君だけの一日を


 別に、抜けがけをするつもりではなかったのだ。

 この世を統べる魔女達に誓ってもいい。
 自分は、学生時代からの腐れ縁である友人と、その伴侶を、心の底から愛している。
 愛しているが、それは何ら邪まなものではなく、友愛という、この世で何物にも代えがたい、きらめく宝物のような感情を持ち続けているのであって。
 つまるところ。
 クレオのアホが、リュージの誕生日を忘れていたのは、私のせいではない。

「リオン!」
 ぶつぶつと魔女への言い訳を考えていた私は、後ろからどん、と押されたショックで、その場に転倒した。
 何をするんだ、と半ば涙目で見上げれば。
「……シェスタ」
「あ、ごめんなさい。つい、勢いあまって」
 声だけはしおらしいが、顔から窺い知れる憤怒の情は隠しようもなく、仁王立ちで立つその姿から、謝意などくみ取りようがない。
「そう、それよりリオン!」
「……なんだよ」
「なんでこんな日に、出張なんて行ったのよ、あのバカ!」
「ああ、君も怒ってるねぇ、やっぱり」
「当り前じゃない! だって、約束したもの!」
 そう。
「クレオと!」
 思わず、重なった声に、目と目を合わせ、頷き合ってしまった。

 確かにリュージは怒らない。
 確かに私が、少しは水を差したところもあったのだろう。
 だが、だからといって、あのバカ、忘れていいことにはならないだろう!



 私達が、リュージの誕生日を知ることになったのは、ある一言がきっかけだった。
 事情を知らぬ女官が、無邪気にも彼に尋ねたのだ。
「リュージ様の誕生日は、いつですか?」
 我々が凍りつき、クレオが口を開きかけた瞬間、リュージは彼を制し、笑って答えてみせた。
「建国記念日だよ」
 この答えに、私達も素直に驚いた。
「暦も同じなのか?」
 後に出たクレオの問いに、リュージはやはり笑顔のまま、否定した。
「暦自体は違うよ。でも、俺の国でも建国記念日ってが決まってて、その日が誕生日」
 そう答えるリュージは、あっけらかんとしていて、私は素直に感心し、きっとこの日を祝ってやろう、と思ったものだ。

 もちろん、恋人同士の邪魔をするのは、無粋という気もした。だからクレオにも確認したのだ。
 けれどクレオの返答は、と言えば。
 いつも二人一緒にいられるのだから、何も特別な日に俺一人で独占することもあるまい。
 というとんでもないもので。
 思わず、げんなりとシェスタと顔を見合わせたけれど、ついこの前あったクレオの誕生日に、リュージも同じ返答をしたのを聞いたら、もうどうでもよくなった。
 結局のところ、のろけなのだ、あれは。
 もっとも、特別な日の捉え方が、常人とは違うのはクレオだけなんだろうけれど、リュージはそんなあの男の気性を理解しているから、きちんと合わせてくれているのであって。
 ああ、だから。
 なんで誕生日くらい、相手に合わせてやれないんだ、あのバカ!



 そう思いつつも、私もシェスタもそんな怒りなど微塵も見せず、憤怒のこもった手紙を伝達魔法でクレオまでぶっ飛ばした後、素知らぬ顔でリュージの誕生日祝いにささやかな食事会を開き、贈り物を渡した。
「クレオも来られれば良かったのだけど、急に重要な仕事が入っちゃって」
 ね? と首を傾げるシェスタに応じ、私もにこやかな表情を作るが、おそらくシェスタよりは下手に違いない。
 急に、とか、重要とか、嘘だ。確かに仕事だが、そこまで急を擁するものでもない。だからこそ、私達は怒っている訳だ。
 リュージは、おそらく私達の下手な気遣いに気づいているに違いなかった。それでも笑顔のまま、明るく手を横に振って言う。
「まぁ、誕生日は毎年のものだからさ。あいつの顔は、いつも見ているし、別に気にしないよ」
「初めての誕生日は違うったら違うの!」
 くわっ、と目を見開いたシェスタの顔に、リュージの笑顔が凍りついた。
 元々、妹がいたというだけあって、女性の実態を我々よりもよく知るリュージだが、そのくせ抱く夢も大きいらしく、女性の恐ろしい形相にはひどく弱い。
「……はい」
 こくこくと頷くリュージの横顔を見つつ、私はこっそりとため息をついた。
 あの、バカ。
 長きに渡る友人であるにもかかわらず、おそらく私が奴に投げかけた言葉の最多は、バカ、だろう。
 リュージが来てからというものの、あいつのバカさ加減には、幸せボケとのろ気まで加わった上に、亭主関白というダメ要素まで追加されて、もうあいつと顔を合わせたら、私の口からバカ、が出ない時がない、というくらいのバカっぷりだ。
 なんだかんだ言って、ベタ惚れなのはクレオの方だろう。だが、リュージの性格がクレオの亭主関白ぶりを幾らでも容認してくれるので、もう緩みっぱなしなのだ、あいつの頭は。
 ああ、なんか考えてたら、またムカついてきた。
「そういえば、俺さ」
「はい?」
 私がありったけの文句を胸中で吐き出している間、シェスタとリュージは和やかに歓談していた。その会話が、耳に入ってくる。
「明日からちょっと、義兄のところへ行ってくるんだ」
「え? じゃあ、しばらく休み?」
 珍しい、とシェスタが目を瞬かせると、リュージは苦笑いで首を振った。
「ああ、でも三日くらいで帰ってくるよ」
 長く空けてもあまり心配はないと思うけど、休みを取りにくくて。そう笑うリュージの声に、いやそれはチョー心配だから、と内心で思うが、あえて口にはしなかった。
 リュージは今、書物庫の管理に携わっている。
 今をときめく騎士団総長クレオの伴侶だ、暮らし向きに困ることはないものの、王宮の人手が足りないので、彼の手を借りる内、いつの間にか定職にさせられていた、という現状だ。周囲が是非に、と望み、リュージ自身も良し、としたのだが。
 ある意味、良く似た夫婦なのだ。割とリュージも仕事好きで、定刻通りに帰ることは出来るが、あまり休暇を取らない。それをいいことに、周囲が頼りきりなのを私は知っており、リュージがいないとなかなか回らないことも知っている。
 だが、たまにはリュージも休まないと。
 うんうんと一人で頷いていた私は、ふとその休みの使い方に疑問を持った。
「兄って、クレオの兄貴のところだろう。まさか、実家に帰らせて頂きます、とか」
「あのなー、そもそもクレオの実家で、僕のじゃない……ってのは置いておいて、そういうんじゃないぞ。ただ、あの人からも誕生日祝いを頂いたし、一人暮らしだから時々見に行かないと」
 ロクな生活してないから。
 そう笑うリュージに、大変だなぁ、としみじみと思った。
 彼の側仕えの少年騎士から送られてくる近状に、この弟夫婦はどちらも気を揉んでいて、最近では交互で様子を見に行くらしい。
 クレオはそう思っていないようだが、どうもリュージが苦笑いで言うのは、弟が身を固めて心配の種がなくなった途端、気が抜けてしまったらしい。リュージのことは気に入っているようだが、やはり少し寂しいのだろう。
 気持ちは分からないでもないが、やはりバカの兄貴もバカなのか、それともバカに振り回された結果がその悲惨な状況なのか。

 ああ、駄目だ。今日は何を考えても、クレオがバカだという結論にしかいかない。
 自棄になって、祝い酒をかっ食らいながら、翌朝。

 二日酔いを笑顔で隠し通し、クレオの故郷へと向かうリュージを送り出してやった。



「それはもう少し、教育し直すべきだな」
「え? そうかな。僕は別に、気にならないんだけど」
 こぽこぽとお茶を入れながら、クレオの実兄、エルリックは昨日の顛末を聞いて、薄く笑った。リュージも応じて笑うが、そこに強がりはない。面白くもなさそうに、ひじをついているが、機嫌は良さそうだ。
「クレオの場合、別に、仕事第一って訳でもないからな。あいつが仕事を優先させるなら、それなりの理由があるんだろうし」
 それに、とリュージは若干、目をそらせてぼやく。
「……もう誕生日が特別、って年でもないんで」
「確かに。リュージくらいの年齢なら、もうそんな風にもなるか」
 感心したように頷いて、エルリックは窓の外へと目をやって、思わせぶりに首を振った。
「だが、残念ながら、君の伴侶はその辺の機微を察してないな、おそらくは」
「え?」
 リュージが目を丸くするのと、慌ただしい足音を立てて、誰かがやってくるのとほぼ同時だった。
「リュージ!」
 勝手知ったる生家とはいえ、突然の闖入はあまりにもその人らしくない。だが、血相を変えた顔に、思わずその突っ込みを忘れる。
 彼は綺麗に包装された花束を抱えたまま、大きく頭を下げた。
「すまない、その……気を遣わせてしまったようで、すまない」
「あー……いや、別に」
「本当にすまない。王都では、一日ずれるのをすっかり忘れていた」
 一瞬、リュージは理解出来ず、目を瞬かせた。彼が口を開く前に、後ろで優美にティーカップを傾けていたエルリックが、大きな声で割り入ってくる。
「いや、本当にお前は馬鹿だな。いつになったら、王都の暦に慣れるのだ」
 王都の、暦。
 リュージの目は、即座に近くのカレンダーへと向けられ、思わずあっと声を上げそうになる。
 クレオの故郷では、王都とは暦が違う。竜と共に生き、独自の文化を営む彼らの暦では、建国の日付もわずかではあるが、ずれている。
 こちらの暦では、今日が建国記念日。
「竜を扱っていると、こっちの暦の方が楽なんですよ、兄上」
「その結果、リュージにこっちに来させていたら、世話ないな」
「う」
 申し訳なさそうに、こちらを見るクレオの顔に、悟った。
 ああ、これは深読みされている。俺が気を遣って、こちらに来たと。
 暦の違いを忘れていたクレオのために、もう一度、二人で誕生日を迎えられるように。
「あ、あはははは」
 そんな兄弟のやり取りに、リュージの笑みは凍りついたままだ。クレオの肩越しに見えるエルリックの目が、意味ありげにウインクするのを見つめ、リュージは心に決めた。
「うん、俺は気にしないから! 誕生日が二日あって、嬉しいくらいだよ、うん」
「リュージ……」
 感激のあまり、ひしっと抱きついてくる伴侶に、リュージはほんの少し申し訳なく、そしてほんの少しだけ呆れつつ、ため息をついた。


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