貴方というともし火を

貴方というともし火を


 法の庭と王が、拮抗する国、ファーシル。
 初代王にして、法の庭の守護者ファーシルを神聖なるものとして仰ぐこの国では、彼の生まれたその日を聖誕日と定めている。
 この日とその前日は、ファーシル国のあらゆる機能は停止する。
 店は閉まり、公的機関もほとんどがその扉を閉ざす。

 それは、法の庭も例外ではない。
「降ってきたな……」
 自室の窓から外を眺め、彼は眉をひそめた。そしてベットから抜け出すと、スリッパを引きずりながら、火の気のない自室を後にする。

 マグカップを持って、階下へと降りると、大広間の柱時計が鳴る音が聞こえてきた。一つ、二つ、と無意識に数えながら、居間へと向かう。
 途中、がたんと窓の鳴る音がした。一瞬、彼の肩が緊張したが、すぐに風の音と気づいて安堵する。人気のない家は、どこか寒々しい。軽く身を震わせると、彼はストーブに灯を燈した。
 こんなに人気のない聖夜は、久しぶりかもしれない。
 辛抱強く、暖気が伝わるのを待ちながら、彼は過去の聖夜に思いを馳せた。

 引き取られてからは、賑やかな聖夜を過ごした。家を出、妹と二人で暮らすようになってからも、悪友どもが広間を占拠してくれた。
 こんな風に静かな聖夜を過ごしたのは、母親と死に別れた時が最後かもしれない。
 彼女の手を引いて、聖夜の町を歩いた時のこと。



 あれは、自分達に父親がいることを知った年。下町の家を引き払い、これからは普通の子供と同じように、贈り物が貰えるのだと信じて疑わなかった聖夜のこと。
 少年は、妹の手を引き、聖夜の町へと飛び出していた。
 妹は事情を知らないながらも、兄の形相に只ならぬものを感じていたのだろう。幼い足で、必死について走ってきた。
 コート一枚、荷物も持たずに走り続け、人気のある場所に出た瞬間、ようやく足を止めた。そして、路肩の花壇に腰を下ろす。
「お兄さま」
 不安げな妹を膝の上に載せ、ぎゅっと抱え込む。そうして、妹の体温を感じながら、彼はこれからのことを目まぐるしく考えていた。

 彼が目にした光景。それを思うと、ぐっと何かがこみ上げてくるようだった。
「お兄さま。早くお家にもどらないと、お母さまが」
 無邪気に胸元を引く妹。その無邪気な笑みに、危うく喉元まで出掛かった言葉を抑える。
 お母さんは、もういないんだ。僕らの異母兄達に殺されてしまったんだから。

 どうして。そう叫ぶことさえ出来ず、彼はじっと座り込んでいた。



 多くの子供にとって、聖夜は待ち遠しいものだった。
 聖夜には、神聖王ファーシルの従者でもあった聖人、セントクリスが子供達の元を巡り、贈り物をするという言い伝えがあった。
 そして、そうした子供達の枕元には、きちんとプレゼントが置かれていたのだ。

 その話が出る度、子供達は彼に訊ねてきた。
(お前は、どんなものを貰ったんだ?)
 少年はいつも答えることが出来なかった。それを見た子供達は鼻白み、そして勝ち誇ったようにこう糾弾したのだ。
(お前は、良い子じゃないから、プレゼントを貰えないんだ)
 違う、と言い張るには、少し世間を知り過ぎていたのかもしれない。
 プレゼントは、両親が買ってくるのだ、と知っていた。そして、自分の家にとてもそんな余裕がないことも知っていた。
 それでも、違うとは言えないのだ。

 未婚の母として、いつも冷たい目に晒されていたあの人を見る度、私生児と罵られる度、彼の中にはひっそりと罪悪感が積もっていった。
 自分さえ生まれてこなければ、あの人が苦しむこともなかった。
 だから、やはり良い子としての資格はない。

 ねぇ、お母さん。せめて妹にだけは、何か贈り物を。
 そう懇願したのは、彼女に同じ思いをさせたくなかったからかもしれない。
 小さな仕事を引き受けて、二人で何とか稼いだ小金で、お菓子を買うのが精一杯の聖夜。翌朝、目覚めた妹の笑顔を見られれば、それが一番の贈り物だと笑えた聖なる日。



 だが、そんな小さな幸せさえ、今年の聖夜は与えてくれない。

「お兄さま」
 妹の怯えた声に、ようやく彼は気づいた。周囲の目が、徐々に変わりつつある。
 彼とて、元々は下町の子供だ。たとえ今は良い服を着ていても、その嗅覚は失われていない。
 値踏みするような目、隙あらばカモにしてやろうと言わんばかりの目。
 吐き気がした。
 その内の一人が、こちらに近づいてくる素振りを見せた段階で、彼は妹を担ぐようにして、逃げ出していた。だが、奴等も執拗に追ってきたが、そこは元々の土地鑑がものを言った。大人の知らないような抜け道を巧みに手繰り、彼は人気のない場所へ、盗人達でさえも近寄らない場所へと向かう。

 息を切らした彼が立ったのは、大きな扉が立ちふさがる場所だった。
「お兄さま、ここって……」
 怯える妹を宥めつつ、彼は以前、見つけ出した抜け道へと急いだ。妹を抱えて試みるには、やや不安のある場所だったが、もう選ぶ道などない。
 このままでは、二人とも殺されてしまう。そうでなくとも、闇で売られて、二度と日の光を見られなくなるか。
 それならば、やるだけのことをやるべきだ。

 壁に開いたわずかな隙間に身を滑り込ませ、彼らはそっとその敷地へ入り込んだ。そして、その大きな扉を押す。
 もし開かなかったら、と思うとどきどきしたが、幸いにも扉はすんなりと開いた。
 中は、静まり返っていた。灯りもない空間は、どこまでも広がる漆黒の夢のよう。
 ひし、と腰にしがみついてくる妹を庇いつつ、先へと進む。

 そして、適当な一室の中へと潜り込むと、彼はようやく良いよ、と妹を開放した。
 幾つもの座席が場の半分を占める広間。そんな広間を見下ろすように、設けられた高台。その一つに腰掛け、彼はそっと周囲を見回した。
 法の庭と呼ばれる空間は、冷え切っている。誰もいないことを確認し、改めて肩を落とす。

 名も知らぬ少年と交した言葉が、浮かんできた。
「聖夜の贈り物って、本当は枕元に置かれるものじゃないんだよね」
 じゃあ、どこに、と問うた自分に、彼は微笑んだ。
「お前を見ているよ、と撫ぜてあげる手こそが、子供への贈り物だよ」
 そう言った彼は、何にも染まらぬ強い色をして。
「子供って弱いよ。ろくでもない大人にかかったら、何をされるか分からない。そんな、弱い立場にあるんだよね、僕らって」
 だから、助けてくれる存在が必要なんだ、と彼は言った。
「そしてやがて、僕らが差し伸べる手となって、続いていく」
 その時、浮かべた表情は、年下とは思えないほど、落ち着いていて。
 同時に、とても寂しそうな目をしていた。

「お兄さま」
 無邪気に袖をひっぱる妹の顔。その大きな瞳を見つめていると、何故か泣きたくなってきた。
 今までは考えないようにしていた言葉が、胸を駆け巡る。

 どうして、僕らは貰えなかったのだろう。
 この聖夜に、どうして僕らは、贈り物を貰えないのだろう。

「ごめんな……キャスリン」
 そっと妹を抱き寄せ、彼は祈るように呟く。
「今年は、何も届かないんだ」
 その瞬間、ふと灯りが差し込んだ。身を固くした彼の前で、ゆっくりと扉が開かれる。
「そこに、誰かいるのか?」
 廊下から差し込んだ大きな影。その影の手に、細長い銀の輝きを見た途端、彼の覚悟は固まった。キャスリンを座席の間に押し込むようにすると、影に向かって挑むように立つ。
「あなたは、ここの方ですか」
 そう訊ねたのは、まさかと思いながらも、彼が刺客である可能性もあったからだ。彼らが既に殺人を犯していることを考えれば、それくらいのことはやりかねない。
「……子供?」
「無断で入り込んだことは、お詫びいたします。ですが賊から身を守る為には、これしか手がなかった。どうか、ご温情を」
 そう言うと、彼はかちゃりと剣をしまった。どうやら、彼に敵意がないと気づいたらしい。落ち着いた声音で訊ねた。
「私はアーネスト・ヒルズという。ここで裁判官を務めている者だ。良かったら、事情を話して欲しい」
「ヒルズ家の」
 軽く、驚いた。彼も司法の名門、ヒルズ家の名は知っていたのだ。ある少年から、色々な伝説と共に聞いた名として。
「私はキルシュ・ビバルディ。ジェラード公の庶子です」
「何?」
 瞠目した裁判官に、苦笑しながら一つ頷く。
「どうか、私達を父の妻、そして息子達の手から守って下さい」



 こんこん、と扉を叩く音に、キルシュはようやく我に返った。ややあって、入ってきた恋人達は、野外との温度差からか、やや頬を上気させていた。
「やー、遅くなってすまん。ちょっと、意外な人に会ってさ」
「意外な人?」
 にこにこと仲良く微笑む二人の後ろから、がやがやと騒がしい声がする。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。さ、さすがにこの服は」
「良いから良いから。今まで、それで回ってたんだろ? 是非、見せてやってくれ」
 同僚の声だった。そして、最初の声は。
「そ、それに心の準備が」
「良いから、さっさと入れ!」
 最後は良く知らぬ男の声だった。転がる様にして、館に押し込まれた男を見た瞬間、キルシュの思考が固まった。
「……おい」
 怒りを込めて震える声に、諸悪の根源どもは朗らかな笑みを響かせる。
「いや、ヨーゼフ王子がさぁ。もう、あんまりにも面白いから、私と一緒にキルシュの家に行かないかって誘ってみたのよ」
「そこに僕とキャスリンが通りかかって、加勢して」
「そうしたら、そちらの方がお招きに応じて下さって」
 誰だ、と睨みつけると、王子の従者が涼しい顔で一礼した。
「紳士足るもの、レディのお誘いを断っちゃいけないと思ってな」
 ぎりりと唇を噛んだキルシュは、目を怒らせて、王子を見た瞬間。
 その端正な顔に、間の抜けた表情が浮かぶ。
「王子。それは一体、どういうおつもりで?」
「どういうって……ええと」
 彼は、困った様に目をさ迷わせていた。
 凛々しき騎士の王子は、真っ赤な帽子に、真っ赤な上着を身に着け、ご丁寧にも顔全体を覆うような白い髭をつけていた。
 これではまるで、聖人セントクリスではないか。
「ちょっとした公式行事で」
「ああ、そう。非公式行事で」
 誤魔化そうとした主君を、従者が意地の悪い笑みで叩き落す。
「つまり、お忍びで馬鹿騒ぎですか」
 皮肉をこめて言うと、キャスリンが珍しく、憤慨した様子で声をあげた。
「ひどいですわ、お兄様。ヨーゼフ様は、とても素晴らしいことをなさっていたのですよ」
「素晴らしいこと?」
「ええ」
「いや、あのね!」
 慌てて遮ろうとしたヨーゼフだが、目をキラキラとさせたキャスリンの方が早かった。
「聖人の格好をして、各孤児院を回っていらしたのですわ!」
 一瞬、間があった。
 今にも穴に入りたいような顔をした王子と、生温かい笑みを浮かべた周囲と、感に堪えないと言わんばかりのキャスリンと。
「いや、心意気は買うけどさ。何も王子自ら、やらんでも」
「横で王宮魔道士が、今にも死にたいって顔で立ってたんだよな。私、もう哀れでさぁ」
「子供にどつかれまくってさ。これが一国の王子かと思うと、もう俺泣けてきて」
「一回くらいは自分の目で確かめたかったんだよ、色々と! 実践もしないで、口で福祉政策って言ったって、誰も聞かんだろうに!」
 好き放題言われた王子は、ついに開き直ったのだろう。精一杯の主張をした。
「でもなぁ、もっと身近なところで」
「だから身近に、子供達の夢になってみた!」
 くすり、と笑う。そんなキルシュに、様々な視線が集まる。
「内容はともかくとしても、そういうお茶目な苦労は、嫌いじゃないですよ」
 そう言うと、彼は何とも言えぬ表情を浮かべた。照れながらも、嬉しさを隠せない子供のような笑み。
「そう、かなぁ……」
 幸福のあまり、溶けている王子を退け、そっとセリカが耳打ちをしてきた。
「じゃあ、キルシュ。そんな王子の心意気を買って、是非その料理の腕を!」
「君はそれが目当てか」
 いやぁ、と言葉を濁すセリカを睨みながら、そっとため息をつく。
「大した物は出来ませんよ」
 小さな歓声を受け、厨房へと向かうキルシュの耳には、騒がしいけれども温かい人々の笑い声が届く。
 それが、とても新鮮なことのように。
 胸に、響いた。


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