じ、顔についた血の汚れを拭ってやる。
 だが、安らかな表情を取り戻してやることは出来なかった。
 苦悶の表情が濃い顔を見据えている内に、視界が曇ってくる。にじみだす風景の中、冷静であれ、と繰り返す自分の声だけが、滑稽に響いた。



 一つの国があった。
 暴君の治世、多くの庶民が貧苦に喘いでいた。権力者の気まぐれで人が死ぬ時代に、多くの革命の士が立ち、そして消えていった。
 そんな中、徐々に勢力を拡大しつつある組織があった。小さな商業都市から生まれたその組織は、資金力と人脈を生かして、各地で帝国軍を退ける活躍を見せる。
 青の旗印を掲げ、自らを解放軍と称した彼らを有名にしたのは、率いていた人物の存在も大きい。
 それは奇跡の神子、と呼ばれた、十七才の少年だった。

 解放軍の拠点となったのは、ゆうに百年は放置されていたろうと言われる古城だった。
 そんなオンボロ城の、足音が響く回廊。こつん、と響く余韻を聞きながら、俺は一息つく。
 異常なし。そう呟いて、詰め所へ戻ろうとしたところで、ふと廊下に引かれた一筋の線に気づいた。
 執務室の扉から洩れ出た灯りが、光の線を作っている。
 こんな時間に、誰だろう。
 軽い緊張が走った。音を立てぬよう、扉を開き、中の様子をうかがう。
 最初に、背中が見えた。その正体に気づいた途端、一瞬だけ気配を乱したのだろう。彼は、弾かれたように立ち上がり、腰の剣に手をかけた。
「誰だ!」
 逃げようかと思ったが、それで妙な誤解を受けるのも面白くはない。第一、こちらに非はないのだ。俺は堂々と扉を開いた。
 俺の姿を見、彼はやや眉を寄せた。そして、ほっと息をつく。
「何だ、君か。びっくりさせるなよ」
「それはこっちの台詞だ、ラゼン。こんな時間に、灯りが点いているから、何事かと」
「あ、ああ……すまない。少し、調べものをしていて」
 どこかぼんやりとした話し方だった。何度か目をこすった後、初めて気づいたように俺を見る。
「今、何時なんだろう?」
「俺が詰め所を出た時は午前三時だった」
「ああ……じゃあ、そろそろ寝ないと、明日に差し支えるな」
 ばさばさと紙を片づける手つきも危うい。
 先ほど、俺に気づいた時に見せた鋭さが嘘のように消えて、ドンくさい少年だけがそこに残る。それを見守る俺に、ごめんね、と照れた笑みを見せながら、重要書類を丁寧に拾う。
「そんなもの、堂々と出しておくなよ」
 思わず注意すると、彼は小さく首を振る。
「だから、この時間にやっていたんだよ。昼間だと、人の出入りが激しいだろう」
「人払いでもすれば良いだろうが」
「それだと、物々しいしねぇ。本来、僕は軍人でも何でもないからさ。どうしても抵抗があるんだ、そういうの」
 欠伸をかみ殺しながら、彼はかくん、と身体を揺らした。慌てて支えてやるが、既に両目が閉じかけている。
 そんな無防備な姿に、ため息が洩れる。俺は彼を背負い、寝室へと向かった。



 ラゼンと出会ったのは、まだこの軍が地方の無法集団でしかなかった頃だ。当時の解放活動の多くは、そうした名目の元、金をしぼりとるだけの無法者でしかなかった。
 商業都市を拠点とした奴らは、商人ギルドからやはりそうした名目で、金を搾り取っていた。
 もちろん、商人達の中にも乱れる世の中を憂いていた者はいたであろう。だが、彼等が解放軍に資金を調達していたのは、思想に共感したからではない。あくまで、厄介払いするだけのものだった。
 幾度、帝国側に訴えでても、なしのつぶて。困り果てた挙句、彼等は商人らしい方法で、彼等と折り合う術を見つけたのだ。
 ギルドに顔を出す度に、返って来るのは侮蔑の目。それでいて、面と向かって文句を言えるものもいない。
 そんな中、毅然と彼等に向かってきた少年。
「貴方がたは、恥ずかしくないのですか」
 青臭い台詞に、無法者は失笑をもらし、商人仲間は顔を蒼白に変える。だがそんな人々も、続く言葉には顎を外した。
「お金をせびるなら、堂々とせびるべきです! 訳の分からない大儀名分をつけるなどせずに、もっと自らの行為に誇りを持って下さい!」
 当時、大商人の父親の保護下にあった十五才のラセンだった。

 それから、すぐのことだった。帝国正規軍の逆賊狩りが始まったのは。
 もちろん、ただの無法者の集まりだ。帝国軍に乗り出されれば、ひとたまりもない。すぐにリーダーを失い、空中分散してしまった。
 だが、帝国軍の攻撃が止むことはなかった。
 彼等が狙っていたのは、逆賊狩りではない。それを口実として、商人達を検挙し、私財を没収することにあった。
 そうした商人達や家族が、犠牲者として名を連ねる中に、ラセンの父の名もあった。
 だが、帝国の目をかすめ、逃げ延びた彼の息子は、間を置くことなく解放軍を組織し、勝利に酔う帝国軍を急襲した。
 そして没収された財を取り返すと、打倒帝国を掲げ、反乱の烽火を挙げた。



 俺が解放軍についてから三年。時代は残酷な早さで、一つの終わりを告げようとしていた。
 帝都を目前にした戦場。まさに帝都突入を前に、皆が高揚する中、俺は妙に冷めた心持ちで、それを見ていた。
 皆が見守る中、壇上に立った少年は、朗々と声を響かせる。
「次が、最後の戦場になると思う」
 静まり返った場に、彼の声が切々と訴えかけた。
「だから、全員一緒に帰ろう。必ず、生きて帰るんだ。自分を待っているところへ」
 応える声が、唱和する。その中、俺だけがぼんやりと壇上の彼を眺めていた。

 突入の合図から、数時間。あちこちから届く伝令に、皆が勝利を確信し始めた頃、俺は兵士が行き交う廊下を奥へと進んでいた。
 いつかの執務室の前で足を止め、そっと扉を開ける。
 目的の人物は、一人、祈るような姿勢で座り込んでいた。こちらの視線に気づいている様子もない。だが、するりと入り込んだ途端、中から張りのある声が響いた。
「誰?」
 こちらも見もせず、問う。俺は落ち着いた声で答えた。
「伝令を」
「わざわざ、気配を消して?」
 初めて振り向いた目は、笑っていた。だが、張り詰めた空気が、避けられぬ事態を告げる。
「いつ、動くかと思っていたんだけど」
 まるで他人事のような声音。だが、表情だけはひどくかなしげに映った。
「どうして、今まで動かなかったんだい」
 次の呼びかけを待つまでもなく、正体がばれていたことを悟る。
「組織つぶしの皇子様」
「どこで分かった」
 そう問うたのは、何故だろうか。話しを長引かせれば、それだけ不利になると気づいていたのに。
 ラゼンは、ほんの少し顔をほころばせる。
「僕は商人の息子だよ。一生の内、商人と関わらずに町で生きていける人間なんて、ほとんどいやしない。たとえ、寵姫といえども」
「最初から、分かっていたというのか」
 一つ頷いた表情が、切なげに歪んだ。
「君が皇子ということも、あちこちの組織を潰してきたことも知ってた」
「そこまで分かっていたのなら、どうして俺を切らなかった」
「どうして、なんて聞くのかい」
 彼は苦笑した。そして、疲れたようなため息をつく。
「忘れたのかい。この命は、君に救われたものだということを」
 彼はかすかに目を伏せて、穏やかな笑い声を響かせる。
「……君は、僕を助けてくれた。あの時も、いままでも。たとえ利用されただけだとしても、この気持ちは変わらない」
 上げた顔は、少年の心根をそのままあらわしていた。最初、出会った時から、先ほどの弁舌の時まで、変わることのない輝きを見せている。
「君の振るう剣には、正義が感じ取れた。たとえ、それが僕と違うものでも。それを知りたかったんだ、僕は」
 閉ざされた唇は、強い意志で結ばれていた。無言で促してくる瞳に、俺の方が圧される。
「五年前、家に逆賊が押し入ったんだ。母が、皇族と通じていたという理由で」
 言葉が勝手に滑り出ていた。かすかな胸の痛みが、言葉にする毎に増していく。
「顔はおろか、自分に父親がいるということすら知らなかった妹も、例外じゃなかった」
 不思議な感覚だった。誰にも打ち明けたことのない事実を、自身の声で聞くのは。
「遺体は、酷いものだった。せめて即死なら、まだしもだ」
 彼は目に見えて、蒼ざめていた。無理もない、と薄く笑う。
 ラゼンは厳しさも持ち合わせているが、根は優しい人間だ。たとえ敵でも、情けをかけてしまいかねないほどに。
「どうして、そんな」
「理屈は分かる。俺だって、皇族の端くれだ。血統のややこしさは知っている。新たな時代を作るには、どうしても残しておけない存在なのだと」
 顔をしかめるラゼンには、理解できぬ理屈なのだろう。そして彼は思った通り、強い口調で訴える。
「でも、他にも方法はあるはずだ。幼い子供を殺すことに、何の正義がある」
 その答えに、俺は知らずと苦笑していた。胸の痛みが、一層増していく。
「忘れるな。そんな正義が、解放軍の正義だ」
「それは違う!」
 少年は、こちらがたじろぐほどの勢いで言い放った。普段は柔いくせに、こうした時に見せる厳しさは、並みの軍人などよりも余程強い。
 そういう男だからこそ、彼を選んだのだ。
 解放運動、最後のリーダーとして。
「皇帝を許すことは出来ない。時代を作った責任は取ってもらう。妹が死んだ時に、厄介払いが出来たと笑った異母兄弟も許せなかった。だから生まれを捨て、解放軍に身を投じた」
 外から、伝令の声が響き渡った。皇帝自害、の声に、沸き立つ声。
 もうさほど時間は残されていない。呆然と立ち尽くしているラゼンの目を盗み、そっと自身の胸元に手をあてる。
「だが、このままお前達が勝利すれば、そんな正義がまかり通ってしまう」
 声音が変わったのに気づいたのだろう。彼が身構えるよりも早く、胸元に隠した投剣を飛ばしていた。
 ――その瞬間。
 俺はとっさに、目をそらしていた。



 どうして今まで動かなかった、と彼は問うた。
 お前が皇帝を倒すまで、待っていたのだ、と俺は答えた。

 どういう正義を望んでいたのか、と彼は問う。
 子供が死ななくても良い世界だ、と俺は答える。

 帝国が倒されて、解放軍も倒れて。
 結局、何が正義だったのか、分からなくなるような、そんな世界を望んでいたのだから。

 だが、本当にそれだけだったのだろうか。
 あんな局面まで、彼を殺せなかった理由は。



「さぁ、一緒に帰ろう」
 そういって差し出された手を、振り払う。
「馬鹿か、お前は」
「何でだよ」
 唇を尖らせる彼は、まるで子供だ。軍を率いていた時の威厳など、欠片もない。
「どうして俺が、お前と一緒に行かねばならない」
「ええっと」
 彼はしばらく考え込んだ後、小さく苦笑した。
「君を好きだから、だけど」
 あまりの発言に、脳みそが思考を止める。ようやく動き始めた時には、声が裏返っていた。
「馬鹿野郎! 俺はお前を」
「殺せなかったよね。そりゃ目を瞑ってたら、殺せるものも殺せないよ。それとも、あんな投剣一本で、僕を殺せると本気で信じてたのかい?」
 無邪気に、痛いところをざくざくと突き刺してくる。
 まさに無様としか言いようのない状況だった。投剣を受け止めた彼は、ぼんやり立ち尽くしている俺を殴って気絶させた後、堂々と皆の前で終結宣言をやってのけた。
 言葉を失った俺に、彼は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「そこまで馬鹿なら、とっくに死んでるでしょう。だから、君に僕を殺す気なんてなかったって解釈したんだけど、うぬぼれ過ぎ?」
「うぬぼれ過ぎだ」
「じゃあ今なら、殺せるのか?」
 俺は一つため息を吐いた。
「もう意味がない。意味のない殺しはやらない」
 彼は、見事にあの乱世を治めてみせた。そしてある程度、新しい国が立ち上がるのを見送って、彼自身は身を退いた。
 全ては終わってしまったのだ。今更、彼を殺す意味がない。
 そう主張すると彼は、あっさりと言ってのけた。
「だったら、良いじゃないか。一緒に暮らしたって」
「そう、なのか……?」
「そうそう。問題ないよ。君の正体なんて、僕しか知らないんだから」
 丸め込まれた格好になったものの、重大なことを失念しているような気がした。何だろう、と首をひねっている内に、勝手に奴は俺の荷物をまとめている。
 何となく流され始めているような予感がした。

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