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 慎ましい白のパラソルをさした彼女は、舞踏会の時よりも大人しげに見えた。やや離れたところから眺めると、風景に埋没してしまいそうにさえ思える。
 その様子に、とくん、と胸が痛むような気がした。
 ためらいがちになる足を無理に進めて近づくと、ヨーゼフは思い切って声をかけた。
「こんにちは」
 斜めにさしかけたパラソルからのぞいた顔が、見る間に驚いたような表情に変わる。
「王子……様」
「ヨーゼフと呼んで頂ければ嬉しいかと」
 軽く一礼すると、何故と言いたげな彼女に、軽く後ろの店を示してみせた。
「貴方が、こちらのお店へ通っていらっしゃると伺ったのでね」
 こじんまりとした可愛らしい雑貨店だった。ちょうどキャスリンのような年頃の女性が、足を運ぶような店だ。
 少しだけ付き合ってもらえないかというと、彼女は困ったようにうつむく。付き合う、という意味を勘違いされたようだと気づき、ヨーゼフは誤解を招いては大変とばかりに、慌てて付け加える。
「いえ、少し散策に付き合って頂ければ、と。何せ、話し相手にも事欠く有様で、良かったらお時間を……その」
 徐々にたどたどしくなり、終いには口の中で消えた。赤面したまま、語を失した王子に、しばらく面食らっていた彼女は、そっと優しく笑った。
 心音が、徐々に鼓動をあげていく。
 この笑みを知っている。そんな確信めいた思いが浮かぶ。
「私で良かったら」
 懐かしさは、控えめな声に少し薄らいだ。はっと我に返ったヨーゼフは、ゆっくりと歩を進めながら、しばし彼女と、とりとめのない話に興じた。
 言葉少なに、だが的確に答えを返す彼女の横顔に、幾度か心を騒がされたが、それでものんびりとした声を聞く度に、わずかに記憶との差異を覚える。
「あの時のナイトはいらっしゃらないのですね」
 何気なく切り出した言葉に、キャスリンは一瞬だけ、悲しそうな顔をした。だが、ヨーゼフが瞬きをする間に、屈託のない笑顔に戻る。
「アリュード様は、兄の友人なのです。この間の時は、司法院のお仕事の関係で、ついてきて下さっただけですの」
 兄の友人、という部分を強調しながら、キャスリンは急に早口で付け加える。
「責任感の強い方ですから、兄がいないところで、私にもしものことがあったらと案じて、あんな風に仰っただけのことですわ。アリュード様と私では、とてもつりあいませんもの。エスコートして頂くなんて、本来、勿体ないことです」
 急に多弁になった彼女に戸惑いながらも、曖昧に頷いた。ふと、話しすぎたことに気づいたのか、頬を赤らめて、顔をそむけたキャスリンは、道の端に座り込んだ子供に目を留めた。
「あら」
 ヨーゼフの前を横切るようにして駆け寄ると、彼女は子供と目線を重ねるようにしゃがみ込んで訊ねている。
「どうしたの?」
 子供は泣きそうな顔を上げたが、何も言えずに下を向いてしまった。地面に転がる果物を抱えようとしているが、拾う側から腕をすり抜けて落ちてしまう。
 これを見たキャスリンは、さっと自分のスカーフを広げると、上手に果物を布で包み、手で下げられるような形に結んだ。
「ほら、出来た」
「これ……」
 上目遣いにうかがう子供に、キャスリンはそっと笑いかける。
「良いのよ。持っていって」
 その笑みに、子供は初めてほっとしたような顔をした。元気良く、ありがとうと言うと、即席の手提げを持って、走って行ってしまう。
 しばらく、笑顔で見送っていたキャスリンだが、急に額を押さえるようにしてうつむいた。その急激な顔色の変化に、ヨーゼフは慌てて支えるように手を貸す。
「キャスリン嬢?」
「……すみません、ちょっと疲れてしまって」
「それはいけません。そこに座りますか」
 眉をひそめたままの彼女は、何度か深呼吸をくり返し、そっと立ちあがった。そして、心配するヨーゼフに笑顔で告げる。
「いえ、もう大丈夫です。ご心配をおかけして、すみませんでした」
「申し訳ない、僕が引っ張り回してしまったから」
「いえ! ただ、今日はお天気が良いから、少しはしゃぎ過ぎたんですわ」
 何でもないように装うが、明らかに顔色が悪い。ヨーゼフは固い表情で、そっと腕を貸した。
「送ります」
「いいえ、ここからなら家も近いですから」
「いえ、送らせて下さい」
 頑なな申し出に、否とは言えなかったのだろう。彼女はひたすら恐縮しながらも、ヨーゼフに支えられるようにして、帰路へとついた。

素材配布元:「神楽工房」様